>> ソラカゴ TOP > 小説置場 TOP

境界線のある世界しか知らなかった。
視界にはいつも透明な壁が、或いは漆黒の柵が空間を遮っていた。

そもそも籠とはそういうものだと思っていた。
自由を奪い、捕える為のものだと。



一度目は蒼に受け入れられなかった後、

二度目は翼に受け入れられなかった後、



願いが空回って叩き落とされた時

常識を根本から覆すのは、いつの時も澄みきった空色だった。










act 09 : 空籠の鳥



天井からパラパラと降ってきた小さな石の破片をぼんやりと見上げ、この微振動が気のせいではないのだと何となく理解する。騒ぎの中心地点から少々外れた場所の為、揺れは大分小さく体感的には殆ど感じない程度のものだ。しかしこれが気のせいでない以上は上の階層で何かが起きているのであろうし、遠くで警報が鳴り響いているような気がしているのも恐らく気のせいではないのだろう。
さて、と口の中で呟いて壁に凭れていた身を起こしたのと、真横に取り付けられている鉄格子の前に人の気配がしたのはほぼ同時だった。突然現れた気配にも大して動じる様子はなく、男は顔の向きはそのままに目線だけを横に動かすと視界の端に薄汚れた靴の爪先を映す。瞬間、すぐ傍で溢れた強い光は薄闇に慣れていた目には少々痛い程で男は思わず渋い顔で片目を閉じてしまった。それでも身構える事をしなかったのは、この光が彼に危害を加えるものでない事を知っていた為である。

闇を切り裂いた強い光は蛍光色に近い鮮やか過ぎる程の水色で、三日月の形に似た大きな刃から放たれているものだった。刃に対して幾分か細めの柄を握っていたのは鉄格子の前に現れた男で、彼は牢の中の男に声すらかける事なく手の中の武器――光石の取り付けられた鎌を無造作に振り被ってそのまま真横に薙ぎ払う。鮮やかな光の残像が往復で二度、綺麗な弧を描き、音すらなく水平に切り取られた鉄格子がバラバラと呆気なく床に落ちてきた。鉄が床にぶつかって反響する音ごと踏み付けるかのように欠片の一つを踏んだ男は、手にした長い鎌を慣れた調子でくるりと回す。光石の力なのだろう、半分透けた刃がその動きに合わせて光の残像を円形に焼き付けて宙に溶け、強い光源を失った周囲にはまた薄闇が戻ってきた。柄だけになった鎌を右手に、今更改めて相手を確認するかのように僅かに顔を傾けると薄青色の髪がサラリと揺れる。足元近くまで伸びた黒いロングコートには背中に赤いラインでコランダムの印が入っていた。光が消えた事で再び目を開いた相手は未だ半端に立ち上がりかけたような体勢で、それを見下ろした男は口の端を吊り上げてニヤリと笑う。

