力強く床を蹴って通路から飛び出してきた人影が柱に取り付けられた照明の下に晒され、明確に輪郭が浮かび上がる。手にした荷物を投げ飛ばす為に軸足を踏み締めて上半身を捻ると黒いジャケットの裾が孤を描き、足元で揺らぐ影が床に濃く焼き付いた。
「――っ桜夜ぁ!靴!!」
「!黒斗君!」
強い力に遠心力を加え投げ飛ばされたものは大きめの布袋で、黒斗の手を放れたそれは空中に勢い良くも綺麗な放物線を描く。黒斗の後方には愛銃を手にした茶葵の姿も見えた。銃口が焔色に光る鮮やかなラインで彩られているのは光石の発動後を意味しており、やはり先程桜夜を護った障壁は彼が撃ち込んだ防御壁だったようだ。通常よりも小さめの障壁だったのは、咄嗟の事で光石の力を溜めている時間がなかったのだろう。それでも紫桜音からの攻撃を見事に相殺した辺り、流石は防御に特化した銃だ。
はぐれた仲間達との突然の再会に驚いて大きく目を見開いた桜夜は、それでも黒斗の短い言葉の意味に気付いたのか表情を引き締めると跳ねるように立ち上がり、布袋を受け止める為に落下地点に目測をつけ駆け出した。それを紫桜音が易々と見過ごす筈もなく、苦々しい舌打ちと共に彼女は空中の袋に狙いをつけて鋼糸を放とうと左腕を持ち上げる。その動きを阻んだのは銃声の二重奏。
「しつこい!銃は無駄よ!」
右腕を強く振り切ると青威側の鋼糸が一斉に動き、銃口から放たれた二つの弾を真横へ弾き飛ばした。弾は呆気なくも近くの柱にめり込んだが、それでも青威が追撃を諦める様子はなく、彼は紫桜音本人ではなく彼女から微妙に外れた位置に向かってトリガーを引く。当然銃弾は紫桜音に当たる事なく、紫色の石に弾かれあらぬ方向へ飛んだ。
(?どこを狙って――)
単に気を逸らす為の囮狙撃かとも思ったが、青威の目線が自分を見ていない事に気付いて眉を顰める。それは見当違いな場所を適当に撃ったのではなく、何かしらの目的があって『最初からそこを狙った』かのような目。何故だか分からないが嫌な汗が流れたのは本能的なものか。ふいに目の前を一直線に横切った影に驚いてその軌跡を追い掛けると、操った記憶のない場所の石が一際高い音を奏でて揺れた。何かがぶつらかないとこんな音は出ない筈。しかし今、石にぶつかるものなど何もない筈だ。そこまで思考を巡らせて、それから彼女はようやくその答えを目にする事となった。先程からチラチラと視界を掠める黒い影と石の音――石から石へ、直線の軌道を描きながら一つの銃弾が飛び交っている。
(!跳弾!)
大きく目を見開いたのと、最後に石に弾かれた銃弾が紫桜音の方へ向かってきたのはほぼ同時。一回弾かれる度にスピードを上乗せされていた小さな弾は通常の何倍かの速度で斜め上から飛んでくると、辛うじて身を捻って直撃を逃れた紫桜音の剥き出しの肩を掠めて床へ深くめり込んだ。掠めたとはいえ決して軽傷ではなく、紫桜音は痛みに顔を歪めると溢れた鮮血ごと握り潰すように左肩を押さえる。一時的とはいえ操作が解けた鋼糸が力なくクタリと床に落ち、それを静かに見やった青威は煙の立ち上る左手の銃を構えたまま小さく息をついた。
「…あぁ、ナルホド。ようやく戦い方分かってきたわ」
「…っの、ガキ…!」
「跳弾(これ)は割と得意でさ。銃で割れないって事は弾くって事だよな?」
本当はこっちで当てたかったんだけど、と軽く振った右手側の銃には麻痺弾が込められているのだが、勿論紫桜音がそれを知っている筈もない。ダメージを受けても紫桜音が退く様子はなく、寧ろ彼女は更に怒りに満ちた目で青威を睨みつけ奥歯をギリと噛み締めた。ビリビリと刺すような殺気が場に満ちて、再び浮かび上がった鋼糸が紫桜音の周りに渦を描く。その空気の流れを変えるかのように、ふいに一陣の風が吹き抜けた。
スカートから伸びた白い脚は太股までの長さの漆黒のブーツに覆われ、緑色の光がぼんやりと足元を照らす。足首の辺りには両外側に向かってそれぞれ一つずつ丸い緑色の光石がついており、それが光を放っているようだった。久し振りに履いた靴を慣らすかのようにトンと軽く爪先を打ち付けると、それだけで足元からフワリと風が巻き起こりスカートの裾を揺らす。光を纏った光石からは更に外側後方に向かって羽のような形の緑色の光のラインが伸びていた。両側に伸びたそれは足首から生えた小さな翼のようにも見える。きゅっとグローブを引っ張る仕種に合わせて手の甲が白く光ったのは、その場所にもまた光石が取り付けられていた為だ。こちらの光石は足首のものとは違い少し白く濁った半透明のもので、中に気泡が浮かんでいた。つまり手のものが人工光石、足のものが天然光石だ。
両足首に二つ、両手の甲に二つ。全部で四つの光石を身に纏った桜夜は凛とした眼差しで紫桜音を見据えると、力強くも軽やかに床を蹴って前方へ駆け出した。
(――速い!)
