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「『バード・プロジェクト』?」

若干訝しむように、細められた瞳は宝玉のような翡翠色。無機質で機械的な、建物を形作る正確なラインがひたすらに続く細い廊下を歩きながら少年は数歩前を歩く先輩研究員の背中を目で追った。白衣に包まれたその背には赤いラインで人工の翼を持つ鳥の印――コランダムのマークが記されている。それは少年の着た白衣と同じものであり、鋼の塔研究施設の正式な研究員である証でもあった。若干トーンの落ちた声には気付かなかったのか、振り返る事なくヒラリと片手を振って前を歩く研究員の青年は常と同じように背後に向かって言葉を投げる。
「お前も聞いた事はあるだろう?」
「…正確な情報は知りません」
「それはまだ知ってて貰っちゃ困る」
肩を竦めると白い背中に僅かに皺が寄った。同じ白でも少年の白衣とは幾分白さの種類が違う。それはただ単に年季のせいか、あまり洗濯していないだけなのかは分からなかった。
「正確な情報でなくていいんだよ。研究員共通の知識でいい。…今は」
含みのある物言いに、薄いレンズの奥の瞳を細める。振り返る事のない背中から僅かに目線を逸らして、研究員としての膨大な知識を紐解きながら要となる単語を的確に弾き出した。


鋼の塔上層部で行われている実験。高い知能を持つ、選ばれた研究員が配属されたその内容は完全な機密事項として取り扱われている為、塔外部の人間だけでなく塔内部の関係者ですら知っている者は少ない。一般研究員の中で共通の知識としてある情報は、失われた空を掴む翼を創っているという事だけ。

自らの発展の為に犠牲にした蒼を忘れる事が出来ずに、失くした色彩を求めて手を伸ばす。人の欲望に覆われたその計画の名は、通称『バード・プロジェクト』――。


「…翼、を。創っていると聞きました」
最低限の答えは相手の出方を窺う為でもあるが、純粋に自分の知識がその情報しか所持していなかったからでもあった。無理もない、有能な者しか雇わないコランダムの研究員とはいえ彼はまだ上層部には配属されていないのだ。そう、まだ――。
「その通り。だったら、どうやって創っているか知っているか?」
ようやく肩越しに振り返った青年の瞳は相手を試すかのような色を宿していて、けれど少年はあっさりとかぶりを振った。そこは純粋に知識にない情報で、けれど例え何かしら知っていたとしても知っている事を知られてはならない。だから、返答には迷わない。
「いいえ。仮に今現在、それを僕が知っていたらマズイでしょう?」
「はっ、その通りだ」
クッと小さく笑った声にやれやれと嘆息する。
「あまりからかわないで下さい、先輩」
「いや、若きエリート君を試してみたくて」
「…先輩」
「悪い、怒るな瑠藍(ルラン)」
非難の音を乗せてジロリと青年を流し見ると、大して反省していないような声。全く、と息をつく間にも彼らは細い廊下の突き当たり、エレベータの前までその足を進めていた。ボタンを押すとすぐに降りてきた、透明なガラスに囲われたエレベータに乗りながら足元に零れるように漏れたのは青年の薄い笑み。それは先程瑠藍を試して浮かべた、どこか悪戯っぽい笑みとは対照的な、引き攣って乾いたもの。
「…今に分かるさ」
「…?」
流すように向けた視線の先で、よく見知っている筈の瞳がぎこちなく笑う。けれど、少なくとも瑠藍は彼がこんな笑い方をする事を知らなかった。
「気付いているんだろう?お前が今、何処に向かっているのか」
「…上層部、ですね」


先日受けた通告では部署が変わるという事だけで、新しい配属チームの名前までは教えて貰えなかった。けれど、迎えに来た人物が少し前に部署異動した先輩研究員だった事から何となくの予想はついていた。新米時代から世話になったこの青年は、変わっていないようで時折酷くやつれたような、そんな陰を滲み出す。昔はなかったその陰を彼に与えたものが何なのか、今の瑠藍には分からなかった。

今から向かう、鋼の塔上層部。
そこは少年の新しい職場にして『バード・プロジェクト』実験所。

全ての理由は、恐らくそこにある。


「瑠藍、分かっていると思うがここから先の情報は機密事項だ」
「…その」
ポツリと漏れた声は素直な肯定の返事ではなく、それに僅かに眉を顰めた青年をゆっくりと見返して少年は再び言葉を紡いだ。
「その理由も、この先にあるんですか」
彼の知能が高いのは、好奇心の強さが大きな理由である。何かしらの理由と結びついている筈の疑問は、最後に答えとして形を成す為にその過程を模索する。幼い頃から、その作業を大した意識もせずにやってしまうから彼は若くして研究員になれた程に聡明なのだ。コランダムの研究員で年齢が20に達していない者は彼を含めほんの数名しかいない。その数名の中でも彼の優秀さは群を抜いている。
真っ直ぐ向けられた瞳に真実を探る時の光が宿っている事に気付いて、青年はその瞳を真正面から見返す事が出来ずに流すように目線を逸らした。純粋な好奇心に満ちたこの目線を受け止める事の出来る神経が、彼にはもう残されていない。
「……知らない方がいい真実もある」
「?先輩?」
低く、搾り出すかのように漏れた声に眉根を寄せるが
「これ以上聞くな。…後は自分の目で確かめろ」
「……はい」
会話を続ける事自体を拒絶されては、瑠藍も引き下がるしかなかった。音もなく上昇するエレベータ内に流れた沈黙の中で、意味深な言葉に思考を巡らせようとして 結局やめる。望んでいてもいなくても、この上昇が終われば分かる事なのだ。だったら、考える事はその後でも出来る筈。

