鋼の塔内部は大まかに分けて三層の区域で成り立っている。上層部には『バード・プロジェクト』研究室とその関係者達の部屋、鋼の塔の情報を全て司る『鋼核(こうかく)』と呼ばれるメイン・コンピュータルーム。中層部にはコランダムが表向きに研究している様々な分野での研究室(瑠藍もつい最近までここに属していた)。そして、下層部――地底深く掘り下げられた地下にはコランダムにとって存在が不都合な者達が閉じ込められる永久牢獄が根付いていた。地下牢獄と呼ばれるその場所は特別警備が厳しい訳でもなく、けれどその場所から脱獄した者は未だかつて一人もいない。実のところ、牢から逃げ出した事のある者なら皆無という訳ではないらしい。ただし、彼らは地上に辿り着く事なく再び牢に入れられるか――最悪のケース、命を落としている。何故ならこの牢獄は管理者の思うがままに定期的にその姿を変えている、生きた迷宮なのだから。
機械的な自動ドアの開閉音に、作業中だった研究員達は揃って顔を上げた。一斉に集まった視線すら軽く受け流して我が物顔で研究室に足を踏み入れた少年は、すっかり歩き慣れたルートを足早に通り抜けると研究室最奥の部屋の扉にカードキーを差し入れる。小さな電子音と共にドアがスライドして開き、そのまま室内に足を踏み入れようとした少年にどこかおずおずと声をかけたのは彼よりもずっと年上の研究員。
「ぎ、銀鈴様」
「……ナニ?」
嘆息混じりに振り返る黄金の瞳は機嫌悪そうに細められていて、先程上の階で兄相手に見せていた表情とはまるで別人だった。整った顔立ちを露骨に顰めて研究員を仰ぎ見る態度は生意気を通り越して随分尊大なもの。
「僕、暇じゃないんだよね。用があるならさっさと言ってよ」
「も、申し訳ありません。白凪さんから資料を…」
「先に言えよ。要領悪いな」
差し出された一枚のディスクを奪い取るように受け取って、研究員の青年を睨みつける。棘のある物言いと強い黄金の目線は刺すように鋭く、青年は若干怯んでもう一度謝罪の言葉を口にした。それを見上げたまま、フンと鼻を鳴らせて視線を外すと同時に足元の影も動き出す。
「邪魔するなよ。僕、今から仕事なんだから」
相手の返事すら待たずに軽快な音と共に閉まったドアを数秒無言で見つめて、青年は浅く息を吐いてからその場から踵を返した。自分よりもずっと年下の、あんな小さな少年相手に何故こんなにも緊張しなければいけないのか。彼のやるせない胸中を察してか、近付いて来た同僚が彼の肩を軽く叩く。
「気にするなよ。我侭王子様は今日も生意気絶好調なだけだ」
「…よせ、聞かれるぞ」
「聞かれやしねぇよ」
吐き捨てるように笑う、その表情はどこか皮肉気に歪んでいた。相手からの言葉を待たずに、閉ざされた最奥の部屋を顎で指す。
「完全防音。しかもあそこに入ったら最低でも一時間は出て来ないからな。どんな玩具があるんだか」
「…」
そこは彼らにとって未知の領域。
銀鈴が仕事で使うあの部屋に入る事が出来るのは銀鈴本人と彼の兄、それから社長秘書だけ。
位置的には下層部に近い場所にあるというのに、その特例機密ぶりはまるで上層区域のようだった。
***
照明の点いていない薄暗い部屋は一般の研究室と同じような広さで、けれど窓も存在しない完全な密室である為に昼でも夜でも同じ暗さを保っていた。尤も、部屋自体に照明がない訳ではなく部屋の主が点けないだけだ。彼がこの部屋で明かりを点ける事は少ない。それは、点けない方が仕事がやり易いという至極単純な理由から。
照明の代わりに薄闇にぼんやりと光るのはパソコンのディスプレイで、それは一台だけでなく幾つか点けっ放しになっている。その中の一つを眺めながら、大人用の椅子に深く座った少年は大して興味もなさそうに軽く首を捻った。
「入居者三人、か。バッカだなー、コランダムに逆らうとどうなるかも知らないなんてさ」
タン、と人差し指で軽やかにキーボードを叩くとディスプレイに映し出されていた新しい囚人の資料が消えて、代わりに巨大な建物の内部構造図のようなものが映し出される。三次元の空間に枠組みだけで表示されたその建物は、鋼の塔下層区域――彼が管理をしている場所であり、この塔の中で唯一仮想三次元空間と直接的に繋がっている場所でもあった。
厄介な囚人ばかりを集めた地下牢獄――正確には牢獄の上の地上へ繋がる階層は、この部屋から発信される命令と直結しており、銀鈴の操作一つで直接的にフロアの構造自体が変わる。少年ならではの柔軟な発想力と博士レベルの高い知能、その二つを併せ持つこの少年は、迷宮に命を宿す創造者だった。それは、幼い手の中で組み立っていくジオラマ。現実世界の建造物をも玩具の城を組み立てるように片手のみで創り上げ、囚人達を脱獄不可能にする為に幾つもの罠を仕掛ける銀鈴の事を関係者は通称『トラップマスター』と呼んでいる。
