「あー、もう!ちゃんと値切れたのに何で俺が荷物持ちなんだっつーの!」
王都スティリックの賑やかなメインストリートを歩きながら拗ねた子供のように口を尖らせるのは、両手に溢れる程の荷物を抱えた少年。明るい空色の瞳に、重力に逆らって跳ね上がる緑色のクセッ毛。紺のタートルネックの背中には何かのシンボルマークのような白い印が描かれていた。滑らかな曲線を描くそれは、鳥を横から見た時の形にも似ている。肩から筒状の茶色の荷物を引っ掛け、それとは別にまだ大きくなりきっていない両手で必死に手元の荷物が落ちないように抱え込む。少年とは対照的に身軽に隣を歩く少女を横目で恨めしそうに見やると、指先で軽く額を弾かれた。
「煩いなー。アンタあたしより新入りで後輩なんだから当たり前でしょうが。それに、値切るのは当然なの」
呆れたように息をつくのは真紅の髪を持った少女。背格好は少年と似ているが、会話や雰囲気から少年よりもいくつか年上という事が窺える。鮮やかなオレンジ色の服の裾には少年の背に入ったマークと同じものが赤いラインで彩られていた。膨れっ面で隣を歩く少年を紫水晶のように澄んだ瞳でうんざりと見やって、小さな子供に言い聞かせるように言葉を続ける。
「だ・い・た・い!アンタすぐ勝手にチョロチョロするんだから、こんくらいの荷物でも持たせてないと駄目なの!重石(おもし)っていうか」
「クッソー!こんなんじゃお菓子買いに行けねぇし!」
「行くなって言ってんのよ!毎回毎回馬鹿の一つ覚えみたいにお菓子お菓子って…いくつよ、アンタ?」
ジロリと横目で睨むと、空気を読めない性格ゆえに自信満々に笑う表情。
「おぉ、ピチピチの17歳だっつーの!」
「今時の17歳は『ピチピチ』なんて言葉は使わない筈なんだけど。オッサンじゃないんだから…」
冷たいツッコミと共にフイとあっさり顔を背けて、緩くかぶりを振る。いちいち相手にしても無駄な事は充分に分かっていた。
「大体、誰が『疾風』の切り込み隊長よ。ただの雑用のクセして」
「ム、俺はなー、その内切り込み隊長になるんだっつーの!この前隊長に志願書提出したもんな!」
「あー、無理無理。そりゃあもう忘れられてるって」
ひらりと片手を振ってから視線を流すように頭上へと移して。視界に入ってきた窮屈な街の作りに思わず眉を顰めた。
街の至る所に建てられた巨大な支柱から張り巡らされた黒い鉄線は蜘蛛の巣のように頭上で複雑なラインを描き、鉄線に括り付けられた人工灯が無機質な光を落とす。街の何処にいてもぐるりと視線を巡らせば嫌でも目に入る鋼の塔は厚い灰色の雲を突き抜け、重い圧力を街全体にかけていた。
どの街よりも、頭上が低い。
それは錯覚でも何でもなく、ストレートに目に映る事実。
やや閉所恐怖症の症状を持った仲間の一人がこの街は嫌いだと漏らしていたのを思い出しながら、少女、紺那(カンナ)は浅く息をついた。なるべく上を見ないようにしながら目線を少年の方へ戻すと、丁度同じような事を考えていたのか明るい空色の瞳が嫌そうに細められる。
「俺さー、この街好きじゃねぇなー」
「…」
「天井低いし境界線が濃い。人工灯の色もキッツイ」
彼の言う『天井』はこの街の空の事、『境界線』は頭上に広がる灰雲の事を指す。彼は、いや、彼らはこの低い天井を『空』だと、また、この薄汚れた境界線を『雲』だと認めていない。本物の空を、雲を、光を知っている彼らはどうしても、地上から仰いだ時の眺めに慣れる事が出来ないでいた。だからこうして物資の調達に時折地上に寄った後は、境界線を突き抜ける艇で『本物の』空へと旅立つのだ。