「ダッセー、隊長。なに片腕失くしてんスか。そういうの今時流行んねっスよ」
「うーるせぇよ、元気そうじゃねぇか水刃(ミズハ)。お前一人か」
「あー、いや」

水刃と呼ばれた青年は柄だけの鎌を更に折り畳んで縮めると(最終的に50cm程まで短くなった。最長は彼の身の丈を越えるくらいの長さのようだが、随分と持ち運びに便利な武器である)それを腰元のベルトに引っ掛けながら、暗い通路の向こう側へ顔を向けた。その目線を追い掛けると、少し離れたところから二人分の足音が近付いてくる。
「水刃さん、そっち誰かいた〜?こっちには知ってるヤツ誰も……って、うわ、隊長!」
「隊長、それは……ご無事なのですか?」
軽快な足音と共に小走りで駆け寄ってきた千草が壊された牢の中の赤雷に気付いて驚いて足を止め、その後ろから姿を見せた長身の青年が隻腕になった彼らの隊長をまじまじと見やって眉を顰める。途中でぎこちなく足を止めた千草の脇を擦り抜けて先へ二人の元へ歩いてきた短髪の青年は赤雷や水刃と同じ長い黒のコートを羽織っており、背負った巨大な斧は肩から斜めに掛けた太いベルトで固定されていた。一拍遅れて千草もこちらへ駆け寄ってくるのを視界の端に入れながら、水刃は親指で彼らを指して再度赤雷の方へ向き直る。
「ご覧の通り、千草と橙乃(トウノ)もいます」
「みてーだな…。三人か…お前ら今迄何してたんださっさと脱出しろよ」
人の事を言える立場ではないが、一応彼は一度は脱獄挑戦した身である。溜息混じりにノロノロと立ち上がり、上体を逸らして筋を伸ばしながら赤雷は三人の部下を横目で見やった。千草だけは何か後ろめたい事があるのか目を逸らしながらそろりと一歩下がって橙乃の陰に隠れたが、他の二人は平然と赤雷の言葉を受け流したようだ。水刃に至っては「心外だ」とでも言わんばかりの表情で、己の顔を親指で指し示す。よく見れば彼の顔――に留まらず身体全体はあちこちに目立つ痣と生傷だらけで、単純に傷の多さだけならば片腕を失っている赤雷よりも酷い有様だった。
「だって俺さっき起きたんスよ。抵抗出来ねーからって遠慮なくボコりやがって、防ぐ術もなかったんで全部有難く頂いて意識飛ばしてぶっ倒れてました」
「マジかよ、どうりでヒデェ面だ…。お前、連行時も一番ボコられたのに投獄前にまたやられてたのかよ…」
「水刃さん一番反抗的だったもんね」
「そうだっけ?まぁ、俺がやんなくても黒斗辺りが噛み付いてただろ」
満身創痍の割に涼しい顔でそう告げて、水刃は小さく肩を竦めてみせる。彼は元々ダメージを顔に出すタイプではない為、実際どの程度まで深い傷を負っているのか見分けるのは難しかった。少なくとも、(無理をしているのかどうかはさておき)動き回って鎌を最低限操れる程度には体は動くようだが。
「で、気付いたら橙乃が応急処置してくれてて。投獄フロア一緒だったみたいなんスよね」
「俺が投獄されていたフロアの看守を負かした後に同フロアで水刃を発見しました。あまりにボロボロだったので最初死んでいるのかと思いましたが」
至極真面目に真顔でそう告げた橙乃に生死を疑われた張本人が楽しげに吹き出す。別段嫌味でも何でもなく、橙乃的には大真面目で言っている事を分かっている為だ。
「そーそー、しぶとく生きてたってオチ。千草とはついさっき偶然会ったんス。コイツ一旦上の方行ってたみたいで俺と橙乃の武器持ってて…」
「わーー!ちょ、水刃さん!それ、隊長には言わない約束って…!」
「あ?そうだっけ?ワリィワリィ。あー、言っちゃいけなかったみたいッス」
「手遅れー!それもう手遅れだからーー!」
水刃の(本人に自覚のない)裏切り行為に驚いて慌てて橙乃の陰から飛び出した千草は、全く反省している様子もなく軽く笑い飛ばす先輩に詰め寄る前に背後からグイと肩を掴まれ動きを止めた。実際かけられているもの以上に強い力を感じるのは圧力と呼ばれるものが加わっているせいだろうか。片腕だろうとそこにさほど意味はなく、ギリギリと肩を締め上げていく痛みに蒼白になっていると、その手の主から有無を言わさぬ命令が下された。
「…お前が一番事情通みてぇだ。全部吐け、千草」
「……はい…」
結局、しがない一般隊員は上からの命令には逆らえないのである。しおしおと項垂れた千草は観念したように細い声を絞り出した。





