「お前ら…こんな事してタダで済むと思ってるのか!」
哀れにも動きを封じられた研究員が床の上から喚いてくるのを顔色一つ変えずに聞き流しながら、紺那は手にしたコードをグイと力強く引っ張った。彼女の足元で研究員三人を一纏めに縛り上げたそのコードは言うなればロープの代わりで、容赦なく締め上げられた為にたった今喚いていた研究員の口からグエッと潰れたような声が漏れる。単に黙らせる為の行動だとすれば、聊か容赦ない。
「こんな事してもしなくてももうタダじゃ済まないんだよ、あたしら。あ、ついでにカードキー貸してねオニイサン」
口では『貸して』とは言うものの、本人にちゃんと返す気があるのかはまた別の話だ。身を屈めて研究員の白衣のポケットからカードキーを取り出すと、紺那はそれを後方に控えている瑠藍へ投げ渡した。管理は瑠藍の役目という訳か、やめろだとか返せだとか喚く持ち主の声を完全無視して淡々と物事を進めていく紺那の行動力に(もう何度目になるか)ついていけなくなりつつも瑠藍は黙ってそれを受け取ると自身のポケットへ忍ばせる。
「何というか…君はいつも力技だな…」
「はぁ〜?何ソレ、か弱い乙女に何て事言うワケ?信じらんない」
「か弱い…乙女…とは…」
そんなもの久しく見ていない気がするぞ、などと思いながらそっと目を逸らすが紺那はそんな事は既にどうでも良さそうにしていた。何かにつけて『か弱い女の子』主張を組み込んでくる彼女であるが、その実それは単に『言ってみただけ』で本気でそう思っている訳ではないように感じる。もしくは相手にどう捉えられていようと興味がないだけか。
「まず瑠藍が仲間のふりをして研究員の一人に近付く」
数分前、コンテナの陰でさも名案とばかりにこう言い切った紺那に、瑠藍は気にしないようにしていた疲労が一気に押し寄せてきた気分になって静かに瞼を半分落とした。こんな重要な場所に配属されている研究員が互いの顔を知らない筈がないし、仮にそれが通じたとしても擦り傷だらけで薄汚れた格好の瑠藍はコランダムの印の入った白衣を着ているとはいえ明らかに不審者である。とりあえず彼女の言う『イイコト』とやらを一通り聞いてみるかと口を挟まずにいると、紺那はそれを肯定的な沈黙と受け取ったらしく嬉々として話を続けてきた。
「で、瑠藍が皆の気を引いてる間にあたしが回り込んで一人気絶させる。残りの二人が抵抗するだろうから、瑠藍が麻痺銃突き付けて動きを止める。一人を人質に取るって事ね」
回り込むって視界が開けているのにどうやって。
気を引いてって逆に僕が取り押さえられたらどうするんだ。
咽の奥からこみ上げてくる反論を、しかしそれでも我慢強く呑み込む。黙ってじっと床を見つめている瑠藍の隣で、紺那はにこりと笑うと音が出ない程度の力で両手の平をポンと合わせた。
「そしたら三人纏めて拘束して大人しくしてて貰お。ロープはないけどケーブルとかコードっぽいものはありそうだよね」
うん、と小さく頷いた紺那が言葉を切ったのを確認して瑠藍はようやく小さく口を開いた。一応口に出して確認しておいた方がいいだろうから、最初にこれを聞いておく事にする。
「…終わりか?」
「うん、大体終わり」
『大体』の一言が気にならない訳ではなかったが、それはひとまず頭の片隅に避けておいた。深く長い溜息と共に床から目線を持ち上げると、ジトリと横目で紺那を見やる。何から反論してやろうかと口を開きかけ、けれど結局瑠藍は何故だか言葉を発する事が出来ずにそのままの状態で動きを止めた。あまり認めたくはないのだが、この時恐らく彼は正論を――それどころか考える事自体を放棄しかけていたのである。直前の難解なパスワード解析に集中力を使い過ぎたせいか、恐ろしい事に彼は暫く思考を巡らせた結果、無になる事を選択したのだ。開きかけた口は一度閉ざされ、閉ざされた口をもう一度開くには何故だかひどくパワーが必要なように感じた。その力が、何故だか今急激に現在進行形で減少している。もごもごと何かを噛み合わせるように小さく動いた口は、結局反論を紡ぐ事はなかった。
「……じゃあ、始めようか…」
「うわ、珍しく話が分かるじゃん。絶対馬鹿にされると思ってた」
「まぁ……他に策がある訳でもないし…」
最低限の常識はあるとはいえ基本的に無鉄砲な紺那を止めるのが仕事だと思っていたが、止められそうになければ流されるしかない。随分といい加減になってしまった己に何だか悲しくなりながら、瑠藍はノロノロと身を起こしたのだった。
その後、紺那の提案した『イイコト』は奇跡的にも上手く事が運び結果的には成功した。『仲間のふりをした瑠藍が研究員達の気を引く』が完全に怪しまれて尋問責めをくらった事も結果としては気を引けたのだから問題ないだろう。雑然と置かれたコンテナを含め意外と障害物が多かった為に紺那が回り込む事自体はすんなりと成功したのだが、『一人気絶させる』筈だった彼女が非常ボタンを押そうとしたもう一人を勢いのままに蹴り飛ばして結果的に二人が気絶してしまった事も問題としてカウントしない事にした。研究員達に戦闘能力が全く備わっていなかった事が一番の幸運だった事といい、最終的に三人の研究員をコードで縛り上げ、カードキーまで入手したのだから充分過ぎる結果ではないか。そうでも思わないとやってられない。
「くそ、イイ気になるなよ…!貴様らの姿も犯行も監視カメラにしっかり映ってるからな!すぐに傭兵が派遣される筈だ!」
「マジかー。じゃあ急がないと」
全く危機感のない返事と共にコードを引っ張った紺那は、そのまま三人を通路の端へ放り投げるようにして転がした。成人男性三人分の重みをさほど苦もなく扱う後ろ姿を微妙な気持ちで眺めた後、瑠藍は改めて脇に聳える機械の塊――鋼核を見上げる。近付いてみればより明確にその巨大さが実感出来、見上げているだけで聳える威圧感に圧倒されてしまいそうだった。
「それで紺那、破壊方法だが…もしかしたら僕の、」
「あのさ、瑠藍。まだイイコト残ってるんだけど」
瑠藍の言葉を途中で遮り、紺那は左足の踵で踏み鳴らすかのように何度か軽く床を擦った。数回擦れた乾いた音は何故だかどこかリズミカルにも聞こえ、怪訝そうにその様を眺めていた瑠藍はふいに彼女が何を言おうとしているのかを悟ってぎょっと目を見開く。
「!まさか紺那、あれをまだ――」
「さっき言ったじゃん、『大体』終わりって。最後まで聞いてよ、せっかちな男はモテないよ?」
トン、と最後に軽く踵を打ち付け、肩越しに振り返る。唖然とした表情の瑠藍に不敵に笑い返した後、彼女は上体を屈めて左の踵を僅かに持ち上げた。さほど高くはないヒール部分を開き、手の平に滑り落とした鈍い銀色の輝きは牢屋の中で一度見た――
「ね?『イイコト』だったっしょ?」
そう、右足に仕込んでいたのだから左足にも仕込んでいてもおかしくはない。片手に小型の爆弾を乗せ、ニヒヒと笑う紺那はどこからどう見ても『か弱い乙女』でない事は明白だった。