王都スティリックの中心街、商店が立ち並ぶ賑やかな大通りから脇道に逸れた細い通路は薄暗い路地裏に続いており、普段自ら好んでそこに立ち入る者はいない。鋼の塔を中心に円形に栄える巨大都市とはいえ、栄えた一方で寂れたものが存在するのもひとつの事実。元々この都市自体の治安は決して良いとは言えず、人工灯の光すらも届かない路地裏では法すらないようなものだった。中心街から離れた、政府からも見捨てられた場所であるスラム街よりかは幾分マシであるものの、生の気配すらも感じられないその場所は大人でも不用意に足を踏み込む事に躊躇いが生まれる。
そんな廃れた通路に響く、無遠慮な足音が三人分。
薄暗い路地裏に似つかわしくない軽快な足音は、パタパタと幼い音を響かせながら狭い歩幅で忙しなく動き回る。大きな亀裂が入った両脇の建物の壁は今にも崩れ落ちてきそうな程に古いもので、路地に紛れ込んだ侵入者を飲み込むかのように黒い影を生み出していた。表通りの賑やかさとは対極に、古い鉛色のこの空間にはひんやりとした冷たい空気と共に不気味な程の静寂が流れていて大層居心地悪い。色褪せた石造りの地面を踏みながら歩く小さな少年は、大きめの青い帽子を深くかぶり直して幼い瞳を僅かに細めた。
「あーもー、どこまで続くんだよこの路地。辛気クセーし薄暗いし…」
「しかも壁が高くて重圧あり過ぎ。狭く感じるじゃんよー」
全く同じ響きを持つ、けれど違った咽から出た声はすぐ隣から。並んで歩く二人の少年達は顔も体格も、更には着ている服すら殆ど同じでまるで鏡合わせのようだった。小さな背中にはこれまたお揃いの、簡略化された鳥のマーク。滑らかな曲線を描く白いラインは彼らの家族と家族同然の仲間を繋ぐもので、空を翔ける風の証でもある。
数歩前を歩く小さな双子の兄弟を見下ろしてやれやれと嘆息したのは、短い茶髪の青年だった。彼の赤いジャケットにもまた、腕の部分に双子の背中にあるものと同じ印が記されている。
「だぁから、お前ら先に風竜に戻ってろっつっただろーが。狭いのも暗いのも苦手なくせして」
首筋を掻きながら告げると、母親譲りの綺麗な翡翠色の瞳が勢い良く青年を振り仰いだ。聞き捨てならない、といった風に小さな手の平をひらりと振る、その仕種さえも二人揃って全く同じ。ここまで揃っているくせに打ち合わせも意識もしていないのだから、血というものは侮れない。尤も、この双子が異常な程に息ピッタリなだけなのかもしれないけれど。
「誤解しないで頂きたい!狭いのが嫌なのはオレ、暗いのが嫌なのは茜(アカネ)!」
「我等はどっちも嫌な訳ではないのだ!これだから藤華(トウカ)は物覚えが悪くて困る!」
「あー、そんだけ騒げりゃあ充分元気だな」
一体どこから覚えてくるのか、幼い声に不釣合いな流暢な喋りと共に飛び跳ねる双子の頭をそれぞれペシペシと続け様に叩いてそのまま二人の間を通り過ぎる。藤華にそのつもりはなくても追い越される事で置いて行かれるような不安を感じたのか、双子は揃って小走りで彼の隣に並ぶと何事もなかったかのように歩を進めた。素知らぬ顔で、けれどしっかり遅れないように歩く様が妙に可笑しくて思わずクッと咽を鳴らせたのは藤華の悪い癖。ニヤニヤと意地悪く笑いながら、両脇の青い帽子を上から見下ろす。
「橙(ダイダイ)、茜、お前ら何で今走ったん?」
「…別に。走るのに理由は必要ないだろ?」
「敢えて言うなら藤華がオレ達より先を歩くのが気に喰わないんだよな。藤華のくせに」
「ほ〜〜??」
目さえ合わせずに返ってくる可愛くない言葉も今はただの強がりにしか聞こえない。口の端が緩むのさえ隠そうとせずに相槌を打つと、幼い瞳が不機嫌そうに歪んだ。
「…なぁんか頭の上から気色悪い声が聞こえるな、橙」
「年下を弄る事でしかストレスを発散させる事の出来ない哀れな操舵士の陰険なイジメだ。気にしちゃ駄目だぜ茜」
「了解」
「はっ、かっわいくねーなー」
乾いた息を吐き出して肩を竦めると、ふいに足の裏に固い感触。小石でも踏んだか、と違和感を感じた右足を退けて目線を下に落としてから藤華は僅かに眉を顰めた。
「どしたんだ、藤華?」
「落ちてるもの何でも拾っちゃ駄目だぜ?」
藤華の足音が止まった事で双子の足も止まる。二人揃ってきょとんと大きな瞳を瞬かせてから、彼らはその場にしゃがみ込んだ藤華の傍まで歩みを巻き戻した。ひょいと覗き込んだ青年の手元には、小さな円柱の木材。
「?何ソレ」
「藤華ゴミ拾うなよー。オレ達は紺那と、あとオマケで晴探しに来たんだぜ?」
「そうそう、集合時間とっくに過ぎてんのに戻って来ねぇから。大方、晴がどっかでアホな事やらかしてんだぜ」
仮にも年上に対して散々な事を言いながら「道草食うなよなー」と呆れ顔で嘆息する双子の言葉には反応せずに、藤華は暫くその木片を手の平の上で転がして眺めた後ふいに目線を双子へ投げた。淡い紫の瞳に珍しく真剣な光が燈っていて、冗談好きの双子も思わず茶々を入れる口を閉ざす。
