>> ソラカゴ TOP > 小説置場 TOP

act:09-04

一度目は遠くで見た赤い光
二度目は間近で見た緑の光

その鮮やかさに魅せられて仰いだ先、
平坦を切り裂いて落ちてくるのは、いつの時も風を纏った鳥だった。







***


強過ぎる力によって轟音と共に上から突き破られた天井は、その力の原因――吹き荒れる風の渦に巻き込まれ、大きめの破片すらも周囲へ撒き散らした。その為、破片がそのまま真下に降ってくる事はなかったが、遥か上層から幾層をも貫通してきた風力は力を弱める事なく更に下へと突き進む。渦を描く風の中心に見えた緑色の光は大きく広がった金属翼の先端から放たれており、それを視界に映した少年は殆ど反射的に両手を上に向けて高く掲げた。


それは天井さえも簡単に壊す暴力的な力に対して、あまりにも無防備で愚かな行為。
何を知っていた訳でもなく、そもそも自分の行動の意味すら考えもしなかった。

しかし一瞬、ほんの一瞬ではあったが
風の渦と緑光の隙間から見えた気がしたのだ。
自分のそれと交差した気がしたのだ。


驚きに見開かれた金の瞳が。


あの力の中心にいるのが誰なのかまでは分からなかった。見覚えがあったかどうかすら考える余裕などない。風の音に混ざって人の声が聞こえた気もしたが、断片的ですぐに掻き消されてしまった為に聞き取る事は出来なかった。元々勢いだけで行動するところのある少年にとって、この時『危険』や『無謀』という常識的な言葉は全て掻き消えていたのである。状況を瞬時に理解した訳ではなく、空色の目に焼き付けている事だけが、心が動かした行動こそが全て。
後先考えずに行動する愚かな少年に与えられるべきだった一瞬後の死は、しかし何故か宙に霧散して溶けた。本能のままに伸ばした生傷だらけの両手が風の刃に触れて切り刻まれるその瞬間、不思議な事に膨れ上がっていた力が突如消失したのである。緑光の余韻だけを宙に焼き付け、最後に残された緩やかな風が空へと還るように真上に向けて吹き上がる。繭のように包んでいた風の中から解放されたのはふわりと揺らぐ白い塊で、それは浮遊感を維持させる事なく落下してくると掲げられた両手と接触し――下で受け止めた少年ごと派手に転倒した。

「「――っ!」」

双方の声にならない悲鳴が重なる中、彼らはそのまま縺れ合うように倒れ込み床の上を転がっていく。さほど長い距離を転げた訳ではないが床には擦れたような跡が付き、回る視界が脳を揺らした。
何が起きたのかは恐らくどちらにも分かっていなかっただろう。ようやく動きが止まり視界が定まってきても、この状況を整理して理解するには少々時間が必要なようだ。とりあえず体が自由に動く事に安堵しながら先にモゾリと動いたのは白い塊――ゆったりとした白い服だった。動きに合わせてふわりと揺れたそれを纏った少女――蒼姫は両手を下について体を支えながらその場でゆっくりと上体を起こす。ぼんやりとした思考を切り替えるかのように緩くかぶりを振ると、頭から細かい破片がパラパラと落ちてきた。背中の翼は既に元の重さに戻っており、意図的でないとはいえ力を使った影響かひどい疲労感を感じる。小さな咳を一つ零し、頭に付いた破片を片手でパタパタと払い落としながら彼女はゆっくりと周囲を見渡した。

蒼姫が落ちてきた天井の穴は改めて見ると思っていた以上に大きく、そこにぶつけられた力の強さを物語る。遥か上層から一直線に貫通している為に巨大な吹き抜けが出来上がっていたが、一番上の天井はもはやゴマ粒よりも小さく遠く、ここから再び戻るのは無理そうだった。そもそも彼女は『浮遊』は出来ても『飛行』は出来ない。更に今の翼では制御出来るのかも怪しい状態だ。
天井からパラパラと降ってくる破片は既に細かいものに変わっており、周囲には破壊した際の大きな破片が飛び散って積み重なっていた。通路は薄暗く、一瞬前まで上層の明るい廊下にいた蒼姫にとっては余計に慣れない暗さに感じる。落ちてきた時は破壊音と自分が巻き起こしていた風の音で気付かなかったが、断続的に警報が鳴り響いており、フロア自体が細かく振動している。一瞬自分が階層を突き破ったせいかとも思ったが、どうもそういう訳ではないらしい。確証はないが、悪い方向に考えても仕方がない。

ゆっくりと辺りを見渡しながら、アヒル座りのまま再度下に手をついて力を込める。とりあえず立ち上がり、それから移動しなければ。しかし力を込めた先の床が予想外に柔らかく、そこで蒼姫はようやく自分の座っている場所が硬い床ではない事に気が付いた。道理で座り心地が悪く暖かい訳だ。

