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act:05-08

二つ分の部屋の敷居を取り外したかのような横に長い一室には所狭しとモニタや機械類が並んでおり、数人の研究員達がそれぞれの作業に向き合っていた。室内の照明は他の部屋に比べると若干暗く、モニタの光がやけに明るく浮かび上がる。中央の壁には横広の窓ガラスが取り付けられていて、そこからは暗く閉鎖した空間とは対照的な白く明るいホールが見渡せた。
部屋に満ちる単調で小さな電子音は乱れる事なく一定感覚で鳴り続け、その音を背に受けながら銀恢は窓ガラスの前に立って ただ真っ直ぐにガラスの壁に隔たれた向こう側の世界を見つめていた。斜め後ろではいつものように白凪が言葉なく静かに控え、周りでは彼らの存在感に気圧されているのか研究員達が普段以上に緊張した面持ちで各々の作業に勤しんでいる。
無言で見つめる金の目線の先、厚いガラスの向こう側は目線よりも下に床があり、目線よりも上に天井がある。つまり、天井が高くぽっかりと広いそのホールは銀恢達のいる場所からは二階から一階を見下ろす位置取りだ。限りなく白に近い薄灰色の壁と床で囲われたその空間は、他の部屋よりも頑丈な素材で出来ていると前に白凪が言っていた。強大な力に出来る限り耐えれる素材で作った場所なのだと。


ホールの中央には金属の翼を持った小さな少女が一人。
右頬のガーゼはもう取られていたが、白い頬はまだどこかうっすらと赤く染まっているようにも見える。華奢な身体にはデータを取る為のコードが何本も絡みつき、彼女は最初こそ煩わしそうにそれを睨んでいたが、今はもう諦めたのか薄灰色の床をじっと見つめて――というよりも、睨みつけていた。二つの空間を隔てるガラスは特殊な加工によって銀恢達のいる部屋からはホール内にいる少女の様子が見えるが、その逆は見えないらしい。幾つもの視線を頭上から受け、けれど空色の頭は殆ど動く事すらなく金の瞳は強い目線で床を睨むだけ。

今迄に何度もこういう実験を繰り返してきたが、彼女はいつも『こう』だった。怯えて震える事もなければ、怒って喚き散らす事も、泣いてぐずる事もない。最初の方こそ抵抗はするが、こうして実験準備が大方整うと抵抗を止め、一切の言葉を口にしなくなる。けれど金の瞳だけはいつも敵意剥き出しに関係者を睨みつけていて、そこに無言の抵抗を見せるのだ。

諦めている訳ではない。
それは、囚われても決して屈さないという強い意思表示。


「セットアップ完了、各種数値正常、安定しています。…システム起動可能です」
控えめながらもハッキリと告げられた研究員の言葉に目を向けたのは銀恢ではなく白凪だった。研究員の言葉にも振り返ろうとさえしない銀恢の代わりに銀の瞳がぐるりと一度室内を見渡して静かに頷く。
「分かりました、それでは始めて下さい」
「…今回の実験は身体に負担が大き過ぎます。場合によっては…」
「構いません。それが社長の意思です」
「しかし…」
尚も食い下がろうとするのは、人として正常な罪の意識があるからか。けれど、それを冷たく一瞥した白凪は研究員の言葉を遮って先程よりもどこか強い口調で言い放った。
「もう一度言います。――始めて下さい」
「…了解しました」
有無を言わさぬ絶対的な重圧に敵う筈もなく、続ける筈だった言葉を飲み込んで引き下がった研究員は気持ちを切り替えるように表情を引き締めると正面で光るモニタに向かい合う。周りの研究員達も同じように自分の担当位置についているのを一度確認してから、彼は重い口を開いた。

「――バード・システム、レベル02開始します」







***


広いホールの中央に一人きりで立つと、頭上から降り注ぐ照明が交差する幾つかの影を生み出す。自分の他に人影は見えなかったが、頭上から幾つもの視線が見下ろしているのは感覚で分かった。姿を見せないという事、見下ろされているという事が気に食わなくて、意地でもそちらの方にはチラリとも視線を投げなかったが今の自分に出来る抵抗はせいぜいそのくらいだ。蜘蛛の巣のように身体や翼に絡みつく幾つものコードは部屋の隅に置かれた大きな機械に繋がっていて、それがデータを取っているのだろうと推測出来た。


