力任せに突っ込んできた束状の鋼糸を冷静に見据えた青威は、飛び散った柱の破片を片手でガードしながら続けざまに三発銃声を響かせる。やはり撃ち抜いて武器破壊する事は出来なかったが、一瞬の隙を作る事には成功したようだ。銃に弾かれて動きの緩んだ鋼糸の間を縫うようにして軽やかに床を蹴ったのは桜夜だった。逃げるどころかそのまま前方に突っ込んだその行動に紺那はぎょっと目を見開いたが、それと同時に左の手首を瑠藍に強く掴まれそちらに意識を向けざるを得なくなる。
「え、なに…」
「――瑠藍!行け!」
困惑した紺那の声を高らかに響いた青威の声が遮り、それを受けた瑠藍は紺那の手首を掴んだまま彼女に何の前置きもなく駆け出した。桜夜は前方――紫桜音のいる方向へ、瑠藍と紺那はその場から離れフロア左手の通路の方へ、青威は鋼糸からの攻撃をかわす為に跳ねるように後方へ飛び退きながらも落ち着いた動作で新たな弾を込める。強い力で腕を引かれ流されるままに引っ張られてきてしまったが、行動が自分の意思に反している事に気付いた紺那は慌てて足に力を込めてその場で踏ん張るとキッと瑠藍を睨みつけた。
「ちょっと待ってよ、合図ってそういう意味の合図!?あたしも戦うってば!」
紺那が無理に立ち止まった事で必要以上に伸びきった腕の筋が一瞬攣ったような感覚を覚え、瑠藍は苦く顔を顰めて紺那を振り返る。多少なりとも抵抗はされると思っていたが、ここで言い争う時間などないのだ。折角二人が作ってくれた隙を無駄にしてしまう。
「君の目的は戦う事か!?違うだろ、『こんなトコで死ぬ気ない』んだろ!?」
「っでも!」
「残って何が出来る!?君なら分かってる筈だろ!足手纏いになりたいのか!?」
「……っ」
一体何が彼をここまで変えたのか、真っ直ぐに見据えてくる緑色の瞳には初めて会った時にはなかった強い光。グッと更に強く力を込めて手首を握られ、紫色の瞳が戸惑いがちに揺れた。躊躇うように一度後方を振り返った紺那の目に鋼糸を引き付けるように銃を撃ち込む青威の姿が映り、距離があるとはいえ紺那の視線を感じ取ったのか少年に見える青年は小さく笑んだ。ただし、目線は鋼糸から離さないまま。
「気にすんな、ネエちゃん!借りを返すだけだからよ!」
「借り…?」
「行け!次があるなら今度は地上(うえ)で会おうぜ!」
『借り』が何を指すのかは紺那にはよく分からなかったが、それこそ今ここで問い詰めている暇などない。後押しするような快活な声を受け、気持ちを抑え込むように軽く唇を噛んで表情を引き締めた紺那は、瑠藍の手を解き(紺那の意思が変わったのを悟ったのか、彼からの抵抗はなく簡単に解けた)自分から足を踏み出した。左手の壁の側面、無数に並んだ通路の一つへと。
「…行こ!どれが正解の道か分かる!?」
「分かる筈ないだろ、勘で進むしかない!」
「何だ、ちょっと見ない間に順応してきたじゃん!」
可笑しそうに吹き出されて、瑠藍は不本意だと言いたそうに顔を顰めたが言い返す事はなかった。脇道へ向けて走っていく二人を視界に捉えた紫桜音がそれを易々と見過ごす筈もなく、突然増えた新手に苛々と舌打ちしながらも逃がすものかとばかりに彼女もまたそちらへ足を向ける。しかしそれを細くも芯の通った凛とした声が遮った。
「――させません」
鋼糸の間を縫うように僅かな隙間を見事に潜り抜けて飛び込んだ桜夜は、両手を軽やかに床について自身の体重を支えるとそれを軸に前方へ跳ね上がる。張り巡らされた鋼糸を完全にかわすのは無理だったのか少量の鮮血が白い脚に滲んだが、彼女はそれにはまるで構わず紫桜音との距離を詰めると軸足に重心を定め片足を高く振り上げた。その一連の動作は正確且つ速く、攻撃をかわすまでに反応が追い付かず紫桜音は咄嗟に右腕でガードする。受けきれない程重い攻撃ではなかったが、右腕に走った痺れに彼女は表情を歪めた。
「…っこの!」
