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act:08-03

小さな頃から極端に気が弱く引っ込み思案だった黄理は友人も少なく、彼の世界は大抵いつも独りきりだった。時折一つ年下の弟が何の気なしにそこに踏み込んできたりもしたのだが、兄弟だからといって常に一緒という訳ではなかったし、そもそも弟には弟の交友関係があったので彼は向こうから友人達に呼ばれるとさっさと出て行ってしまう。
ある時、街で出会った双剣の傭兵に憧れ自分も剣を手にしたいと思ったのは、閉じきった世界から抜け出したいと心の底では願っていたからかもしれない。剣を手にする事で自分に自信を持てたり、たとえそうでなくとも現状よりかは何かが少しでも変わるのではないかと。

非力ゆえに短剣しか持てなかったが、臆病な少年が剣を握った時、確かに彼の世界は変わった。驚く程クリアに澄み渡った視界は今迄とは別世界のようで、剣を握っていると心が安定して落ち着く気がする。ただしそれは本人だけが感じた好ましい変化で、周りから見た変化はそれとイコールには成り得なかった。
気が弱く大人しい地味な少年が、剣を握ると豹変して狂暴性を見せる。そう解釈されて(少々誇張もされ)広まった噂は益々人を遠ざけ黄理を孤独にし、変わったかのように思えた彼の世界は結果的には相変わらず弟が出入りするだけのものだった。同じ頃に剣を習い始めた弟もまた、剣を持つと雰囲気が変わるという黄理と似たようなタイプだったようだが、彼は黄理ほど普段とのギャップが激しくなかったので孤独になる事はなかったようだ。実際本人に聞いた訳ではないので分からないが、弟が兄を恐れなかったのは彼もまた『そういうタイプ』だったからなのかもしれない。

故郷では剣を握ると気持ち悪がられ、怖がられた。弟以外の反応が皆そうだった為にそれが当たり前で普通なのだと思っていたが、鴉のメンバーは誰一人として黄理を恐れなかったし、彼を独りにもしなかった。寧ろ(戦闘員として雇われているのだから当たり前といえば当たり前だが)剣を握らないと怒られた。普段とのギャップに最初は少々驚かれたようだが、それで避けられた事はないしそれを理由に特別扱いを受けた事もない。この場所で広がった黄理の世界はもう独りきりではなくなっていた。

だからこそ、護らねばならないと思った。
ひどく身勝手なこの理由でも、それがきっと手放してはならない意思だと気付いた。


優しさに甘えるばかりで、自分で動こうとはしなかった。
何も出来ないのではない、何もしようとしなかっただけだ。

優しい先輩に強硬手段を使わせるなんて、本当に俺は馬鹿だ。







跳ねるように駆ける足は最小限の接地で床を蹴り、群青色の瞳は真っ直ぐに先を見据えたまま揺らがない。その目には既に涙の痕はなく、先程までの彼とはまるで別人のようだった。息切れ一つ零さずに階層を駆け上がっていくスピードは降りてきた時の何倍かの速度で、あっという間にトラップエリアへと辿り着いた黄理はスピードを緩める事なく、寧ろここにきて更に加速させる。千草と共に行動していた時にはトラップエリアまでは上っていないのでここはまだ一度も通った事がない筈なのだが、全く恐れを感じさせず駆けるその姿は解き放たれた漆黒の弾丸に似ていた。それでも考えなしに突っ走っている訳ではなく、体全体で周囲への警戒を張り巡らせているようだ。足が止まらないのは単に躊躇いがまるでない為。動く床も降り注ぐ刃も、先に通過してしまえば何という事はない。尤も、大抵の者はそれだけのスピードを持っていない為に一つずつ根気よく掻い潜る必要があるのだが。


武器を持って再び最下層へ戻る事を反対された理由も本当は分かっていたし、途中途中でさり気なく気に掛けてくれていた事にもちゃんと気付いていた。この状況が不安で怖かったのは事実だが、分かっていてその優しさに甘えたのもまた事実。仕事用コードを使って無理矢理任務を与えた理由も分かっていたし、だからこそその手段を使わせてしまった己がひどく不甲斐なかった。