『翼の強化を』

白凪が言ったその言葉の意味を、蒼姫は痛い程によく分かっていた。背中に取り付けられた翼がどのような機能を備えているのか、正確な情報は知らなかったがその力の代価として自身の体力が削られているのだけは感覚で分かっていた。つまり、今でさえ体力を保つ事に精一杯なこの翼を更に強化するという事は、今迄以上の代価が必要となるという事。

それは
もしかしたら、今日、この場で、力に耐え切れずに命を落とすかもしれないという事。


小さな電子音が鼓膜を掠めたのは気のせいだっただろうか。それを気にする間もなく、まるで重力が上乗せされたかのような重みがふいに身体全体にかかって蒼姫は金の瞳を見開いて小さく息を呑んだ。

それと同時に理解する。
生死を分かつ実験が、始まったという事を。


今迄にも何度か翼の力を使った事はあるがそれとは比にならないくらいの極度の疲労感が一気に押し寄せ、蒼姫は思わずその場に両膝をついた。片手を床につく事で辛うじて倒れ込むのは避けたものの、もう一度立ち上がる事は不可能だと思える程に身体が酷く重い。痛みはないが何かが詰まったかのように息が上手く出来ず、嫌な汗が流れ落ちていく。酸素を求めて服の胸元を握り締める手は血の気を無くし、酷い耳鳴りがノイズ混じりの世界に響いていた。
その場に崩れるように次第に身体を前に折る蒼姫とは真逆に彼女の背から伸びた翼は広がるように高く持ち上がり、先端に取り付けられた宝玉の色が普段の青から様々な色彩へと変わっていく。色相環を巡るかのように絶え間なく変化する色はどれもが強い光を放ち、白いホールを無限色で塗り潰していった。



息が出来ない

血が滾る

目の前が歪む


苦しい


苦しい くるしい


クルシイ クルシイ クルシイ



私は、ここで、終わる――?





『      』





絶望に飲まれかけたその時
頭の奥で響いたのは声だったのか、単なる音だったのか。

途切れていく意識の中で最後に聞いたのは、耳鳴りを掻き消す程の強い風の音だった。







***


「南側外壁損傷!」
「馬鹿な!外壁までいくつ部屋があると思って…」
「直線上に全て貫通しています!」
警報が鳴り響く室内で大慌てで駆け回る研究員達は、予想外の事態に動揺を隠せない。先程の静かに張り詰めた緊張感は見事に混乱に陥り、けれどその中でも銀恢は微動だにする事なく黙ってガラスの向こう側を見つめていた。彼の背後で慌てるのは研究員達だけだ。
「有り得ない…数値はどうなっていた!」
「瞬間的に同調率100%を振り切りました!100%越えは計測不可能です!」
「『鳥』は!?」
「鼓動音確認!極度に弱っていますが、生存しています!」
「これ以上は彼女だけでなく我々も危険だ… ――白凪さん!」
どこか縋るような呼びかけに静かに目を向けた白凪は、相変わらず振り返りもしない上司の方を一度チラリと見やって彼にまるで動く気がない事を察すると研究員達の方へ改めて身体ごと向き直った。
「システムを中断、『鳥』を無事に確保、それから応急処置を。データは今の事態を数値化したものを纏めて後から提出して下さい」
「りょ、了解しました」
取り乱す研究員達をザッと見渡してから落とされた声はいつもの冷静沈着なもので、それに頭が冷えるかのように彼らにも幾分冷静さが戻ってくる。戸惑いながらも指示をこなしていく研究員達に時折的確な指示を与えながら、白凪はそっと銀恢の背中を盗み見て静かに緩く瞳を伏せた。


瞬きも忘れたかのように見入る金の瞳は、最初から最後までを確かに見ていた。
床に崩れ落ちる小柄な身体。流石に耐え切れないかと判断し実験を一時停止させようかと思った瞬間、彼女を取り囲むように解き放たれた強大な風のエネルギー。その中央で輝く、大きく広がった金属の翼。
吹き荒れた風の刃は正面の壁を容易く破壊し、空を求めて突き進んだ結果、塔の外壁を突き破った。鋼の塔内のどの部屋よりも頑丈に作った筈のホールには呆気なくも巨大な穴が開き、深い亀裂が直線上に床を抉っている。

そして、何より
それだけのエネルギーをその身に宿して尚、彼女は生きているのだ。



この実験結果に彼は何を思ったのか。

気を失って床に伏せている少女を、それからその周りを緩く取り囲む風の余韻を見つめて、銀恢は何を口にする事もなくただゆっくりと静かに瞳を細めた。




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