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act:01-06

短く叫んだ声と同時に強く腕を引かれて、少女は何が起きたのか分からないままにその身を宙に投げ出した。いや、正確には紺那の助けでその場から飛び退く事が出来た――と言った方が正しいか。もし彼女一人であったなら反応出来なかっただろうし、仮に反応出来たとしても自力で飛び退くだけの力が残されていなかった。彼女の体力はそれ程までに尽きていたのだ。
突如頭上から狙いを定めて突っ込んできた『何か』は、一瞬前まで三人が立っていた地点を容赦なく抉り取って地面の破片を撒き散らす。人ではない、けれどそこには確かに『何か』の影が砂煙の中で蠢いていた。何本にも枝分かれした、ぐにゃりとあらゆる方向に伸びる細い影――
「糸―?」
眉を顰めて低く呟いたのは、砂煙の中で目を凝らす紺那だった。彼女の声に応えた、という訳ではないのだろうが丁度良いタイミングで新たな声が響いてくる。

「家出ごっこはその辺にしておきましょうか、お姫様?」

カツ、と硬い地面に響くのはヒールの音。クスクスと笑う艶やかな声は砂煙の向こう側から聞こえてきたが、相手の姿は未だ確認出来ない。
「あー、もー!次から次に鬱陶しいっつーの!誰だよもー!」
二人とは逆方向に飛び退いた晴は、紺那よりもほんの一瞬早く敵襲に気付いただけあって既に銀の鉄棍を引き抜いて構えていた。けれど、相手の姿が見えない事には流石の彼も攻撃のしようがない。苛々と叫ぶ様を逆撫でするかのように、笑い声は続く。
「こんな坊やとお嬢ちゃんに倒されたなんて…コランダムはもっと傭兵の質を上げた方がいいわね」
長い紫色の髪を細い指で梳きながら、ようやく砂煙の向こうから姿を見せたのは妖艶な雰囲気を漂わせた女だった。体のラインを強調した服に深いスリットの入ったロングスカート。剥き出しの白い左肩には漆黒の蝶の刺青が刻まれており、右手には銀色に光る細い糸が生き物のように動きながら巻き付いている。地面に入った亀裂から呼び戻されるように浮き上がったのは正真正銘彼女の右手から伸びる糸で、彼女はそれを自在に操って手元まで引き戻した。それがただの糸ではないとは分かるけれど、何なのかまでは分からない。分かるのは石造りの地面を抉った程の破壊力なのだから、あれをまともにくらったらマズイという事だけ。
「反応はまずまずだったわ。まぁ、気付かない内に死んでた方が幸せだったかもしれないけど」
クス、と紅の唇が艶やかなラインを描いて笑う。見せ付けるような余裕は性格的なものなのか、それとも一瞬で相手との実力差を見抜いたからか。後者ではない事を内心で祈りながら、紺那は疲労で荒い息を零す少女をさり気なく背後へ庇いながら気丈にも笑った。
「そりゃあね、アンタよりずっと若いから反応には自信あるし」
挑発的な言葉に形の良い女の眉が僅かに吊り上がる。どうやら思った以上に感情的な性格であるらしい。紺那の方を向いた褐色の瞳が鋭く細まった。
「お黙り、小娘。避けきれなかったくせに強がるんじゃないわよ」
「――っ」

思わず押さえつけたのは、飛び退く時に糸が掠めていった左腕。肩と肘の丁度中間辺り、僅かに切れた皮膚からはジワリと血が滲んでいて、それは攻撃を避けきれなかったという動かぬ証拠となった。
一人だったら避けきれたかもしれない。けれど彼女はもう一人を庇う事で己の腕を犠牲にした。問題なのは傷口の程度ではなく、あの特殊な糸の攻撃力の高さだ。掠めた程度でこの切れ味。それに加えて、不規則な動きを見極めるのは相当難しいだろう。

「紺那!怪我したんかっ!?」
少し離れたところから飛んできた晴の声には片手を振る事で応える。
「平気。掠り傷よ」
「掠り傷、ね」
意味深な含み笑いに一瞬眉を顰めたが、相手の挑発だと思って聞こえないふりをした。