それは正に駆けるというよりも飛ぶように。元々彼女は生身の体でも充分な速さは持っていたが、今の速さはブーツを履く前と比べものにならない程だ。跳ねるようにほんの数歩で一気に距離を詰めた桜夜を遮るかのように二人の間に鋼糸の壁が一瞬にして張り巡らされたが、桜夜は表情を変える事なくスイとブーツの履き口辺りを指先でなぞると鋼糸の壁の前で強く床を踏み切った。瞬間、彼女の足元に緑色の円形の紋様が回転しながら展開され、その外円をなぞるように垂直に立ち上った緑色の光が強く輝く。直線と曲線で構成された紋様は風を表すものだろうか、足元から後押しするように吹き上がった風は重力の影響を軽減し跳躍力を倍増させた。まるで重力を感じさせる事なく軽やかに舞った高さは三メートル程といったところか、鋼糸の壁の高さを易々と上回った桜夜は宙で更に一回転して勢いをつけると紫桜音を狙って降下する。
「…っ」
スピードを纏った今の彼女は恐らく全身凶器のようなものだ。壁として組み上げた鋼糸で新たな盾を形成する時間が追い付かず、負傷した左肩を庇いながらも紫桜音は飛び退く事で空中からの飛び込み蹴りを何とか回避した。桜夜の着地と同時に衝撃と風が埃を巻き上げ、視界が濁る。追撃の為に着地位置から跳ねるように飛び出しかけるも、真横から鋼糸の束が迫ってくるのに気付き、それをチラリと横目で見やった桜夜は深追いする事なく一旦後方に飛び退いた。更にそのまま後方宙返りで距離を取ると、足の裏にトンと軽く何かがぶつかる感触。彼女が足をついたのは床ではなく、床から垂直に立った柱の表面だった。不安定な角度を器用にも足場にして膝を曲げると、その力をバネにして強く柱を蹴り跳躍する。
迷いなく踏み出した足が何もない空間を踏み抜く事はなく、紫桜音ではなく高めの天井を目指し、まるで他の者には見えない階段を駆け上がるかのように宙を翔ける。桜夜が空中で一歩踏み出す度に足元では光石が緑色の光を零し、直径30cm程の円形の紋様が宙を鮮やかに彩った。その紋様を、正確に言えばその紋様が作り出す風の力を足場に、一気に天井すれすれまで駆け上がった桜夜は更に勢いをつける為に頂上で緩やかに半回転する。通常とは逆向き――頭を下向きに、見据えた先の敵の周囲にはこちらの攻撃を警戒してか先程以上の鋼糸が纏め上げられ壁を作っている途中だった。突っ込んできたところを返り討ちにするつもりだろうか、確かにあの武器の切れ味はよく知っている。チカチカと光る無数の紫の光が桜夜の銀の瞳に映ったが、それは手元で生まれた白い光と足元からの緑の光が上塗りしていった。先程から何度もブーツの履き口部分をなぞるのは、目立たないがそこに取り付けられたスイッチでこの力を制御している為。膝を曲げて力を溜めると、彼女はずっと引き結んでいた唇を小さく動かした。
「……いくよ。力、貸して」
それは人間相手にではなく、手足で輝く四つの戦友に向けて。その声に応えるように両足の裏から広がるように宙に浮かんだ紋様は今迄のものよりも遥かに大きく、そこに宿る力の強さを物語る。足元からの心地良い浮力に後押しされ、桜夜は強くその足場を踏み切って一直線に降下した。