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act:07-04

「そんな…隊長が…?」
大きく見開かれた銀色の瞳が驚愕の色に染まり、細い足が自然と一歩後ずさる。相手の言う事に信じられる材料など何もなかったが、冷静さを欠くには充分な一言だったようだ。それだけ彼女にとっては重大な事だったのだろう。
桜夜のその反応に気を良くしてか、紫桜音の笑みが益々深まった。それを黙って見やるだけの青威の表情に明確な変化はなかったが、口元の笑みは既に消えている。それ以上後退しないようにその場で足を踏み締めると靴底がザリと床を擦り、自身の起こしたその音で我に返ったのか桜夜は唇を引き結び表情を引き締めると紫桜音をキッと見返した。
「…嘘です。隊長がこの程度のトラップで腕を落とすなんて…」
「そうね。足手纏いのお世話なんかしなければ良かったのにね」
「どういう意味ですか」
紫桜音のペースに乗せられつつある。それに気付いて一瞬桜夜の後ろ姿を見やるも、結局青威は何も言わなかった。口を挟まなかっただけで、彼とて紫桜音の言う事が気にならなかった訳ではない。今は機嫌が良いようだしある程度は勝手に喋ってくれそうかな、などと思っている間にもその要望に応えるかの如く紫桜音は楽しそうに口を開く。
「役にも立たない囚人なんかと一緒に行動するから。あんなの護って腕犠牲にするなんて馬鹿みたい」
「…っ隊長は、」
「――よせ、桜夜」
声を上げて笑いながら嘲る紫桜音に煽られ、感情のままに突っ掛かろうとした桜夜を静かに制止したのは彼女の後方から。普段の明るい調子ではなく静かに挟まれた一言には何の感情も見えず、それを受けて桜夜の昂っていた感情が冷水を浴びたかのようにスッと引いていく。小さく身を跳ねさせて肩越しに後方を振り向いた桜夜の目に映った青威は無表情のままに部下に一度目を向け、しかし彼女にはそれ以上何を言う事もなくそのまま紫桜音へ視線を流して笑った。
「腕一本、ね。正直安心したわ」
「安心?強がりが得意なのかしら?」
「いんや。割とマジに」
緩く笑みを深めるが、よく見れば目は笑っていない。それに気付いて桜夜は小さく息を呑んだが、紫桜音は距離がある為に気付いていないようだった。単純に言葉の意味だけを不審に思ったのか眉を顰めた紫桜音に、青威の声はあくまでも落ち着いて届く。その響きが『普段』と違う事に桜夜は気付けても、『普段』の青威を知らない紫桜音が気付く筈もない。
「だってそうだろ。隊長は『腕一本失くした』だけで、生きてるみてぇだから」
「…!」
「死んでたらわざわざ腕の事なんて言わねぇもんな?生存情報ありがとよ」
礼まで言う事で結果的に紫桜音の神経を逆撫でしている事は恐らく分かってやっているのだ。紫桜音は桜夜の感情を弄んだつもりのようだったが、青威的には桜夜より紫桜音の方がよっぽど分かり易い。単に操っているだけで感情とリンクしている訳ではないのだろうが、紫桜音の眉が吊り上がると呼応するかのように彼女の周りを取り囲む鋼糸もフワリと更に高く浮き上がった。それに意識を戻した桜夜が前方に向き直るが、その後方で青威の表情は変わらないまま。
「しかも『護って』腕落としたみてぇだし。何の問題もねぇじゃねぇか」
「…アンタ、自分が何言ってるのか分かってんの?随分軽い命なのね」
「軽い?」
口元の笑みはそのままに、緩く瞳を細める。外見は少年であったがその表情は10代の少年に出来るものではなく、年齢どころか人物そのものに掴み所がない。鴉副長は『そういう』男だった。

「軽かねぇよ、それより重いモンがあるだけだろ。…何だ、アンタは何も持たずに戦ってんのか。それこそ軽いな」
「――っ!お黙り、クソガキ!」

桜夜を挑発する筈が青威に挑発されてしまい、しかも簡単に乗せられる辺り、大して面識のない相手に『分かり易い』と思われても仕方ないだろう。頭に血が上った女傭兵は組んでいた腕を解くとその場で右手を強く振り切り、その動きに合わせて今度は二手に分かれた鋼糸の束がそれぞれ桜夜と青威に襲い掛かる。足元を狙って突っ込んできた鋼糸を飛び退いてかわすと、飛び散る破片に紛れて視界の端に黒いものが映り青威は僅かに目を見開いた。

衝撃に弾かれて宙に投げ出されたのは紺那が紫桜音からの最初の攻撃で叩き落とされた小型銃。紺那は取り落とした銃を結局見付ける事が出来ずに残された銃だけを持ってこの場を後にしたが、どうやら意外と近くに落ちていたらしい。勿論、最初の立ち位置からは大分離れてしまったので、そう考えると盛大に弾き飛ばされたのかもしれないが。

