バランスを崩した訳でもないのに突然身体全体が大きく揺れ、それが自身ではなく通路全体が揺れているのだと気付くのにさほど時間はかからなかった。底から響くかのような重い音と共に揺れは長く続き、天井からは振動によって崩れた細かい破片や土埃がバラバラと降ってくる。それを頭の上に掲げた両腕でガードしながら体勢を低くして通路の端に寄ると、続けて鼓膜を裂くかのような鋭いサイレンのような音が通路の端から端まで響き渡った。今迄もこの場所で感知音やエラー音のような人工的な音は聞いた事があるが、それとは桁違いに音量が大きい。流石にこれには驚いて慌てて辺りを見渡すが薄暗い通路には自分の他に人影も気配もなく、断続的に鳴り響く警告音の出所を探るかのように晴は唖然とした表情のまま頭上を仰いだ。
「スゲェ揺れてるしうるせーし…。何なんだっつーの…」
当然頭上を見上げたところで原因が分かる筈もなく、暗い天井が視界に映るだけだ。それどころか半開きの口に落ちてきたゴミが入りそうになって慌てて口を閉ざす羽目になる。揺れの治まる気配のない通路で、しかしこのまま立ち止まっている時間も晴にはなく、彼は注意深くそろりと一歩を踏み出した。動けない程の揺れという訳でもなさそうだ。そのまま数歩進む頃には身体が揺れに馴染みつつあり、晴は鉄棍を握る手に自然と力を込めて強い目線で前方を見据えたまま薄闇の中を再度駆け出した。
***
足場が大きく縦方向に揺れたのと同時に荒れ狂った波のように急なうねりを繰り返していた床がピタリと動きを止め、一瞬何が起きたのか分からずに次なるトラップかと身構えてしまう。けれどそれ以上トラップのようなものが彼らを襲う事はなく、細かい縦揺れの中でぽかんと目を瞬かせた黄理の隣に靴の光石の力を使って高い位置から飛び降りてきた桜夜が軽やかに着地した。着地と共に足元で風が小さな渦を描き、細い足首から生えた光の翼が余韻を残して消えていく。大丈夫?と小さく気遣ってくれた桜夜に頷いて答えた後、目線で現状の疑問を訴えると彼女は小さく一つ頷いて後方を振り返った。
「――副長!これって…」
「あぁ!多分そうだ!」
後方から肯定を返した青威の言葉は崩壊の音に上書きされた。突然の揺れによって崩れた大きめの石が上から降り注いでくるのを、しかし冷静にそれを見据えた漆黒の瞳が臆する事なく捉える。小さく息を吸い込んだ後に勢い良く下から伸びた黒斗の槍は、石の中央を見事に抉りそこを中心に大きな亀裂が走った。細身の武器であっても力負けしなかったのは、最も脆い一点を瞬時に見極めて突いた為だろう。細身の武器に正確に核を捉えられ、石は空中で細かく砕かれ重力に従いバラバラと降り注いできた。それを片腕でガードしながら小さく一つ咳を零し、青威はけたたましく鳴り始めた音を耳に入れながら素早く辺りへ目線を巡らせる。その表情は既に予想が確信へと変わっているかのように見えた。
「恐らくシステムダウン…誰かが上手い事やってくれたんだろうな」
「…って事はチャンスって事ですね」
青威の隣で茶葵が自己確認するように小さく頷き、数歩前で黒斗がそれに便乗して分かり易く嬉しそうに大きく頷く。気合いを入れ直すように手にした槍を軽やかに振り切った彼は、身体ごと青威と茶葵の方に向き直ると力強く笑った。
「っしゃあ!一気に飛ばしていきましょうよ!」
「あぁ、これ逃すと多分チャンスもうないぞ。――これより全速力で出口を目指す!戦闘は避ける、敵は全部無視しろ!」
「「「「了解!!」」」」
***
力任せに破壊された(ものを修復途中の)扉を転げるように潜り抜け、少年は目の前で光る幾つものモニターを唖然と見つめていた。大小様々な全ての画面には大きく赤のバツ印が表示されており、室内には鋭い警報音が鳴り響く。手が、足が、――身体全体がカタカタと小刻みに震えているのは、軽い気持ちでこの部屋を長時間不在にした自分のミスの重大さを目の当たりにしてか。とんでもない事態を引き起こしてしまった後悔と、兄から切り捨てられるという恐怖が同時に押し寄せ、目の前が真っ暗になってしまったかのような錯覚を覚える。
どんなに賢く仕事慣れしているといっても、所詮はまだ14歳の少年。更に幼少の頃から周囲から天才と持て囃され才能を存分に発揮していた彼は、それ故に失敗や挫折を殆ど経験しておらず突き落とされる事に慣れていない。彼が指先で操る仕事はいつも思い通りで、予定外のトラブルなど起きなかった。起きてはならなかったのだ。
何からどう手を付けたら良いのかも分からずフラリと一歩踏み出した足は片方が片方に縺れ、前方に倒れ込む直前で何とか近くの机に片手をついて体勢を立て直した。膝を折って崩れてしまわなかったのはプライドの高さが辛うじて繋ぎ止めた結果で、しかし顔を上げるだけの余裕はない。
(何だこれ…何だこれ何だこれなんだこれ…――なんだよ、これは!)