「……イッテェ……何なんだっつーの…」
「!わ!ご、ごめんなさい!」

下で受け止めた分、蒼姫よりも落ち着くまでに時間がかかったのか。呻きながら身じろぎした少年は、自分の腹の上にちょこんと跨って座り込んだ少女をようやく視界に映して鮮やかな空色の瞳をパチパチと数度瞬かせた。驚き過ぎて体が動かないのか、謝る割にそこから退く様子がない少女を仰向けに転がったままの体勢で見上げる。先程は夢中で気付いていなかったが、今ようやく以前の記憶が現状と繋がった。
「あれ、お前…あの時の…」
「え?……あ」
ポカンとした表情とその言葉に目を瞬かせて動きを止め、それから蒼姫もようやく気付く。彼とは初対面ではない。
少年の顔を覗き込むようにそのまま僅かに身を倒すと空色の髪が一房手前に垂れ、それを掬うように耳に引っ掛ける。彼が咎めない為に『その場から退く事』よりも『言葉と記憶の確認』が優先されてしまった。
「君は…無事だったの…?」
「ん?ウン」
コランダムに捕えられたのだからもう駄目なのだと勝手に思っていた。いや、正確に言えばここにいる時点で『駄目』なのかもしれないのだが、とりあえず彼は五体満足で元気そうに生きている。
唖然と見返してくる蒼姫を前に、晴はニカッと笑うと両手を床について腹の上の存在には構わず上体を起こした。転げる前に慌てて腹の上から退く蒼姫はそのまま晴の隣にしゃがみ込み、それに目線を合わせた空色の瞳が笑う。体中細かい傷だらけで煤汚れてはいたが、その目は地上で見た時と同じ鮮やかさで強い光を宿したままだった。

「ビックリしたー。お前、いっつも上から降ってくんのな」
「え…?」
「ホラ、前回も降ってきたじゃん。前に見たのは赤い光だったけど今回は緑なのなー」

そこまで言われてようやくたった今の事を思い出したのか、ニシシと気楽に笑う晴を蒼姫は強めの目線でキッと睨み付けた。急に雰囲気の変わった少女に、けれど空気の読めない少年は疑問符を浮かべはしたが顔は笑ったまま。
「そうだよ、さっきの。君、一体何考えてるの?」
「へ?」
「どうして逃げなかったの?私、ここのずーーっと上から落ちてきたんだよ。全部の階層突き破って」
「マジかよ、スゲー」
「天井壊れたの、見たでしょ?何で逃げないどころか手を伸ばすの?馬鹿なの?」
「ば、馬鹿じゃねーもん!」
スッと瞳を細めて冷たく言い放つと、何とも情けない事に空色の瞳に涙が浮かぶ。そういえば地上で紺那とやり取りしていた時も、彼は割とすぐに泣いていたかもしれない。やけに子供っぽい少年を前に、しかし少女は容赦なかった。単なる八つ当たりでもあると認める事はしないだろうが。
「馬鹿だよ。…私、言ったのに。どいてって…逃げてって…」
「はぁ?聞いてねーっつーの。あの音の中で聞こえる訳ねーじゃん」
蒼姫と違い、晴の表情は一瞬でくるくるとよく変わる。たった今涙目で言い返していたかと思えば、彼は今度は態度悪くも右手の小指を右耳に突っ込み穿る仕種を見せながら口を尖らせた。それを黙って見返す蒼姫の目線はやはり強い非難に満ちていたが、晴がそれに臆する様子はない。良くも悪くも空気を読めず、細かい事は考えていないのだ。
「つか、風止まったじゃん。俺、怪我してねーし」
「それはっ…私が…」
反射的に口を突いて出た言葉は続く事なく不自然に途切れた。


あの時、蒼姫が翼の力を解除するように強く願ったのは事実だが
彼女がやったのは本当にそれだけで、
これで翼を制御出来るようになったとはとても思えなかった。
あの時は無我夢中だったので、正直な話何が起こったのかすらよく分かっていない。


苦い顔で口籠る蒼姫をきょとんと見やり、それから晴は僅かに上体を倒してひょいと蒼姫の顔を覗き込んだ。突然顔を覗き込まれて驚いて固まる蒼姫に笑いかける瞳は、やはり空気など読めないようだ。話題は突然、違うところへと気まぐれに飛ぶ。
「俺さ、晴。晴ってゆーの」
「せ、い…?」
「ウン、紺那が呼んでたから知ってるかもしんねーけど。そういやちゃんと名乗ってなかったなーって」
だから、と続けながら上体を戻して晴はそのまま跳ねるように立ち上がった。思わず話し込んでしまっていたが、警報や振動はまだ消えていないのだからゆっくりしてもいられない。結局のところこれが何の騒ぎなのかは晴は未だに分かっていなかったが、急がなければならないという事だけは本能的に気付いていた。晴の動きを黙って目で追う蒼姫に差し出しされた右手は細かい傷だらけだったが、風によって付けられた傷は一つもない。
「また会えたら言おうって思ってた。そんでお前の名前も聞こーって」
「あ、私…蒼姫…っていうの」
「ソーキ?」
「ソ・ウ・キ!ウもちゃんと発音して!」
眉を吊り上げながらも差し出された右手を掴むと、思いのほか強い力でグイと引っ張り起こされる。急に立ったせいか疲労のせいか一瞬眩暈がしたが、足を踏みしめる事で転倒するのは何とか耐えた。
「蒼姫、な。ウン、覚えた。つーか、蒼姫はこんなトコに何か用事なんか?危ねーぞ、ここ」
「え、っと…私…」
さ迷った目線も詰まった言葉も一瞬だけ。改めて晴を見返した蒼姫の目に迷いはもうなかった。落ちた場所が正解かどうかは分からないが、今ここにいるのだからここから進む事だけを考えるしかない。
「私、銀鈴……弟に会わなきゃ。この塔のどこかにいる筈なの」
「どっかって…弟なのに分かんねーの?」
「分からないの。でも…見付けなきゃ」
自身に言い聞かせるように小さく頷く蒼姫を見やって「フーン」と軽い相槌を打った晴は、掴んだままだった手を軽く引いた。こちらを向いた金の瞳に、顎で通路の先を指し示す。
「じゃあ行こうぜ。俺もこんなトコには用ねーし、とりあえず進まねーと。走れるか?」
「…うん、頑張る」
神妙な顔で頷くのは背中の翼のリスクを知っている為。しかし晴にそれが分かる筈もなく、彼は特に気にした風もなく明るく笑い返したのだった。




prev  top  next