看守室の周辺で難なく見付けた階段を上った先、丁度真正面に現れたパネルを今迄と同じように操作しようとして瑠藍は気難しい顔で動きを止めた。両脇には一本道が長く伸びているが、手軽に開けられるのならばまずは目の前の扉を開けてみても良いだろう。単純にそう考えた訳だが、不自然に止まった動きに青威も桜夜も首を傾げて瑠藍を仰ぎ見る。スライド式の扉が閉ざすその場所は今迄と何ら変わった様子もなく、それ故余計に不思議だったのだろう。
「何だ、どした瑠藍」
「いや…」
眉間に皺を深く刻みながら、瑠藍は小さく瞳を細めた。パネルを操作しようと伸ばしていた指は、何故かパネルではなくその脇の装置の角を苛々と断続的に叩いている。
「誰かがエラーを連発した」
「?エラー?そうするとどうなっちゃうんですか?」
「パスが…より複雑になる。カードキーを持っていればリセットは可能なんだろうが…クソ、どこのどいつだ…」
よく見ればパネルには確かに縦方向にカードを通す溝のようなものが確認出来た。けれど勿論、脱獄中の彼らがカードキーなど持っている筈もない。控えめに目配せしてきた桜夜に軽く肩を竦めてみせた後、舌打ち混じりに毒づく瑠藍を他人事のように黙って見上げ、それから青威は悠長に両手を頭の後ろで組んだ。こういう事に詳しくない彼には簡単に説明されたところでイマイチ危機感が湧かないのである。尤も、分かったところで無駄に焦っても仕方ない事を彼は知っていた。幸い、この場所において『正しい道は一つじゃない』。
「解けねぇのか?そんなら別の道探す?」
「いや、解ける。…が、今迄より少し時間がかかるな」
『少し』がどの程度なのかは分からなかったが、そこを追及しても無意味なような気がした。答えに迷いがあるようだったら状況を見てこの場を切り上げる事も考えたが、彼が解けると即答したのだから確実に解けるのであろう。その為の時間なら仕方ない。そう判断した青威は小さく頷くと、瑠藍と桜夜にそれぞれ目線を投げる。
「分かった、瑠藍はパス解析頼むわ。桜夜、その間 俺らは周囲警戒」
「はい、了解しました」
コクリと素直に頷く仕種に合わせて、長い黒緑の髪がサラリと揺れた。それに頷き返した後小さく首を捻ってコキリと音を鳴らした青威は、瑠藍の脇に立ったまま視線を巡らせ確かにこの場所に何者かがいた痕跡を見付け出す。
「…よっぽど短気なヤツなんかね」
「?副長?」
きょとんと瞬いた銀の瞳に軽く肩を竦めて、青威は固く閉ざされた扉を顎で示した。重厚感のある扉についた、まだ新しい白っぽい汚れ。目線よりも下の方にあるそれは、よく見れば見慣れたものの形を描いている。
「靴底の跡。ここが開かねぇから苛ついて蹴ったんだろな」
「あ、本当ですね。そんなに大きいサイズの靴じゃないみたい」
「あぁ、俺と同じくらいか。意識せずに足を振り上げてこの高さって事は、結構小柄なのかもな」
小さめの足跡を眺めながら冷静にそう分析して、青威は今度は目線を床へ向けた。壁と似たような硬い材質で作られた床は、普通に歩く分にはよっぽど靴底が汚れていない限り跡は残らない。けれどそこには扉についた型と同じようなものがいくつか散乱していた。
「床にも踏み鳴らした跡がある。ガキじゃあるまいし…いや、ガキなのかもしんねぇけど」
「そんな。子供は流石に投獄されないですよ」
「そっかぁ?コランダムならそんくらいやりそうだけどな」
会話の内容自体はおかしくないとはいえ、子供のような外見の彼らには言われたくないだろう。瑠藍の邪魔にならないようにか声を抑え気味のやり取りは、けれど距離が距離なだけに勿論瑠藍にも届いており、彼は思わず胸中でツッコミを入れてしまった。この二人の年齢詐欺っぷりにはハッキリ言って未だに慣れない。…特に26歳だとか平然と言い放った方。
「…瑠藍、今何か割と失礼な事思っただろ」
「…ちょっと話しかけないでくれないか、集中出来ない」
「へいへい。ちゃーんと集中して下さいよ。いらん事考えずに」
「…」
観察力が鋭いのは頼もしいが、妙に勘がいいのも困りものだ。含みを持たせた物言いには流石に言い返す事が出来ず、集中しているふりをして(…いや、集中しているのは事実だが)パネルと向き合っていると、ふいに二人が同時にこちらを――正確に言えば、閉ざされたままの扉を見やった。只ならぬ雰囲気を感じ取って瑠藍が一瞬動きを止めたのと同時に、何の前触れもなく扉が開く。
「!!」
瑠藍も相当驚いたが、恐らく一番驚いたのは何の気構えもなしに向こう側から扉を開けた二人の看守だろう。ぎょっと目を見開いた二人(まだ年若い青年だった)は武器を構えるよりも先に反射的に一歩後ずさり、けれどその動作がプロと素人の境界線を明確に分けてしまったようだった。
不自然に止まった一瞬の時の中で、何一つ打ち合わせをしていない筈の二つの影が即座に動く。体勢を低く沈めて右足に重心を定めた青威は、爪先で弧を描くように左足を回し手前側にいた看守の足元を掬い取った。いくら彼が小柄で体格差があるとはいえ、思いきり振りきられた力に何一つ構えていない体が対抗出来る筈もなく、足を取られた青年は短い悲鳴と共に転倒する。それに合わせたかのようなタイミングで軽やかに床を蹴った桜夜は、滞空状態から半身を捻り綺麗な弧を描いた飛び蹴りを後ろ側の看守のこめかみ辺りに叩きこんだ。その衝撃で青年の足が軽く浮いた事から、動作の軽やかさに反して結構に強烈な一撃だった事が分かる。意識を失った看守が力無く床に伏せるのと、青威が自分が転倒させた青年の腹に追撃を叩き込んで気絶させたのはほぼ同時。そのまま馬乗りになるようにしてしゃがみ込み、無遠慮に看守の持ち物を漁る顔は何事もなかったかのように涼しい表情で、音もなく着地した桜夜も小さな息を一つ吐き出しただけだ。全ては、ほんの一瞬の話。
「ちょっとビックリしましたね」
「あぁ、ウン。…お、カードキーってこれか。また開かなくなったら困るしちょっと借りてくか」
どこがビックリしたのかとか、何で持ち物を漁るのが手慣れているのかとか。
もはやそのツッコミすら上手く声にならず、瑠藍は何だか眩暈を覚えてノロノロとこめかみ辺りに片手を添えた。具合でも悪いんですか?と心配そうに桜夜が覗きこんでくるが、もはやそれすらネタでやっているとしか思えない。…勿論、彼女はふざけたりするキャラではないし至って真面目なのだろうが。力無く片手を振って応えると不思議そうに小首を傾げる仕種。その脇で立ち上がった青威は、少年のように快活な笑顔でにかっと笑うと盗品のカードキーを片手に開いたままの扉を指した。
「丁度良かったな。上手い事開いたから行こうぜ!」
…上手い事って。
開いたのは確かに偶然だが、その後はアンタ達が即座に叩きのめしたんだろ。
もしかしたら僕はなかなかとんでもない連中と行動を共にしているのかもしれない…。
そんな事をうっすら思いながらも、瑠藍はもはや全てを無理矢理に飲み込み黙って進むしかないのであった。