***


簡潔に、しかし正直に、己の非(だと彼が思っている行為)を含めた知っている知識を全て暴露した千草に深々と溜息をついて、赤雷は緩く目を伏せた。ここまでくれば千草も潔く腹を括ったようで(そもそもそこまで怯えられている事がまず心外ではあるのだが)往生際悪く半端に隠すような事はなく、ならばいつまでも彼を責めていても仕方ない。そもそも千草が思っている程、赤雷は彼の行動を怒ってはいなかったしそれが間違いだとも思っていなかった。
「…ナルホド、じゃあ黄理は先に行ったのか」
「はい…他には鴉の誰とも会ってないです…。紫杏(シアン)の武器も持ってんスけど…会わなかったし…」
腰元のベルトに差した細身の剣をポンと軽く叩いて緩く俯いた千草の様を眺めながら、僅かに思考を巡らせる。それを赤雷が怒っているが故の沈黙だと勘違いしたのか、普段は寡黙な橙乃が千草を庇うように珍しく口を開いた。
「…俺でも千草と同じようにしたと思います。結果的に黄理は上に向かったのですし、ロスした時間はここから取り戻せば良いのでは」
「あー、いや。そうじゃねぇ…つか、そんな事ぁいんだよ。そもそも俺は出戻ってるワケだし、そんなんで怒ったりしねぇよ」
「腕落っことして出戻ったんスか。よく生きてましたね」
「お前はヒトの事言えねぇだろが、この死に損ないが」
笑いながら茶々を入れてくる水刃に渋く顔を顰めると、怖いもの知らずの部下は益々楽しげに咽を鳴らせて笑う。それに軽く蹴りを入れて黙らせながら、赤雷は未だに気まずそうに目を合わせようとしない千草へ目を向けた。
「千草ぁ、黄理のサポートご苦労だったな。そんな顔すんな、怒っちゃいねぇよ」
「え、マ、マジっすか」
「言ったろ、俺ぁヒトん事どうこう言えねぇからな。役立たず度でいえば俺が一番だろうよ」
自嘲混じりに笑って、先のない左肩を竦めてみせる。
「体力も大分削られちまったし、決定打がくるまでここで休んでようと思ってたんだが…きたみたいだな、決定打」
目線で示すように頭上を仰いだのと同時に天井から再度パラパラと土埃が振ってきて、つられてそれを見上げた千草が「あぁ」と小さく声を漏らした。彼もやはり薄々気付いてはいたらしい。
「やっぱ気のせいじゃなかったんだ。何か上の方賑やかッスよね」
「乱闘かな、今すぐ行って混ざりてー」
好戦的な性格はたとえ負傷していても変わらないものなのか。楽しそうに水刃が笑うのを呆れ混じりに軽く小突いて、赤雷はようやく牢屋の内側から足を踏み出した。実際のところはさほど時間は経っていないのかもしれないが、ここから出るのも随分久し振りのように感じる。
「根拠はねぇが…『システムに重大なエラーが発生しました』辺りじゃねぇか?」
「じゃあ話してる時間ねーじゃん。即行地上(うえ)上がんねーと復旧しちまうんじゃね?」
「あー、あのちっこいトラップマスター様が黙ってるとは思えんしね…」
言葉の割には軽い調子で水刃が両手を頭の後ろで組む脇で、千草が微妙な表情で首を捻る。それに一つ頷いて最初に通路の先へ目を向けたのは橙乃だった。
「急ごう。仮にそうでなくとも今なら四人揃っている訳だし、俺と水刃には武器もある」
それに、と小さく続けた言葉は無愛想ではあるが後輩想いの彼らしい気遣い。
「一人で上に向かった黄理も気にかかる。誰かと合流出来ていれば良いが…」
「わー、黄理については俺も結構責任感じてっけど、それにしても橙乃さんやっさしー」
「それなのに黄理から理由なく怯えられててカワイソー」
「……やはり怯えられているのか…」
「水刃さん!駄目っしょ、この人結構傷付き易いんだから!つか、水刃さんだって充分怯えられてるんだかんね!」
「はー?そうなん?つか、アイツが怯えないのお前か桜夜か茶葵相手の時くらいじゃん。黒斗にはよく泣かされてっし」
緊張感に欠けるやり取りをしながらも歩き出した三人に続き、赤雷もまた、切り裂かれた鉄格子の破片を踏み付けてその場から足を踏み出した。何気なく横目で見やった先、向かい側の牢は開きっ放しの扉はそのまま、勿論中も空のままだ。一瞬耳の奥にこの場に不釣り合いな、幼く賑やかなあの声が聞こえた気がして彼は小さく口元を緩めた。

「…さて、二度目のチャレンジだ」

あの少年はどこまで行ったのか。
その辺で行き倒れていなければいいが。

いや、あの時動く意思しか持っていなかった彼に留まる事しか勧めなかった自分が心配するのも失礼な話かもしれない。急かすような部下の声に軽く右手を挙げて応えながら、赤雷は胸中で緩くかぶりを振ると、晴から大分遅れて牢屋を後にした。




prev (act:08)  top  next