「…何処だって同じようなモンでしょ」
「俺の故郷はまだマシだっつーの」
スイと目線を横に流してわざと素っ気ない返事をするが、それには気付かない少年は無遠慮なほどに真っ直ぐ食い下がってくる。確かに彼の故郷である職人都市アーティクトは、北大陸フロストに位置する為に王都よりも空と大地の間に広がる境界線は薄い。いや、この場合王都よりも境界線の厚い地帯など存在しない、と言った方が正確かもしれない。何故なら太陽の光を遮る人工の境界線は王都の中央に聳え立つ鋼の塔から排出されているのだから。現在コランダムが所有しているこの塔はもう随分昔からこの場所に建ち、汚れたガスを少しずつ吐き出して空に境界線を作り出した。それが今では世界中に広がっているのだ。
うんざりと眉を顰めて頭上を仰ぐ少年を軽く小突いて、紺那はほんの少しだけ声を潜めた。察する聡さを持たない者には直接教えてやるしかない。
「…晴(セイ)、その辺にしときなさい。一応街のど真ん中なんだし」
そう、仮にもこの街の住民にこの街の悪口を堂々と聞かせる訳にはいかないだろうというのが、先程から敢えて会話を濁していた紺那の考えだった。ようやくそれを理解したのか、ちぇ、と口を尖らせて黙り込んだ晴を横目で流し見て、やれやれと息をつく。
「多分疾風の皆も同じ事思ってる。さっさと艇(うち)に帰ろう」
「了解ー」
嘆息混じりの返事と共に頭上から目線を下ろそうとして、そこで晴は僅かに目を見開いてピタリと足を止めた。
「晴?」
突然立ち止まった連れに怪訝そうに顔を顰め、晴よりも数歩先で足を止めた紺那は苛々しながら向き直る。
「もー、何してんのよ、晴。お菓子は買わないからね。あたし副長に見て貰いたい銃あるんだから、さっさと帰ろうってば」
晴の事だから美味しそうな食べ物でも見付けたのだと思ったのだろう。けれど急かすような紺那の声にも反応せずに、その空色の瞳は王都中央に聳え立つ鋼の塔の方角を真っ直ぐに見上げている。瞬きすらなく。
「…紺那」
「何?」
短く返事をすると、両手が荷物で塞がっているせいか顎で塔を指す仕種。
「何か、光った」
「はぁ?」
「赤い光で」
「どうせ塔内で何か実験でもしてんでしょ?関係ないじゃん、放っておきなさいよ」
「…違う。何か…」
視線を逸らさないのか、逸らせないのか。
塔の方を仰いだまま動こうとしない晴の様子に眉を顰め、紺那は仕方なくそちらへ視線を投げた。
黒い鉄線の隙間から覗くのは、鉛色の濁った雲とその雲を突き抜ける巨大な鋼の塔。
光なんて何処にも確認出来ない。
「ちょっとぉ、アンタ視力いくつよ。光なんか見えないし」
「……」
「晴?せーい?」
黙って遠くを見つめたままの晴の目の前を遮るように片手をひらひらと動かす。それとほぼ同時に弾かれたように視線を落とした晴は、空色の瞳を大きく見開いたまま急に横道へ足を向けた。
「違う!落ちてきてるんだ、アレ!」
「は!?ちょっ…晴!」
意味不明な言葉と共に急に駆け出した晴の方へ伸ばした手は彼に届かず空を切る。雑用のくせにあの少年は隊内で最も足が速い。荷物を抱えているというハンデを背負いながらも物凄いスピードで小さくなっていく背中を一瞬唖然と見送ってしまってから、正気に戻った紺那はその後を追って慌てて駆け出した。
「もー!何だってのよ!だからアンタと買出しに来んの嫌なんだってば、馬鹿晴!」