右手を強く振り払い桜夜の足を弾き返すと、それに合わせて青威の近くに取り残されたままの鋼糸が引き戻される。後方から襲い掛かる鋼糸の気配を察して、桜夜は追撃する事はせずに横の方へ飛び退くと続けざまの後方宙返りで更に紫桜音から距離を取った。勢いだけで押し切るつもりではないようだ。寧ろかなり慎重に行動しているようにも見える。バランスを崩す事なく綺麗に着地した桜夜の斜め後ろには、銃を構えたままの青威の姿も見えた。紺那と瑠藍の姿は既になく、それに気付いた紫桜音の眉が吊り上がる。
「…何なの、アンタ達。あの小娘の仲間?」
「いや?借りを返しただけだ。それに元々瑠藍とはここまでの約束だったし…」
『ここまで』、つまり『紺那と再会するまで』。
元々彼らは互いを囮に使うという約束で行動していたが、単に紺那に追い付いただけなら彼女を含めた四人で行動しただろう。ただし、それは『紫桜音がいなければ』の話だ。紫桜音との面識はないが、敵として彼女の厄介さには早々に気が付いた。少なくとも、非戦闘員である瑠藍を護り、紫桜音の攻撃をかわすので精一杯の紺那をフォローしながらでは少々厳しい相手だという程度には。戦闘に関しては全くの素人である瑠藍もそれには気付いたのだろう。紺那を救った銃声の後、桜夜が紺那を危険地帯から遠ざけた脇で手短に行動指示を出すと、彼は特に反対する事もなく素直に頷いたのだから。
(瑠藍のヤツ、微妙に俺らのやり方が伝染(うつ)っちまったかもなぁ…)
先程、紺那に言い聞かせていた瑠藍の主張を思い出しながら胸中で苦笑気味に笑う。目的を護る為には逃げる事も隠れる事も、卑怯な手を使う事すら躊躇いない。それは鴉特有の考え方であると青威は思っていた為に外部の人間にまでそれを強制するつもりはなかったのだが、どうやら(恐らく瑠藍本人も気付いてはいないのだろうが)何かしら影響は与えていたらしい。尤も、彼に関しては非戦闘員であるという自覚が強いようだったので、単に無駄な争いよりも逃げる道を選んだだけなのかもしれないが。
緩やかに思考を巡らせながらもそれを表に出す事はなく、青威は相手の出方を試すように小さく首を傾けた。距離は開いているものの、鋼糸は紫桜音の周りを取り囲むように宙に浮かんだままだ。合わせて揺れる紫色の石がチカチカと照明の光を反射している。
「アンタが今すぐ退いてくれるんなら、追い掛けて二人に追い付くんだけどな?」
「馬鹿言うんじゃないわ。どうせアンタ達も脱獄囚でしょう」
苛々と細められた瞳が二人を交互に見やり、それから紫桜音は何かに気付いたかのように微かに口元を緩めた。紺那に逃げられた事で感情的になっていた気持ちに少々余裕が戻ってきたようだ。あぁ、と小さく零れた声はどこか楽しそうにも聞こえた。
「分かったわ。アンタ達が『鴉』ね」
「…」
どこか挑発的にも聞こえる物言いに静かに表情を引き締めた桜夜の後方で、青威は相変わらず緊迫した空気を持たないままに小さく片眉を上げてみせた。ただし銃の構えは解かないまま。
「何だ、有名人だな俺ら。一応極秘機関だから有名だとマズイんだけど」
「えぇ、有名だわ。使えないって、ね」
今度は明確に紅の唇が笑みの形に歪んだが、青威も桜夜も簡単に挑発に乗ってくるタイプではない。桜夜は表情を変える事なく無言で真っ直ぐ紫桜音を見据え、青威に至っては口元に笑みさえ浮かべている。
「そら使えねぇだろうよ。リストラくらっちまったくらいだからな」
「聞いたわよ、全員投獄ですって?揃いも揃って馬鹿な人達」
「…後悔はしていません。それでも譲れない気持ちがあったから」
初めて静かに口を挟んだ桜夜を面白そうに見返して、紫桜音はフンと鼻を鳴らした。緩く腕を組むと、右手で自身の左腕をトンと軽く叩く。
「それ、腕一本失くしても同じ事言えるのかしら」
「…?腕…?」
唐突に出てきた単語の意味を掴み損ねて桜夜は怪訝そうに眉を顰めた。紺那よりも落ち着いているとはいえ、青威よりも桜夜の方が感情の揺らぎ方が分かり易い。それに気付いた紫桜音は二人を一瞬だけ交互に見やった後に、反応の薄い青威から桜夜に目線を戻すと緩く目を細めて嘲るように笑った。
「アンタ達の隊長、ここで腕一本失くしたらしいわよ?意地張って腕落とすなんて、本当どうかしてるわ」