(千草サンに何かあったら俺のせいだ…)

『任務』となると雰囲気が変わるとはいえ、人格まで変わっている訳ではないし根本的なネガティブ思考は変わらない。一瞬描いた最悪の結末を打ち消すかのように、黄理は足は止めないままに両手を腰元へ持っていくと腰に固定していた対の短剣の柄を握った。鴉に入ってから、剣を握らずとも任務中は気持ちのスイッチを切り替える事が出来るようになったが、それでもやはり剣の柄を握っている時が一番落ち着く。短く息を吐き出すと同時に二本の剣を鞘から一気に引き抜いたのは、前方に大きな影が見えた為。

人型ではあるが機械の体、太い両腕には大型銃器。別の場所で紺那が倒したものと同じ型の機械兵は最初こちらに背を向けていたが、黄理の気配を察知してか重い音を立てながら振り返った。頭部のレンズが動き、チカチカと小さな光が点滅したのはセンサーが反応している証拠だ。しかしその動作一つ一つも、黄理の前では遅過ぎて何の意味も成さない。
要はトラップと同じで、向こうが動く前に対処すればいいのだ。速さで圧倒的に相手を上回った短剣の刃が薄闇の中で鈍く輝き、鮮やかに躊躇いなく空を切る。全くスピードを緩める事なく機械兵に突っ込んだ黄理は、体勢を低くして更に強めに床を蹴ると敵と通路の僅かな隙間を身軽に擦り抜けた。その間に剣の軌跡が閃いたのは一度だけで、相手の動きを読んで真横を擦り抜けた少年はそこで動きを止める事なく、何事もなかったかのように先へと駆けて行きながら逆手に持った短剣を鞘へと収める。律義に立ち止まって相手をしてやる時間などなかったし、何より黄理にとってそれ程の相手でもなかった。

「――鴉をナメるな!」

振り返りすらせずに低く吐き捨てた言葉は、後方からの爆音に呑み込まれ聞こえなくなる。擦れ違いざまの二太刀で正確に核を破壊された機械兵は爆炎に包まれ残骸と化すが、そんな事はもう黄理の中では既に『終わった事』として処理されていた。その証拠にわざわざ振り返って確認する事はなく、彼は前方に見えた階段に意識を向けると飛ぶようなスピードでそこを駆け上がって行った。







***


ふいに後方に生まれた新しい気配に最初に気付いて足を止めたのは青威だった。彼が足を止めた事で、隣を走っていた茶葵もそれに従って足を止める。無言で目配せし揃って後方を振り返る間にも、前方で何事かを話しながら進んでいた桜夜と黒斗も連鎖のように立ち止まった。彼らも僅かに遅れて気付いたのだろう、振り返った目は後方の青威と茶葵と通り越し、更にその奥を見つめている。「どうしたのか」と言い出す者が誰もいないという事は、全員が違和感に気付いた証拠だ。

たった今通り抜けてきた通路は変わらず暗く、全員が止まった事で足音が消え静寂が辺りに満ちる。肉眼では特に異常は確認出来ない。しかし闇に包まれた更にその向こう側から『何か』が物凄いスピードでこちらに迫ってきていた。警戒態勢にある彼らの察知範囲が広い為にまだ『何か』との距離は開いているが、この速さであればもうすぐこの場所に到着するだろう。

「何か…来てるな。速い上に殺気スゲェ」
言葉の割に大して危機感なく呟いた青威の言葉に頷いたのは、前方から引き返してきた桜夜だった。隊列の変更は万が一戦闘に突入する際の事を考えてか、青威と茶葵の間を擦り抜けながら彼女は小さく口を開く。
「でも…鋭いけど嫌な気配ではないです。寧ろ私、この気配は知ってるような…」
「俺も思った。多分だけど、これって…」
同意しながら後方を見やる茶葵の声の続きを繋ぐように、桜夜と同じように、寧ろ彼女よりも後方へ出た黒斗は、しかし武器を構える事なく緩く笑った。その声に自信家の彼らしい、強い確信を含ませて。

「そッスよ、間違いねぇ。――黄理だ」




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