小さく息を吐き出して椅子から立ち上がった銀鈴は、両手に装着した薄手のグローブを軽く引っ張って右手のグローブから伸びるコードのようなものをそのままパソコンに差し込んだ。『接続中』の表示が淡く光るディスプレイに映り、それは数秒で『完了』の表示に変わる。神経を集中させるように伏せた瞳は、一拍後にゆるりと黄金の色彩を薄暗い部屋の中に解放した。グローブの甲の部分に取り付けられた丸い宝玉は右手が蒼、左手が金。二つの内、コードで繋がれた右手の宝玉から淡い光がぼんやりと放たれて 暗い部屋に蒼い光彩が浮かび上がる。
「フロア206、展開」
スッと水平に右手を動かすと、蒼の光が動きをトレースして軌跡を描く。その軌跡が形作っていくかのように細いラインが宙に光の直線を描き、一本の線は一筆書きの要領で立体的なフロアマップを展開していった。高さは銀鈴の胸元辺り、広さは彼が両手を広げた程。迷いなく進むその軌跡は思わず目で追ってしまうくらいに鮮やかで、まるで生きているかのよう。下から受ける蒼い光が黄金の瞳に混ざり合う。
彼が部屋を暗くするのは、この作業の為だった。
淡く光る蒼のラインは背景が暗い方が際立って見える。
「通路08と13移動。04の床を無くすか」
口の中で呟く独り言と共に光を放つ右手を規則的に水平、垂直に動かしていくと、それと連動するかのように宙に浮かぶ直線だけで構成されたフロアマップが変形を始めた。今正に、この仮想空間で行われている変形が現実世界でも並行して行われている筈なのだ。それはまるで少年の右手が直に触って動かしているかのように、壁や床が位置を変え新しいフロアが作られていく。
「フロア304と307、展開」
新たに作ったフロアマップを閉じた後に、休む間もなく次のマップを読み込む。同じような作業を繰り返しながらもマップが単純な構造に仕上がる事がないのは、純粋に慣れのせいか、彼が有能である証か、もしくはその両方か。暫く幾つかのフロアマップをその手で弄っていた彼は、ふいに右手の動きを止めると左手の人差し指で軽く右手の宝玉を叩いた。
「全階層、展開」
低く呟くとブツンと一度接続が切れたかのように全てのマップが宙に溶けた。一瞬の闇が訪れた後、今度は足元から螺旋を描くように立体的な塔が築かれていく。先程と同じように蒼い光のラインで、けれどその大きさは先程の数倍。目線の少し上程まで組み立った、直線と曲線のみで構成された空洞の塔を眺めながら、少年は後ろ手にパソコンデスクへ手を伸ばした。デスクの上に無造作に置かれた小さなスイッチのようなものを手探りで見つけると、振り返りもせずに押す。
「…白凪、聞こえる?」
『――はい、銀鈴様』
スピーカーから聞こえてきた声は確かに先程上層部で別れた社長秘書のもの。多少ノイズが混じっているのは仕方のない事だろう。お互いのいる場所それぞれに、大きな規制がかけられている筈なのだから。
「フロア807、502、309、108を繋いだ。今から三時間、そのフロアは機能停止してるから囚人を最下層に連れてくならそこを通って」
『――了解致しました、傭兵達に任せましょう』
「うん。三時間だからね。それ過ぎたら機能回復するから。――連れてった方も戻れなくなるよ」
『――よく言い聞かせておきます。お疲れ様でした』
「いいよ、僕の仕事だもん」
少し笑うその表情は兄に見せるものとよく似ていて、年相応に子供らしい。
「それじゃあ、後は任せたよ。接続切るね」
『――はい。失礼致します』
スピーカーの向こうで白凪が一礼したような気がして小さく笑う。白凪との通信接続を切った後、銀鈴は光を放つ塔を一瞥して右手を水平に振り切った。
「解除」
フッ、と溶けるように消えた蒼い光は瞳の奥に残像を焼き付ける。それを振り払うかのように一度かぶりを降ってから、銀鈴は静かに輝きを失っていく蒼い宝玉を軽く撫でた。パソコンに差し込んだコードを引き抜いて、右手を開いたり閉じたりしながら手の平の感覚を確かめる。
銀鈴の創った世界(フロア)には基本的に『安全なルート』が存在しない。それ故、新しい囚人を牢獄に送る際に一定の時間制限を設けて罠を解除し『安全なルート』を創ってやるのだ。それがトラップマスターとしての務めにも繋がる。ただし、こちらから言い渡した時間を守れなかった者の管理までは彼の仕事ではない。そんな無能の事は捨て置いて良いと、兄からも言われている。
「あー、疲れた。結構神経使うんだよねアレ」
細い肩を鳴らすように動かすけれど、音は鳴らなかった。小柄な身体に対して大きな、大人用の椅子に座ると大きな伸びを一つ。
「三時間は拘束状態だな。今日は上層に行けるかと思ったんだけど…」
緩く瞳を細める様は置いていかれて寂しそうな子供そのもの。ズルズルと椅子から滑り落ちるように腰の辺りで浅く座りながら、小さな嘆息を一つ零す。
「…仕方ないか。仕事はしなきゃいけないもんな」
無能は必要ない。
それは単純で、容赦のない決まり事。
例外など許されないのだ。
薄暗い天井にまだ小さな手の平をかざす。先程まで光を放っていた蒼い宝玉は、今はただ静かに深い色彩を宿して少年の手の甲を彩っていた。