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高く高く

重圧を纏って聳え立つ、欲の塊。


灰雲さえも突き抜けて

空へ放つ無機質な願いは、冷たい骨組みの翼に懸けられた。



翼を与えた鳥を捕えて

蒼を背に、静かに囲う鋼の籠。



それこそが

栄える事で寂れた街、王都スティリックで
絶対的権限を持つ『コランダム』の所有する



鋼の塔










act 02 : 紺碧の殻



迷いなく振り切られた一振りの剣は、刀身を彩る銀蒼の残像を焼き付けて世界を水平に切り裂いた。弧を描くように綺麗な軌跡を残したままピタリと静止した剣先は、細い首筋を皮一枚切り裂いて金属の冷たさを生身の肌に浸透させる。抜刀からの流れるような動作は時間にして一秒にも満たない程。鞘から引き抜いた剣を相手の首筋に突き付けたまま、一拍遅れてその剣先にゆっくりと向けられた瞳は鮮やかな黄金色だった。
「…言い分があるのなら、聞こう」
静かに紡がれた抑揚のない声は波立つ事なく、けれど冷えた剣が下ろされる事もない。時が止まったかのように静止していた空気がようやくぎこちなく動き始め、翻った長いロングコートの裾がヒラリと静かに床に影を落とした。

薄灰の壁がぐるりと円形に囲う広い部屋には男と女が一人ずつ。天井に取り付けられた豪華な照明は今は光を灯しておらず、代わりに部屋の半分を占める程に広い窓から太陽の光が射し込んでいた。それは人工のものではなく灰雲の上に存在する、地上から忘れられた眩しさ。窓ガラスの向こうに映る鮮やかな色彩はペンキを零したかのような蒼で、それはこの場所があの厚い灰雲よりも高い位置にある事を意味していた。

避ける事は勿論、反応する事さえ出来なかった瞳は大きく見開かれたまま、それでも紅の唇が乾いた音を紡ぐ。
「――だ、から、あたしは仕事を遂行しただけよ。鳥を奪還したでしょう?」
今、ここで動く事は出来ない。少しでも攻撃意思を示せば自分の武器よりも早く、辛うじて動きを止めている彼の剣が真横に振り切られるだろう。仮にこちらからの攻撃が成功したとしても、それは彼にとって大したダメージにはならない。いや、微かなダメージすらも通らない、と言った方が正しいか。実力者だからこそ分かる、対峙した相手との実力差。
「―私は」
ゆるりと、半分伏せ目がちだった瞳が瞼の下から解放されて相手の言葉を遮るかのように感情のない声が響く。決して大きな音量でも凛とした響きでもないのに、そこには何故か言葉を挟む事を許さない絶対的な重圧が纏われていた。
「私は『無傷で』と言った筈だ」
「ちょっと、勝手に怪我したのはあの娘の方で―」
「右頬は『勝手に』怪我しようがないだろう」
「――っ」
言葉に詰まって褐色の瞳が居心地悪そうに逸らされる。それを静かに眺めながら、金色が緩く細められた。ただし、そこに感情は滲ませないまま。
「もういい。話は終わりだ」
「…」
「仕事の出来ない者を雇っていても仕方がない。――ここまでだな」
「――!?ちょ…」
大きく見開かれた瞳からの抗議さえも受け流して、静止していた剣先にグッと力を込める。褐色の瞳に恐怖の色が混じるよりも早く、一筋の赤いラインが白い首筋を濡らして――


「兄上!帰って来てたのっ!?」


自動ドアの開く音と共に部屋に駆け込んできたのは14,5歳程の少年で、今まさにひとつの命を奪おうとしていた剣は聞き慣れた声の乱入にピタリと再度その動きを止めた。長い距離を走ってきたのか、肩で息をつく少年は部屋の中の状況にぎょっと大きく瞳を見開いて、漏れる息すらも飲み込んで呆然とその場に立ち尽くす。一瞬にして困惑の色に染まった幼い瞳の背後で、開いた時と同じように自動ドアが単調な音と共に閉まった。
「…銀鈴(ギンレイ)、すぐに入って来るなと言っているだろう」
「え、あ…ご、ごめんなさい…」
しゅんと項垂れると綺麗な銀蒼の髪がパラパラと揺れる。そっと窺うように上目遣いで再度部屋の中の状況を見やると、長い剣が女の首筋からゆっくりと離れたところだった。紅の唇から思わず零れた吐息は命を繋いだ安堵からか。
「銀鈴に助けられたな、紫桜音(シオネ)」
「…っ」
首筋に垂れた一筋の血はそのままに、強い視線が金の瞳を睨むが彼はもう紫桜音とは目線すら合わせていなかった。ヒュッと右手に持った剣を床に向けて一振りすると、剣先を濡らした鮮やかな真紅の色彩が白い床に散って小さな痕を残す。
「下がれ。…次はないと思え」
「…失礼するわ」
唇を噛み締めて顔を背けると、長い髪がフワリと舞った。そのまま踵を返すと、困惑気味な幼い瞳と目線が一瞬交わる。幼い少年に見られた事による羞恥か、それとも絶対的な力に対する苛立ちか、彼女は一度苦々しく少年の瞳を睨み返してからフイとそのまま目線を逸らした。足早に銀鈴の脇を擦り抜けて自動ドアをくぐると、苛々する程単調な開閉音。苛立ちを含み高く響きながら遠ざかっていくヒールの音を数秒戸惑いがちに見送って、居心地悪そうに立ち尽くしたままの銀鈴は言葉を探して視線を彷徨わせた。まだ幼い、大きな瞳はあどけないながらも部屋の主と同じ黄金の色彩を放つ。
「えっ…と…、あ、兄上…」
「銀鈴」
「えっ?う、うん!」
何っ?と顔を上げるが、同じ色の目線が交わる事はなかった。僅かに血を吸った剣を拭いて鞘に戻しながら、彼の兄は何事もなかったかのように言葉を続ける。
「何か用か」
「あ、えと…」
一瞬、本来の用件を忘れてしまったのは部屋の中の光景が異常過ぎたからか。けれど一般人なら非日常である筈の血の色も、それを生み出した本人は顔色一つ変えていない。それならば、自分もきっとそれに慣れなければいけないのだ。同じ環境に慣れないと、彼の傍にはいられない。混乱しかかった頭の中でも取り落としかけていた用件を掴み直して、少年は再度口を開いた。兄のように顔色一つ変えない事は出来なかったけれど、なるべく平静を装いながら。
「『戻ってきた』って。ホントなの?」
「…鳥か」
低く、零れた声に少しだけ躊躇いがちに頷き返す。急いている用件でも、ここでは彼のペースに合わせないと何も情報を得る事は出来ない。幼いながらにそれを分かっている聡明な少年は、決して急かす事なく黙って兄からの返事を待った。返ってくる事のない目線を求めるように、自分よりもずっと身長の高い青年を見上げたまま。
「私の留守中にいなくなったようだったが…先程戻った」
「…そっか」
結局交わる事のなかった目線に落胆したのか、それとも別の理由か。上げていた目線を緩やかに下げて俯きがちに相槌を打った銀鈴の方へ歩み寄りながら、青年は鞘に収めた剣を腰に差し直した。頭上から差した影が近付いてくる事に気付いて再び顔を上げた弟の脇を擦り抜けながら声を放つ。
「今から様子を見に行く。…お前も来るか?」
「!行くっ!」
弾かれたように返事を返して、少年は青年の後を追って小走りでその場から足を踏み出した。その背が振り向く事はないと頭のどこかで分かっていても、黄金の瞳に嬉しそうな明るい光を燈して。




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