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act:09-03

探し人が明確であったとしても、そこに辿り着くまでの道が分からなければ大抵の場合は目的は達成されない。基本的に常に幽閉され、実験時の移動は周りを関係者で固められ強制連行されていた蒼姫に上層部の構造が分かる筈もなく、既に切れた息を吐き出しながら彼女は苦々しげに顔を顰めた。距離的にはまださほど走っていない筈なのだが、背中の翼が与える疲労が思った以上に大きい。細い足は時折縺れて何度か倒れかけたが、寸でのところで床を踏み締め何とか耐えた。もはや意地だけで体を動かすも背中の重みは決して軽くなる事はなく、何が翼だと胸中で苦々しく舌打ちする。これでは翼どころか単なる枷だ。
元々人通りの少ない上層部の通路には今のところ蒼姫以外の人影はなかったが、遠くから騒がしい話し声が聞こえてくる気がする。蒼姫がいなくなった事は流石にもう知れているだろうから、彼女を探しているのだろうか。それとも焦りが引き起こした単なる幻聴か。どちらにせよ、このままでは捕まるのは時間の問題だ。


(確か…白凪(あの女)は…)

蒼姫との面会を遮ってまで銀鈴を連れ戻しに来た白凪は、『地下で警報が鳴った』と言っていた気がする。銀鈴を連れ戻し彼にその後の仕事をさせているのならば、現在銀鈴がいる場所は恐らく上層部よりも下だろう。それが中層部か下層部――或いは地下なのかは分からないが、少なくともこのフロアを走り回っているだけでは彼には会えない気がする。勿論、銀鈴がその仕事とやらをとっくに終えてどこか別の場所へ移動している可能性も充分にあるのだが、持っている情報が極端に少ない蒼姫は僅かな手掛かりに縋るしかなかった。

(下に行かなきゃ…エレベータ…)

体重の軽さに反して足取りは疲労のせいで重く、額を汗が伝っていく。エレベータの場所など分かる筈もなく当てもなく駆け回っていた廊下の突き当たり、縋る想いで曲がった角の先は真っ白な壁で固められており、それを視界に映した蒼姫の金の瞳が絶望に見開かれた。ここにきて行き止まり、それを分かっていながら尚、足が先へと進んだのは無意識か。折れかけた心を必死で繋ぎ止め、フラフラと最奥へ近付いた蒼姫は白い壁にペタリと片手をついた。当然ながらその壁が動く事はない。

「そんな……ウソでしょ…?だって、もう…」

『もう走れないよ』

出掛かった言葉は寸でのところで閉じ込めて、再び咽の奥へ流し込む。しかしそれでも一度止まってしまった足は重く、聞こえなくなった自分の足音の代わりに遠くから複数の足音が近付いてくるのが微かに鼓膜に引っ掛かったような気がした。急いで引き返して別の道を探さなければいけないのは分かっていたが、止まったままの足は床に貼り付いたかのように動かない。ポツリと零れ落ちた雫は涙ではなく大粒の汗で、白い照明を受けながら落下したそれは床に小さな濃い染みを残した。



瞬間、思い出す。


先のない通路、追ってくる足音、蒼を求めるその一心で掲げた手。
その貪欲さに呼応して巻き起こった風の力は、全てを切り裂き新たな道を作り出した。

道が続いていないのならば作ればいい。
その為の翼をこの背に持っているのだから。


『あの時』も――同じようにしたではないか。



ふいに背中の翼が軽くなったのと同時に小さな風の音が鼓膜を擽った。驚いて肩越しに振り返った先、高く持ち上がった金属翼の枠組みは通路いっぱいに大きく広がり、先端についた宝玉が強く光を放つ。光の中で青から緑へ色を変えていく宝玉は鮮やかな色の残像を零しながら放射状の波動を広げ、足元からは吹き抜けるような突風が巻き上がった。それと同時に聞こえた何かを抉り取るような音は軽やかな風の音とは真逆の重さで、上昇する浮遊感の真下では強い力に押し潰されるかのように床に円形の窪みが広がる。

「な――ちょっと…何!?待って!」

蒼姫は確かに翼の力を使おうとしたが、それを決定して力を放出する意思表明はしていない。蒼姫の体と直結している影響で行動よりも先に深層を読み取ったのか、或いは別の理由か――どちらにせよこれは蒼姫の意思とは半分は無関係で、勝手に発動したものは止めようがなかった。そもそも以前の翼でさえ100%制御出来ていた訳ではないのだ。より強い力が加えられたこの翼を上手く止める事など出来る筈もない。
困惑している間にも放出される力が止まる事も弱まる事もなく、床が深く抉れた事で足の裏が足場を離れ、頼りなく宙に浮かんだ体が風の浮力でゆらゆらと揺れる。この際、力が放たれるのはいいとしてもベクトルの向きが理想と違う。壊したいのは足元ではなく壁なのだから。

「違っ…だめ!壊すのは床じゃなくて――」

壁、と続けた声は風の音にかき消された。宙に浮いた蒼姫の真下――陥没した床の中心に円形の巨大な紋様が輝きながら図形を描き、膨れ上がった風のエネルギーは真下に向かって解き放たれる。強い力に押し潰された壁もまた大きく抉れたが、それ以上にダイレクトに力が向かった先、垂直に突き進んだ突風は漆黒の地下を目指すかのように真下のフロアを全て貫通した。一瞬は宙に浮いていた体も、足場を完全に失った上に全開の力を意図せず解き放てばその状態を保つ事など出来ない。崩れたバランスに金の瞳を大きく見開いたまま、蒼姫は真っ逆さまに深い深い穴へ落ちていったのだった。







***


鳴り響き続ける警報音には大分慣れたが、時折床や天井が崩壊するのは心底勘弁願いたい。相変わらず正しい方向など分からぬまま、それでも先へ先へと崩壊を掻い潜るように進んでいく中で上の方から風の音が聞こえたのは気のせいだっただろうか。音を辿るように何気なく見上げた暗い天井に突如大きな亀裂が入り、轟音と共に頭上で一気に崩壊したのは流石に気のせい――である筈がなかった。


「―――は?」


抉るように突き破られた天井の破片すらも吹き飛ばす強い風の渦――その中心で輝く緑光が丸く見開かれた空色の瞳に鮮やかに焼き付いた。




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