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act:01-03

叶わない夢は夢のままで

叶った夢は夢でなくなる。



彼女の夢は、夢のまま。







***


「……痛…」
確かに瞳に映った蒼の色彩は濁った灰へと色を変え、それから漆黒の闇が訪れた。何とか暗闇から抜け出したかと思えば、体中に走る痛みに顔を歪める羽目になる。パラパラと落ちてくる瓦礫の欠片に目を細めながら、少女はゆっくりと瓦礫のゴミ溜め場から這い出した。


手は動く。
足も動く。
骨は折れていないようだったが、痛みを感じる。
酷い疲労も、感じる。

それはつまり、生きている証。


浅く息を吐き出してから少女は小さくかぶりを振った。その動きに合わせて、空色の髪についた瓦礫の欠片がパラパラと落ちてくる。
瓦礫の寄せ集めのようなゴミ溜め場は市街地隅の一角に隔離され、人通りが少ない。両脇に立つ白っぽい崩れかけた壁には幾つもの亀裂が入り、ところどころには穴が開き、その建物が現在まともに利用されていない事を示していた。
独りきり、硬い地面に座り込んだままゆっくりと頭上を仰ぐと、張り巡らされた黒い鉄線の向こう側に鉛色の雲が見えた。先程まで遥か下にあった大地と空との境界線は、今は手を伸ばしても届かない程に遠い。下から見上げる鋼の塔は嫌な重圧を放ちながら、ただ静かに聳え立っていた。彼女はあそこの上層から落ちたのだ。否、正確には『自ら飛び降りた』。

(…我ながら凄…)
首を捻って、背中に取り付けられた金属の翼を振り返る。あれだけの高さから落ちたというのに、折れるどころか傷一つついていない。それが何だか憎らしくて、けれど今は僅かに瞳を細めるだけに止めておいた。
落下の衝撃を和らげてくれたのは、この呪われた金属の骨組みなのだ。それは、それだけは確かな事実。飛び降りる際に赤い光を放っていた宝玉は、今はただ通常の蒼い色彩を纏い静かに輝いていた。
(…飛べなかったけど)
細く冷たい鋼の翼は彼女を支えるだけが精一杯で、また、彼女自身にも原因があり飛ぶ事など叶う筈もなかった。
『浮遊』と『飛翔』は異なるもの。彼女の翼では浮遊が限界だった。知らなかった訳でなく、知っていて強行突破した結果がこれである。

無茶をした自覚はあるが、死ぬ為に飛び降りた訳じゃない。
だから、ここで死ぬのは無意味。

「…ここ、どこだろう…」
蒼の世界に留まる事は出来なかったけれど、あの冷たい鳥篭から、透明の壁から抜け出したのは確か。けれど籠の中の鳥は外の世界を知らず、方向感覚も定まらない。市街地だという事は分かるけれども、これからどう行けば目的地に着くのかなど分かる筈もなかった。
服についた汚れを払い落とそうとして、血に染まった自分の服に気付く。今更怖いとは感じなかったが、マズイとは思った。
(これじゃあ逆に目立っちゃうじゃないの…)
どうしようかと思考を巡らせていた丁度その時。


「うわ!?何だよお前、血だらけじゃん!大丈夫か!?」


明るい声と共に頭の上から影が差して、反射的にギクリと体が強張る。一度きつく瞳を伏せて、それから覚悟を決めたようにおそるおそる仰いだ先の色彩に彼女は思わず息を呑んだ。

澄みきった、明るい空色。
それは、つい先程この目に焼き付けたものと同じ色彩。

言葉が上手く音にならずただ大きく目を見開いてその色を見上げていると、空色の瞳を持った少年は座り込んだままの少女の目線に合わせるようにその場にひょいとしゃがみ込んだ。鮮やかな蒼が、更に近付く。
「なぁ!どっか怪我してんのか?ていうか、何かボロボロだなー」
両手に余る程の大荷物を傍らに置いてから、少女の空色の頭についた瓦礫の破片をパタパタと払い落とす。その手はまだ小さく、けれど少女よりかは大きく、小さな子供のように体温が高く温かかった。一方的に放たれる無遠慮な問いに対して何か言わねば、と焦って紡いだ声は思った以上に掠れた音となる。
「違…これ私の血じゃ、ないの」
「へ?」
きょとんと瞬く大きな瞳には真っ直ぐな光。だから余計に、自分が穢れた存在に思えた。

私はたった今、沢山の人の血を浴びてきた。
それを知ったら彼はどんな顔をするだろう?