青威は勿論、それが紺那の持っていた銃だとは知らなかったがそんな事は今どうでも良い。床の破片と共に弾き飛ばされたそれが銃だと分かった瞬間、反射的に彼は片足を伸ばし銃身を掠めるようにして爪先でそれを蹴り上げた。自分の方へ向かうように、絶妙なバランスで軌道を変えた銃は回転しながら高く放物線を描き、青威の頭上に落ちてくる。鋼糸から逃げながらも左手でそれをしっかりと掴んだ青威は、それと同時に弾が込められている事を確認して銃を構えかけたが、撃ち込む前に鋼糸が追い付いてきた為に結局攻撃を止めざるを得なかった。感情的な紫桜音が操っているだけあって動き自体は追い掛けて突っ込んでくる力任せのものが多いが、とにかく攻撃スピードが速く休む暇がない。桜夜も鋼糸を振り切る事に苦戦しているようで、混戦しないように(また、距離を開ける事で一旦どちらかが攻撃範囲から逃れるのを狙ってもいるようだ)青威と距離を取って逃げてはいるが相手の攻撃範囲が思った以上に広い為になかなか逃れる事が出来ずにいる。何より二人共、特に青威は回避スピードが鋼糸に追い付いていない為に、大きな傷は何とか避けているとはいえ細かい切り傷が増えていくばかり。このままでは先にこちらの体力が削られてしまう。
あまりの厄介さに胸中で苦く舌打ちするも、別段諦めた訳ではないし隙を窺う事は忘れない。柱を貫通して突っ込んできた鋼糸に左手の銃を撃ち込んで一瞬動きを鈍らせると、転げるようにその場から離れながら右手の銃で紫桜音本人を狙う。距離はそれなりに開いていたが青威の射程範囲内であったし、命中させる自信もあった。しかし続けざまの銃声が二回響いても紫桜音に攻撃が当たったどころか掠った様子すらない。素早く目線を巡らせれば、彼女の近くの柱に銃痕が二つ。外した訳ではなく、これは――

(…クソ、軌道を逸らされたか)

素早く引き戻した鋼糸で弾丸を弾いて攻撃の軌道を逸らしたのだ。感情的になっているとはいえ、経験がそうさせるのか戦闘中の判断力は流石といったところか。しかし二手に分けた鋼糸の一つを引き戻して攻撃を弾いたという事は、青威と桜夜の内、片方は(たとえ一瞬であっても)フリーになるという事でもある。青威が銃で弾いたばかりの鋼糸はばらけた糸を自動的に束状に形成し直しながらも同じ位置に留まっていた。つまり、道が開けたのは彼ではない方。
踏み留まる為に強く床を擦ったのは青威から借りている靴の底で、桜夜は後退しかかった勢いをその場で踏み殺すと素早く紫桜音の方へと足を向けた。自分を狙う鋼糸が一時的に引き戻された事に気付かない彼女ではない。けれど一瞬の隙を見逃さない、その行動こそが今回は裏目に出てしまったようだ。桜夜の進行方向、柱と柱を繋ぐように細い糸が一本だけ足元にピンと張ってある。他の糸と違い紫の石がぶら下がっていないその糸は、フロアとほぼ完全に同化している罠だった。束状ではなく一本だけとはいえ、足元を掬い怪我を負わせる目的なら充分だろう。気持ちが急いているせいで視野が狭くなっているのか、桜夜がその糸に気付いた様子はない。

「!桜夜、足!」

青威がそれに気付いたのは単なる偶然――糸が照明の光を反射して煌めいたのが彼の角度から見えた為だ。罠に差し掛かる直前で飛んできた青威の声に、更にその声が意味するものにようやく気付いて桜夜は慌てて急ブレーキをかけたが、勢いを完全に殺すには停止するまでの距離が足りなさ過ぎた。元々生身でも鴉で上位のスピードを誇る彼女の足はそれだけ進行方向にかかっている力が大きく、急に完全停止をする事は無理なのだ。自分の意思に反して止まらない体を何とかする為に、桜夜は仕方なく大きく跳躍して足元の糸を飛び越えた。それによって彼女の武器の一つでもある足を負傷する事態は回避出来たものの、バランスを崩してしまった事は大きな隙となる。
着地までにまだ消えなかった勢いを緩める為にそのまま何度か床の上を前転して身を起こす頃には、回避した筈の糸がゆらりと動いて柱から解けたところだった。紫色の石がついていようがいまいが、紫桜音の操る糸だという事に変わりはない。束状ではなく一本ではさほど破壊力はないだろうが、抜群の切れ味を持っている事は分かっている。身を起こしただけで体勢を立て直す暇のなかった桜夜にそれを回避する術は今度こそなく、しなるように空を切った糸を目前に、その場に片膝をついたままの桜夜は反射的に身を縮めて自身の頭を庇った。青威からは距離が遠過ぎて彼の射程範囲に入らない。名を呼ぶ間もなく鋭く光る鋼糸が桜夜を捉えるその直前、その間に割り込んだのは鮮やかな光を放つ半透明の障壁だった。

「――!?」

六角形の盾のような形のその壁はさほど大きくはなかったがこの攻撃から桜夜を護るには充分で、障壁に勢いよくぶつかった鋼糸は大きく後方へ弾き飛ばされ、障壁もまたガラスのように亀裂が入って空気中に溶けるように霧散する。眼前で砕けたそれを呆然と見つめる桜夜の顔を柔らかな暖色の光が照らし、彼女は消えゆく障壁を見つめたままぼんやりと唇を動かした。

「…茶、葵…さん…?」

砕けた障壁の欠片から零れ落ちる焔色の光の粒は火の粉のように鮮やかで、降り積もる間もなく床の上で溶けるように消えていく。その余韻が残っている内に新たな足音が乱入したのは彼らの右手側の通路からだった。




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