――が

「――!?」

グラリと揺れた視界が奇妙な角度で捻じ曲がり、自分の意思とは無関係に崩れる身体を支える為に何とか片膝をつく。背後に庇った少女が慌てて小さな手の平を伸ばしたのが歪んだ視界の端に映ったが、彼女も疲労が限界で力の抜けた紺那の身体を支えれる筈もなかった。
「!紺那ぁ!てめー、紺那に何したんだっつーの!」
喚く晴の声すらもどこか遠くに聞こえる。傍で懸命に自分の肩を揺する少女の手の感覚すらもよく分からず、手足が自分のものではないかのように重い。指先の感覚が消えて、それはまるで強い麻酔を打たれたかのような――
「……っ仕込んでたのね」
ようやく自分の身体に入ったものが何なのかを回らない思考で理解する。僅かな傷口から侵入した、それは恐らく即効性の麻痺薬。崩れ落ちそうな身体を必死で繋ぎ止めながら、紺那は気丈にも顔を上げて女を睨み付けた。
「ご名答。でも普段は使わないわよ、そんな面倒臭いもの」
紺那の強い視線すらも受け流して笑う声は相手を小馬鹿にしたような響きで、やたらと癇に障る。それすらも意図的なものなのか、彼女はクスクスと笑う声を絶やさずに肩から滑り落ちた長い髪をフワリと背中へ流した。
「今回は特例。お姫様の奪還が最優先だからね」
「―っ」
褐色の瞳が紺那からその後ろの少女へ目線を移すと、金の瞳と視線が交差する。それは、宙で交わした一瞬の目線の勝負。圧倒的に不利な状況下でも逸らされる事のない強い黄金の色彩に、女は面白そうに咽を鳴らした。その音に不愉快そうに眉を顰めて、手にした鉄棍に力を込めたのは晴。
「っざけんな!何処の誰だか知んねーけど、俺の仲間に手ぇ出したんだから敵決定!敵なら倒すだけだっつーの!」
「!ダメ!やめて!」
弾かれたように叫んだ少女の制止の声すら振り切って、地面を蹴る。隊の中ではまだ実力は低いものの、スピードと瞬発力なら自信はあった。――けれど、遭遇した未知の実力者は彼の更に上を行く。
「元気な坊やは嫌いじゃないわ。…ただ、煩いガキはムカつくのよ」
一瞬で距離を詰めた先、少年の動きをはっきりと捉えた褐色の瞳に冷たい光が宿った。ヒュッ、と目の前を横切った影に空色の瞳が大きく見開かれる。それが女の左手だと分かったのは、顔面から地面に叩きつけられた後だった。
「――っ」
攻撃を仕掛ける前に派手に地面に叩きつけられた小柄な身体は数度余韻を残すかのように跳ねて、うつ伏せに地面に横たわる。それでも何とか起き上がろうと伸ばされた手はその隙を見逃して貰う事なく、高いヒールの靴に容赦なく踏み付けられた。普段感じる事のない、手の甲への局地的な痛みに幼い顔が歪むが、その瞳に絶望の色が浮かぶ事はない。
「…っんのヤロ…ッ」
「しぶといガキね。大した実力もないくせに」
引き攣った手の平は起き上がる術を掴むかのように、指の腹で固い地面の表面を何度も擦る。けれど中心を踏み付けられていては、地面に縫い止められた影のようにそこから剥がれる事など出来ない。幼い手の甲が踏み躙られる様を捻じ曲がった視界に捉えて、紺那は切れ切れの息を零した。
「せ、い…」
「そっちももう限界みたいね」
チラリと紺那の方へ目線を投げた後、女は足の下でしぶとくもがく手の主に目さえ向けずにその腹部を爪先で強く蹴飛ばした。勢い良く厚い壁に突っ込んだ晴は、今度は背中を強く打ち付けてズルリと力無く地面に崩れ落ちる。気絶してしまったのか右手に鉄棍を握り締めたまま動く気配のない少年の身体を遠目に、紺那はギリと奥歯を噛み締めた。

相手の力量を測れない程に弱くはない。
ハッキリと分かる、彼女はその辺の傭兵と比べものにならないくらい強い。

ゆっくりとこちらに近付いてくる姿すらも、もう霞んで半ば確認出来ないくらいに薬が回っている。けれど、このまま倒れる事だけは自分が許せない。何もしていないのに終われない。意地とプライドだけで繋ぎ止めていた意識の中、ふいに視界を遮ったのは白い影だった。
「――!」
ヒラリと風に靡く、ところどころに血痕のついた白い服。女が目の前に辿り着く前に、紺那を護るように彼女の目の前に両手を広げて立ったのは空色の髪を持つ少女だった。小さな背中に取り付けられた鋼の翼が、重い灰雲の下で鈍く輝く。
「…何のつもりかしら?」
低い位置から真っ直ぐに仰ぐ瞳は鮮やかな金色。紡がれた声音はモノクロの世界に染み渡るように凛と響く。
「もうやめて。この人達は関係ない」
「この子達を巻き込んだのは貴女よ、お姫様」
「そんなの分かってる。…いい加減その呼び方やめて」
苛々する、と変わらない声音で続けてから、彼女はゆっくりと、それはどこか自身に言い聞かせるように言葉を紡いだ。

「塔に戻るから。この人達にこれ以上酷い事しないで」




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