居心地悪そうに目を逸らすと、間髪入れずに予想を遥かに上回る明るい声音。
「あー、なぁんだ」
思わず目を向けると、細められたツリ目気味の瞳が一本の線となる。やけに幼い、人懐っこい笑顔で少年はニカッと明るく笑った。
「そんじゃお前は怪我してねぇんだな?びっくりさせんなっつーの」
元々が幼いというのに笑うと更に幼く見えるその笑顔は、鉛色の雲の上で輝いていた太陽に似ていた。驚いて瞳を見開く少女に笑いかけて、それからふと気付いたようにぐるりと辺りを見渡す。
「…っと。そういや俺、光追ってきたんだよな。確かこの辺に落ちたと思ったんだけど…」
「光?」
「そ。赤い光で…」
首筋を掻きながらきょろきょろと辺りを見回す少年が最後まで言葉を紡ごうとした、丁度その時。

「――晴!!」

ふいに響き渡った怒声に二人揃って目を向けると、真紅の髪の少女が息を切らせて駆けて来るところだった。顔見知りなのか、しゃがみ込んでいた少年が立ち上がる。
「あ、紺那」
「悪びれなく普通に返事するな!アンタあたしに喧嘩売ってんの!?」
「イッテ!!」
つかつかと歩み寄ってきた少女は清々しい程思いきり、晴と呼ばれた少年の頭を叩き倒して叫ぶ。余程痛かったのか、少年の目にジワリと涙が浮かんだ。
「な、何すんだっつーの…!」
「泣くな、鬱陶しい!何なの、アンタは!いきなりどっか行くし!無駄に足速いんだから全力で走るのやめてくれる!?」
「む、無駄じゃねぇもん…」
「泣くなってば!男でしょが!」
容赦なく叩かれた頭を抱え込むように擦りながらグスグスと鼻を啜る少年を一喝して、新たに乱入してきた赤毛の少女は地面に座り込んだまま唖然としている少女へ目を向けた。白い服と白い肌に飛び散った血痕を捉え、紫色の瞳がぎょっと見開かれる。
「うわ、何、アンタ!血だらけじゃないの!」
「あ、問題ねぇよ。ソイツの血じゃねぇんだってー」
「それはそれで問題でしょうが!馬鹿晴!」
再び晴を叩き倒して、紺那と呼ばれた少女はひょいと僅かに身を屈めた。ほんの少し緊張した面持ちで、けれど臆する事なく紺那を見上げる金の瞳を探るように見やった後、両手を腰に当てジロジロと品定めするように少女を眺めてくるりと晴を振り返る。
「何、晴。この娘口説いてたの?アンタ、こういう娘がタイプなの?ていうか、そういうの興味あったんだ?」
「はぁ?何言ってんだっつーの」
怪訝そうに眉を顰めて頭を擦りながらようやく起き上がった晴は、17歳男子にしては幾分細い肩を竦めて両腕を軽く広げてみせた。
「さっきも言ったじゃんか。俺はー、光を追ってー」
「光なんてどこにもないじゃない」
腰に手を当ててかぶりを振る紺那と、おっかしいなーと辺りを見回す晴を交互に見上げ、ようやく少女は口を開いた。どこか遠慮がちに声が小さくなってしまったのは仕方ないだろう。
「あの、もしかしたらその光って私かも…」
「「へ?」」
「これが、赤く光るから…」
そう言って、背中の翼についた宝玉を指す。青く染まったままの宝玉では説得力がないかもしれないが、真実なのだから仕方がない。
「光る?さっきから思ってたけど変わったアクセサリよね」
少女の肩越しに翼を見やって不思議そうに瞳を瞬かせる紺那の言葉に、僅かに表情を曇らせる。単なるアクセサリならどんなに良かった事か。けれど、これが単なるアクセサリだと彼女の目的は恐らく達成されない。
「アクセサリじゃないの。…取れないから」
「取れない?」
不審気に細められた紫の瞳を見返す事が出来ずに目を逸らす。気まずそうに視線を巡らせ、それでも結局視線の行き場を失って俯こうとした時、正面から聞こえた声音は彼女の心中に反して明るく軽いものだった。
「ふーん。そんじゃ翼が生えてんのか。鳥みてぇだなー」
再び少女に合わせるようにしゃがみ込んで笑うその声が、気楽な姿が何だか羨ましくて、少し妬ましくて。
「…でも、飛べないよ」
ポツリと呟いた声が思った以上に小さくて、頼りなくて、自分で驚く。そっと晴の方に目を向けると、彼は何故か心底不思議そうに空色の瞳を数度瞬かせたところだった。彼が何かを言おうと口を開きかけたところで、二人の傍らに立ったままの紺那が口を挟む。
「…ちょっと聞きたいんだけど」
「?」
晴から紺那へ目線を移すと、ヒラリと片手を振る仕種。あまりにも気安いその仕種の後に、彼女は形の良い眉を片方だけ僅かに上げてサラリと場の空気を変えた。
「どうやら随分ワケアリみたいだけど。もしかしてこの騒ぎの中心にいるのはアンタ?」
「さわ、ぎ?」
言っている意味がよく分からずに投げられた言葉を繰り返す、その傍らではしゃがみ込んでいた晴がゆっくりと立ち上がる。その目線は既に少女から離れ、先程彼が駆けて来た通路の方を捉えていた。爪先で地面を軽く叩いて、片手をしゃがみ込んだままの少女へ差し出す。
「とりあえず、立っとけ。もうすぐ来るぜ」
「来る?」
「ざっと十人ってトコか。一応聞くけどあっちが悪者だと見なしていいんだよね?1対10は割に合わないし」
「だから何の――」
何の事、と尋ねようとした少女の耳にようやく届いたのは地面を踏む足音。遠くから徐々に近付いてくるその音は一人分ではなく複数のもので、普段人の寄り付かないようなゴミ溜め場では聞けないような音だった。サッと顔色を変えた少女の様子を流し見て、紺那は差し出されたままの晴の手を押し退けて(盛大なブーイングが起こったが軽やかにスルーされた)彼の代わりに少女の腕を掴むと半ば強引に引っ張り起こす。
「ホラ、いいからさっさと立つ!ちゃんと立たないと、進めないし戻れもしないよ。…っと、ゴメン強引過ぎた?」
慌てて謝罪の言葉が加わったのは、立ち上がった少女の身体がフラリとよろけた為である。しかし、彼女がよろけたのは強引に立たされてバランスを崩したからではない。足の裏が地面についた瞬間、グラリと視界が揺れて膝から力が抜けた。立ち上がっただけで、酷い眩暈と極度の睡魔が押し寄せる。