停止階を示すランプが一つずつ階数を増していき、緩やかな上昇がやがて止まる。足の裏に独特の浮遊感を残して、単調な機械音と共にエレベータのドアが開いた。







***


両開きのドアの向こう側には細い通路が続いている訳ではなく、広いホールのような部屋に直通していた。どうやらワンフロア全てが研究室に割り当てられているらしい。ドアの単調な開閉音に何人かの研究員が目線を投げてきたが誰も言葉を投げる事はなく、無感情な一瞥の後に大して興味もなさそうに視線が外れた。ツンと鼻をつくのは薬品の匂いで、耳に入ってくるのはデータが打ち出される無機質な音。何人もの人間がいるというのに、人の声も聞こえなければ生身の体温すらも感じない。そこは同じ塔の中に存在しているのに、下の階とは明らかに取り巻く空気が違っていた。
ついて来いと目線で促した先輩研究員の後について、部屋の奥へと足を進める。作業中の研究員達の間を擦り抜けるように白衣を翻しながら歩いて行くと、そう歩を進めない内に中央に備え付けられたガラス張りの巨大な水槽が姿を見せた。直径が7,8メートル程の透明な円筒は上の階を突き抜けるような高い天井に届く程で、全面が厚いガラスで囲われている。一見巨大なビーカーのようにも見える水槽の中に満たされた液体は純正の水にしては青みがかっていて、何本ものコードと共にゆらりと白いものが漂っていた。

重力を感じる事のない水の中、ところどころに血痕のついた白い服がゆらゆらと揺れる。水面の揺らめきが白い手足に映って、波紋の光が血管のように浮かび上がっている様は必要以上に病的に見えた。青い水のせいか病的に揺らめく光のせいか、まだ幼い顔は青白く、意識を失っているのかその瞳は閉じられたまま。口元に取り付けられた、酸素を通しているらしいマスクからは時々呼吸が微かに零れて水面に白い泡が浮かび上がる。腕や足に巻き付いたコードは何かの数値を弾き出す為のものなのだろう、水中に繋がれたその姿は蜘蛛の糸に捕えられた無力な蝶のよう。


小さな背中には銀色に輝く、骨組みだけの鋼の翼。

けれど、そこにいたのは鳥ではなく 一人の少女だった。


「――な…」
大きく見開かれた瞳は水槽の中に浮かぶ少女を見上げたまま、声は咽に張り付いて音にならない。あまりにも現実離れした事実を理解する事が出来ずに、少年は目の前の光景から暫し目を放せずにいた。



『バード・プロジェクト』

事前知識でのそれは、翼を創る計画の事だった。
現在実用化されている、飛空艇と呼ばれる空を翔ける船ではなく
もっと別の何かを開発しているのだと。
勝手にそう、思っていた。

いや、その考えはあながち間違いではない。

間違っていたのは、ゼロから生み出す機械を相手にしていたのではなく
生身の少女を実験体にしていたという事。



「…っどういう…事ですか…」
ようやく搾り出した声は低く掠れていたけれど、必要以上に静かなホールに響くには充分だった。声に、その新鮮な感情に反応したのか、何人かの研究員が目線を投げてくる。ただし、言葉を投げる事はなく。
「これは…何をしているんですか…!」
「―落ち着け、瑠藍」
「それは僕よりもアンタ達だろ!?」
隣から制するように差し出された手を払いのけて、瑠藍はようやくその目を巨大な水槽から引き剥がした。先輩である青年を、続けて室内の研究員達を見渡すようにぐるりと視線を投げると、細い金髪がその動作について跳ねるように揺れる。
彼は確かに10代でコランダム研究員に採用された知能の高さを持ってはいるが、あまりにも非現実的な状況を前にした時に、冷静に対応しながらその環境に即座に順応出来る程に大人ではなかった。幼さ故の真っ直ぐな抗議が感情のままに解き放たれる。
「彼女は生きているんでしょう!?だったら今すぐ解放すべきだ!ヒトを実験体にするなんて…気が狂ってる!」
高らかな声はホールに響いて、奥の方で作業をしていたらしい研究員達も何事かと顔を覗かせる。今迄新しく配属された者の中でこんなにも感情を露にした者はいなかったのか、目配せして何事かを囁き合う研究員達の目は物珍しさと哀れみが入り混じったような不思議な眼差しを宿していた。そんなところまで視界に入っていないのか、瑠藍は水槽に近付くと断続的に数値を打ち出している機械へ手を伸ばす。機械を止めようという彼の思考に気付いて、先輩である青年がその手を掴んだ。
「よせ、瑠藍」
「先輩!貴方も何故分からないんですか!?」
「分からない訳じゃない!ただ…」
「分かっているのなら何故…!」
抵抗に歪む翡翠の瞳をやはり正面から見返す事が出来なくて、瑠藍の手首を掴んだまま目線を逸らしたその時。

「簡単な事。それが彼らの仕事だからです」

怒声の余韻を響かせるホールに静かに割り込んだのは、凛とした声とヒールの音だった。




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