「これが何だか分かるか?」
「ゴミ」
「木のクズ」
小首を傾げて紡がれた答えに緩くかぶりを振る。ハッキリした根拠はないが何故だか確信はあった。
「いや…恐らく紺那の棍の一部だ」
「うぇぇ?それが?」
「木製の棍だからな。武器破壊はそう難しくない」
「待てよ、それって紺那が負けたって事か?」
「そうは言ってない」
ただ、と続けて、ぐるりと目線を投げた先には、物言わぬ鉛色の壁と地面しか広がっていなかった――けれど。
「アイツらこの辺りで何かやらかしやがった。それだけは間違いない」
困惑したように目配せし合う双子から、手の中の木片へ目線を落とす。
「橙、茜。この近くにアイツらの忘れモンが残ってないか見て来い。そう遠くない筈だ」
指の腹でなぞる、木片の切り口。木製とはいえ、それなりの強度を持つ棍を綺麗に切断したものが何なのかは彼には分からなかった。その辺の剣では切断は出来たとしても、ここまで鮮やかに綺麗な切り口は生まれないだろう。彼らの隊でもこれ程の芸当が出来るのは、演舞のように自在に武器を操る航空士と生まれつきの特殊な力で全てを切り裂く料理長くらいのものだ。
ゆっくりと、けれど流れるように思考を巡らせながら再度双子に目を向けると、いつになく不安げにこちらを見上げてくる翠の瞳と目線が交わった。大人の中で育ち、やたら口達者で頭の回転が早くても彼らはまだ10歳の少年なのだ。そのくせに無駄に空気を読むのが上手いせいで、この重くなりつつある空気に不安が募っている。微かに揺らぐ幼い瞳を交互に見返して、藤華は緩く苦笑を零した。彼らを安心させてやるように、小さな頭をそれぞれポンと叩く。
「その辺でいいんだよ。俺の姿が見えないトコまでは行くな」
「…分かった。行くぜ、茜」
「ウン」
素直に従い歩き出した小さな背中を見送って、ゆっくりと立ち上がる。近くの壁や地面へ改めて向けた目は大事な何かを見落とさないように注意深く細められて、物的証拠を探すようにあちこちへ目線を飛ばした。
止まったままでは分からない。
触れて、掴んで、そこから何らかのサインに気付かなければ。
緩やかに流れていく思考を止める事なく、再度双子の方に目を向ける。今現在、何も起きていなくてもこの場所は無法地帯だという事を忘れてはならない。僅かな距離を開けたとはいえ、幼い彼らから完全に目を放してはならないのだ。それでも敢えて仕事を与えたのは、彼ら二人を完全に子供扱いしてはいない証拠。子供であるという事実は覆しようがないけれど、それだけの存在にはしてやらない。彼らは子供である前に仲間であり、お荷物ではないのだ。
きょろきょろと周囲を観察しながら歩を進める双子は、数メートル先に見える、通路よりも若干開けた空間で何かを見付けたらしく小走りで駆け出したところだった。収穫ありか、などと思いながら手の中に転がる木片へ視線を落とす。
荒れているのは元からだと思っていた。
壁や地面に派手な亀裂が入っているのも元からだと。
けれど、それがそう遠くない過去に生まれたものだとしたら――?
抉れた地面。
ひび割れた厚い壁。
撒き散らされた砂塵と瓦礫の欠片。
それから
「藤華!買い物袋がぶちまけられてる!」
「あと、これ、さっきの…紺那の棍の欠片だ!」
決定打だ。
大した時間もかけずに小さな両手に溢れる程の『忘れモン』を抱えて駆け戻ってきた少年達からそれらを受け取る。浅く零した嘆息は寂れた路地裏に乾いた音を残した。
「すぐ風竜に戻る。遅れねぇようについて来い」
「「ウン!」」
来た道を逆戻りする足は路地の奥へ進む時の二倍の速さで、藤華に比べてコンパスの足りない橙と茜は狭い歩幅を最大限に広げて小走りする羽目になった。大通りに繋がる細い道を足早に通り抜け、すっかり見慣れた人工灯の光と合流する。普段誰も近付かないような路地裏から大急ぎで飛び出してきた青年と少年二人の奇妙な取り合わせに数人の通行人が目を丸くして驚いていたが、 それに愛想笑いを返している場合ではなかった。
あぁもう、あのトラブルメーカーは。
紺那がついているからと安心していたのが間違いだった。
保護者さえも巻き込んで、一体今度はどこに喧嘩売ったんだか。
足早に雑踏を通り抜けながら零した低い舌打ちは街の喧騒に飲み込まれて、誰の耳に届く事もなかった。
***
重い重い灰雲の壁
暗い暗い鋼の鳥籠の中
冷たい格子の隙間から夢見る憧憬の色は、蒼。
焦がれて掠めて遠ざかる、あの色はまだこんなにも遠く。
叶わない夢は夢のまま。
夢見る色も鮮やかで掴めないまま。
籠という名の鋼の牢獄。
捕えられたのは
ひたすらに諦めの悪い、鳥達。
微かに鳴った風の音には
まだ、誰も気付いていない。