「また俺が荷物持ちかよ…」
不機嫌全開で口を尖らせる晴の両手には、今日の買出しで(大半値切って)買い込んだ大量の荷物。細い路地を大通りに向かって逆戻りする彼らの歩調はひどく疲れているらしい金属翼の少女を気遣ってか決して速いものではなく、三つの影が石造りの地面に濃い色を落としていた。薄汚れた厚い壁は彼らを取り囲むように続くばかりで、未だに大通りの開けた視界は見えてこない。荷物の代わりという訳でもないだろうが、自分よりもずっと小柄な少女の手を引きながら紺那は眉を顰めて遠慮なく不満を零す晴を見やった。
「当たり前でしょうが。そんなんでも一応アンタ男でしょ」
「でも紺那のが力あるっつーの…」
「相変わらずデリカシーの欠片もないよねーアンタ」
「イデデデ!痛い痛い!!」
呆れ混じりの言葉を投げながら硬いブーツの底で晴を踏み倒す、そんなとんでもない光景すらも彼らにとっては日常茶飯事のようだった。そのまま何度かグリグリと晴の背中を踏みにじると、彼の背で形を成す白いラインで描かれた印が砂混じりの薄茶色に変色する。
「背中踏むなよ!疾風マークが汚くなるじゃんかー!」
「あ、そ。じゃあ今度から頭踏むわ」
「踏むなって言ってんだっつーの!バカーっ!」
「え?晴、今なんて?」
「イッテェ!ごめんなさい許して!!」
薄笑いで(けれど目は笑っていない)晴を虐め倒す紺那と、半泣きで逃げ回る晴と。あまりにも緊張感なく賑やかなこの二人組に、金属翼の少女は物珍しそうに瞳を瞬かせる。
「…いつもこんなやり取りなの?」
「そう!紺那ってば狂暴で横暴なんだっつーの!」
助けて!と、勢い良く跳ね起きた晴は隠れるように少女の小さな背中の後ろへ回り込もうとする。けれどその首根っこを空いた手ですかさず掴んで、紺那はそのまま少年を地面へ放り投げるように転がした。男性にしては小柄で細身のこの少年くらいならば、どうやら彼女の片手で事足りるらしい。妙な悲鳴を上げて転倒した晴を(ちなみに抱えていた荷物は最初に転んだ段階で見事にその辺にばら撒かれていた)表情を変える事なく見下ろして、その後少女に向き直る。至極真面目な表情で、紺那は肩を竦めてみせた。
「ガキは拳で躾けるのがうちの隊のモットーなんだ。付け上がると面倒だからね」
「嘘吐きー!朱璃(シュリ)は暴力振るったりしねぇもん!」
仲間である穏やかな性格の(けれど怒らせると怖い)航空士の名前を挙げたりもしてみるが、地面にへばり付いて喚く晴の主張は軽やかに無視された。無駄にテンポの良いやり取りに金の瞳が僅かに緩む。
「…変なの。漫才みたい」
「それってあたし的には超絶に不本意だなぁ」
げんなりと呻く紺那の言葉に更に緩く瞳を細める。小さく漏れた吐息に敏感にも反応したのは意外な事に地面に転がったままの少年で、彼は低い位置から覗き込むように金の瞳を見上げてきた。
「?もしかして今笑ったんか?」
「え、あ…ごめんなさい…つい…」
「んや、それはいーんだけど」
転がったままの身体を反動をつける事で身軽に起こして、紺那よりかは近い目線で少女の顔を覗き込んだまま小首を傾げる。
「普段あんま笑ったりしねーの?」
「え?」
「何かスゲーぎこちねぇから。笑う事に慣れてねぇみたいだ」
探る訳ではなく、それは純粋な疑問として。特に深い意味もなく告げられた正直な感想に、少女の瞳が小さく見開かれた。
『普段あんま笑ったりしねーの?』
あの場所で、笑える筈がない。
あの場所にいると感情が麻痺して、笑える事すら忘れていく。
ゆっくり、ゆっくりと。
侵食されて、刷り込まれていく。
あそこに留まる限り、私は私でいられない。
その前に、私という存在が――分からないけれど。
戸惑いがちに溢れる想いは表現する言葉を知らずに、結局音となる事はなかった。歪む金の瞳は先程ぎこちなくも笑ったそれとは違う種類のもので、けれど彼女は他に表現する術を知らない。
「…そうだね。笑った記憶がない、な」
「うぇぇ〜〜?なぁんで…」
無遠慮に追求しようとした晴の後頭部をパン!と叩いて、続く筈だった言葉を掻き消したのは紺那。晴よりずっと聡い彼女は何かを察したのだろう、それは先程の(彼女曰く)躾よりもずっと軽い制止だったが、空気の読めない少年の言葉を遮断するのには充分だった。叩かれたせいでガクリと前に揺れた緑色の頭に少し驚いたのか、半歩後ずさった少女に目を向ける。
「もうすぐ大通りに出るから。少し目立っちゃうかもだけど、逆に相手側もそんなに追っては来れないでしょ」
「…」
「郊外にあたし達の家があるの。そこまで頑張れる?」
「…家?」
ゆっくりと瞬いた鮮やかな黄金の瞳に明るく笑いかける。口にする言葉は彼らの愛するホームの名前。
「飛空艇『風竜(ウインド・ドラゴン)』。今は王都郊外に無断停泊してる。…ナイショね?」
少し悪戯っぽく咽を鳴らせて笑う表情はモノクロの街並の中で鮮やかに色付き、無機質な鉛色の壁に囲まれたあの場所では決して見る事の出来ないもののような気がした。そしてそれは、あの場所にいた自分も持っていないものなのだと痛感させられる。眩しそうに、少し羨ましそうに紺那を見上げる瞳を傍らで眺めながら、何故だか若干不機嫌そうに口を尖らせたのは晴。
「…ていうか、お前さぁ…」
そこまで言ってから、ふいに幼い空色の瞳に緊迫の色が混じった。それとほぼ同時に、繋いだ手から紺那の指先に緊張が生まれたのが伝わる。
「――飛んでっ!!」
「!?」
それはまるで、間近で響いた紺那の声が合図となったかのように。強く腕を引かれて地面から足の裏が離れたのと同時に、地面が派手に抉れてその下の土砂が高く巻き上がった。