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巻き起こる風の音は
置き去りにした記憶の蓋を微かに開く。


忘れていたのか

忘れようとしたのか。


どちらにせよ、もう後戻りなど出来ない。



さぁ

恐れず手を伸ばして。



真実の色をその目に映す為に。










act 06 : 砂色の残像



白い壁に埋め込まれた時計が静かに時を刻んでいく。白い光が注ぐその場所は鋼の塔上層部にある部屋にしては幾分小さめで、部屋にあるものといえば寝台が一つとその脇の小さなサイドテーブルくらいだ。真っ白な寝台に横たわる少女には重々しい医療器具が取り付けられていたが、これは先程彼女と共に運び込まれたものであって元からこの場所にあった訳ではない。
白いシーツの上に散らばる細い髪は鮮やかな空色で、射抜くような光を湛えた黄金の瞳は今は閉じられたまま。背から伸びた金属の翼のせいで仰向けになる事が出来ない少女はうつ伏せに、顔だけは横に向けたまま静かに眠りに落ちていた。その顔はどこか青白く、細腕や足には何本かのコードが取り付けられている為に病人のような印象を与える。そんな蒼姫の脇で彼女を見下ろす銀恢はいつものように秘書を付き従わせるでもなく、ただただ無言で蒼姫の横顔を――或いはそこには存在しない他の何かを――静かに見つめていた。

どれ程の間、そうしていたか。
沈黙がふいに破られたのは部屋の外からで、自動ドアの小気味良い開閉音と共にまだ幼い少年声が部屋に満ちた。

「――っ姉上!」

長い距離を全力疾走してきたのか。細い肩を小さく上下させながら上がった息はそのままに部屋に駆け込んできた銀鈴は、目的の人物よりも先に兄の姿を見付けてギクリと身を強張らせた。無理もない、彼は蒼姫に会いに来たのであってまさか先客がいるとは――しかもそれが兄だとは思いもしなかったのだから。
急ブレーキをかけるように部屋の入口付近で止まらざるを得なかった銀鈴を背に、銀恢はといえば振り返る事すらせずに静かに瞳を伏せただけだった。こちらの存在を認識してはいるものの何一つ反応を示さない兄に銀鈴は益々気まずそうにウロウロと視線を彷徨わせ、けれどいつまでもそうしている訳にもいかずに恐る恐る口を開く。紡がれた声は辛うじて震えてはいなかったが、小さく掠れていた。
「…兄上、姉上は…?」
「――銀鈴」
ようやく返された声は無機質で、けれど重圧を纏って低く響く。思わず息を飲み込んだ銀鈴の方はやはり振り返らずに、銀恢は静かに口を開いた。
「何をしているんだ」
「…え?」
一瞬意味を捉え損ねて目線を上げる。白い光の下、コートに刻まれた赤い印が妙に鮮やかに色付いていた。
「何をしているのかと聞いている。お前の仕事場はここではない筈だが」
「!でもっ…」
「――お前は」
反論しようと口を開きかけた銀鈴の言葉を遮って、伏せたままだった瞳を開く。その目が振り返って弟を見る事はなかったが、言葉だけは背後に突っ立ったままの少年へ容赦なく投げられた。
「お前は与えられた仕事も出来ないのか。いつから怠け癖がついた」
「―っ」


そこにどんな理由があったとしても
やらなければならない仕事をやらなかったのは事実だ。

だから、反論は出来ない。


微かに震える少年の唇は何かを紡ごうとして、結局言葉を見付ける事が出来ずに閉ざされた。返す言葉を無くして俯いた銀鈴に、銀恢は静かに、けれど厳しく言葉を投げ付ける。
「仕事に戻れ。分かるな、銀鈴」
「…分かった。ごめんなさい、兄上…」
「分かるな」とは言うものの、その言葉には絶対的なものが纏われており反論は最初から許されていなかった。その重圧に気圧されてか、俯いたままの少年は素直に謝罪しノロノロと踵を返す選択肢を選ぶだけ。部屋に駆け込んで来た時とは明らかに違う足の重さは、胸中とリンクしている為か。錘(おもり)がついたかのような足を無理矢理動かして退室するその直前、陰った金の瞳は肩越しにもう一度部屋の中を振り返った。その気配は感じ取った筈だろう、けれどすっかり見慣れた兄の背中は微動だにしない。引っ掛かったものを吐き出すように、小さく開かれた口からは掠れた声が零れた。

「…でも…でもさ、僕だって家族なのに……心配もしちゃいけないの…?」


バード・プロジェクトに関して殆ど蚊帳の外状態の彼に出来る事など、その程度しかなかった。絶対的な兄の言葉に逆らう勇気は持っていなくても(或いは逆らうという事すら考え付かなくても)求めてもいない力を授けられる度に弱っていく少女の事を心配する気持ちは本物であったし、だからこそ心配する事しか出来ない己の無力さが歯痒かった。
けれど、兄はそれすら余計な事だと言わんばかりに彼を遠ざけようとする。尤も兄に遠ざけようとしているつもりはないのかもしれないが、銀鈴にはそのように感じられて仕方がなかった。


決死の思いで口にした言葉に返事はなかった。どこか縋るように兄の背中を見つめていた弟は、やがて諦めたかのように視線を落とすと落胆の滲んだ溜息混じりの声を吐き出す。これ以上のやり取りを切り捨てられたのだと解釈して。

「……仕事に戻るね」

それに返る言葉もやはりなく。
再び自動ドアが開閉する音を耳に入れながら、銀恢は脇で眠る少女へ、弟へは向けなかった目線を静かに落とす。規則正しく繰り返される呼吸音に合わせて小さく揺れる鋼の翼は、明る過ぎる光を反射して鈍く輝いていた。




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