同じ単語ばかりが頭の中を占め、現状整理が上手く出来ない。上手く息が吸えず、目線も定まらず、顔からは血の気が引いていく。強く拳を握り締めて力任せに振り下ろしたのは、全く使いものにならない現在の自分を叩き壊す為でもあった。もはやそういう方法でしか、彼は思考を引き戻す事が出来なかったのである。机の上に叩き付けられた強い振動はそのままダイレクトに手に跳ね返ってきた。ビリビリと走った痺れるような痛みにようやく僅かに目線が定まる。
(…僕のせい?僕がちゃんと見てなかったから?僕が席を外したから?でも、だって…席を外したのは――)
決して怠けようと思って席を外した訳ではない。
決して何の理由もなく行動した訳ではない。
確かに拗ねて仕事に戻るのを意図的に遅らせた部分もあるが
元はといえば彼がこの場を後にしたのは、ただただ『彼女』の事を心配したからだ。
しかし、今の状況でそれが理由にならない事も賢い彼は分かっていた。
「ぎ、銀鈴様…鋼核の最下部が損傷した影響で下層部のシステムが…」
「――っうるさいんだよ!!」
開きっ放しの(そもそも修理が終わっていないので扉は扉として機能していないどころか原型すら留めていなかった)扉の向こう側から恐る恐る声をかけてきた研究員に鋭い一声を浴びせて、ゆっくりと息を吐き出す。荒く早かった呼吸音が次第に整えられ、銀鈴は机についた片手にグッと体重をかけてゆっくりと身を起こした。銀蒼色の前髪が小さく揺れ、その下から覗いた金の瞳が不自然なほど静かにスイと細められる。揺らいでいた水面が静止する前に波立った形を維持したまま凍て付いていくかのように。
「…僕が心配したからだ」
「?ぎ、ぎんれ…」
「心配すら余計な事か、よく分かったよ。仕事の出来ない僕に…価値はない」
それは後方の研究員に向けた言葉ではなく完全に独り言であったのだろう。既に銀鈴の目に他人は映っておらず、彼は無言で右手を持ち上げるとグローブから伸びるコードをグイと引いた。長く伸びたコードを一番近くの機械へ差し込むが、いつもの『接続中』ではなくエラーを意味する文字の羅列が画面に表示される。それに苦々しく舌打ちした銀鈴は乱暴に椅子を引き寄せて画面の前に座ると、半ば引き千切るようにコードを引き抜いた。バチンという鋭い音と共に小さな電流が走ったが、それすらもう視界には入らない。
「…上等だよ、手動で修復してやる…。――お前らは自分のデータ復旧でもしてろ!」
言葉の後半は不安げに入口に留まって銀鈴の背中を見つめている研究員達に向けてだ。突然言葉を投げ付けられて驚いたのか了承の返事と共に跳ね上がるように駆け出して行った研究員達を振り返る事すらせずに、滑るような動きで正確にキーボードを叩きながら画面を食い入るように見つめる金の瞳には冷たさが増したように見えた。
***
道を拓くにしては随分と荒技で
合図にしては随分とけたたましく
しかし
湿っぽい静寂に染まりつつあった彼らが
本来の世界を思い出すには丁度良かった。
明けない夜はない。
振り払えない闇はない。
道が閉ざされているのなら、突き破るだけ。
突き破ったのなら、更に速度を上げるだけ。
夜明けを告げる大音量の合図と共に
今
暗闇を塗り潰す程に強い確かな光が射した。