分かっている。
これは、翼の力を使った反動。

「紺那が馬鹿力だから身体がついていかねぇんだっつーの」
「うっさい馬鹿晴!へなちょこ筋力のへなちょこ小僧に言われたくない!」
茶々を入れる晴を(もう何度目になるか)拳で黙らせて、紺那は浅い吐息を断続的に零す少女の肩を支えながら彼女の顔を覗き込んだ。
「ごめん、もしかして足が悪いとか?それとも具合悪い?」
「…ううん、平気。それより」
貴方達は逃げて、と続けようとした丁度その瞬間。


「――いたぞ!逃げ道を塞げ!」


そう広くもない通路に響き渡ったのは追っ手の声。思わず身を固くして瞳を伏せた少女の脇では、緊迫した空気の中でも変わらないマイペースな声が二つ。
「逃げ道塞げ、だって。十人程度で塞げると思ってるらしいよ、晴」
「半端なくナメられてるっつーの。ムッカつく!」
やれやれとかぶりを振る紺那と、幼い顔を顰めて首を捻る晴と。少女が口を挟む前に、駆け付けた十人程の武装した傭兵達を見据えて彼らは笑った。

武装した大人が大勢と、軽装の子供が三人。
この状況下で堂々と、不敵に。

「そもそも逃げ道なんか必要なくない?あたし達は進むだけ」
「そこも塞がれたら自力で拓くだけだっつーの!っしゃあ!やってやんぜっ!!」




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