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act:04-10

吹き抜けのように天井も床もないその空間は、垂直に伸びる四方の壁に囲まれてどこまでも続いているかのようだった。くすんだ灰色の壁には所々に人が2,3人並べるくらいの長方形の空洞が開いていて、全体を視野に入れて遠目に見ると全ての穴がビルの壁に作られた小さな窓のようにも見える。
終わりのないように見えるその場所を上から下へ突き抜けるように真っ直ぐ落下していた晴は、成す術もなく落ちていく身体がふいに浮き上がったような感覚を覚えて反射的に目を見開いた。けれど上に引っ張られるような浮遊感は一瞬だけで、その後凄まじい締め付けが首元を襲い、グエッと潰れたような声が咽の奥から勝手に漏れる。両手で慌てて首元を押さえゲホゲホと咳き込むと、彼にとっての死角から完全に呆れ返った声が投げられた。

「…お前一体何してんの?」
「へぁ?何?誰っ?」

それは顔が見えない上に声だけで判別出来るほど聞き慣れた声ではなかったが、確かに聞き覚えのある声。その声の主を探そうと身を捩るが、両足をジタバタと動かす程度しか出来なかった。
自分が今どういう状態にあるのかは未だよく分からないが、長い長い落下はようやく終わってくれたらしい。しかも床との衝突による最悪な終わり方というケースは免れたようだ。周りの景色は動いておらずフラフラと揺れる両足は宙に浮いたままである事から、どうも空中に静止している状態なのだと理解する。先程から首元を締め上げているのは、着ている紺のタートルネックの服だと分かった。襟首の辺りが何かに引っ掛かったようで、服自体が上に持ち上がっているのだ。再度首を捻って何とか背後を振り返った晴は、数刻前に出会った漆黒の瞳を視界の端に捉えてパッと目を輝かせた。

「黒斗!黒斗だっ!」
「うっせーよ、呼び捨てんなガキんちょ」

壁にぽっかりと開いた穴の淵から身を乗り出し、晴の襟首に長い棍のようなものを引っ掛けて宙に吊るしていたのは黒斗だった。彼にとっても反射的な行動だったのか、落下していく晴を間一髪拾い上げたその表情は安堵というよりもどこか不本意そうに見える。両手で棍を持って足を踏み締めている黒斗の後ろには、茶葵の姿も見えた。こちらは純粋に驚いているようで、見開かれた目が空中に吊るされた晴を唖然と眺めている。
「驚いたなぁ…大丈夫か、晴?」
「茶葵サン、いいッスよこんな奴気遣わなくて」
「んだよー!ヒデーっつーの!意地悪黒斗!」
「オイ、落としてもいいんだぜ?」
「やだーー!やめて!ごめんなさい!」
今はこの棍だけが命綱。トーンの落ちた声音に蒼白になった晴は、ジタバタともがいて涙目で棍にしがみ付く。その分かり易い様にやれやれと嘆息を零して、黒斗は宙に浮かんだ少年を仕方なくといった風にノロノロと回収した。







***


「は〜、助かった!サンキュな!」
不安定な空中から通路の端に下ろされた晴は、そのまま胡坐を掻いて硬い床の上に座り込むとニカッと明るく笑った。その前では漆黒の長い棍を持った黒斗が、パタリと目元に手を当てて「やってしまった」と言わんばかりに長い溜息を吐き出す。
「あーあ…。空賊助けちまったぁ…」
「いいじゃん!サンキュな黒斗!」
「俺の主義に反するんだよ!」
人懐っこく笑う晴にも黒斗は心底嫌そうに顔を顰めて目線を逸らす。世間には空賊を快く思っていない者も少なくない為(特に空賊は政府機関関係者とは犬猿の仲だ)空賊というだけで嫌われるのは珍しい事ではないが、本人の目の前でここまであからさまに嫌われたのは久々で流石の晴もムッと眉を吊り上げた。
「んだよ、いいじゃんか!空賊だってイイ奴いっぱいいるもんねっ!」
「関係ねーよ、空賊なんて皆一緒だ」
「そんなん分かんねーじゃん!だって全部見たワケじゃねーだろ!?」
「うるせーな、大体お前…」
「あー、よせよせ!やめろ、二人共!」
今にも噛み付きそうな勢いで火花を散らす二人の少年の間に割って入ったのは茶葵で、彼は黒斗の肩を押し戻して晴から距離を取るように遠ざける。顔を顰めたまま、それでも渋々身を引いた黒斗から手を放すと、彼らがこれ以上衝突しないように二人のお子様の間に立ってやれやれと溜息を零した。


晴が前回黒斗と茶葵に出会ったのは、時間にしてほんの何時間か前の事だ。時間感覚のないこの場所では定かな事は分からないが、もしかしたら未だ一時間も経っていないかもしれない。そんな短時間の中で晴が大事で大事で仕方ない(と本人が思っている)生命線の菓子入れを取り戻していたように、二人もまた、漆黒の迷宮を駆け回って何かしらの収穫を得たらしかった。
黒斗の手には晴が自分の武器と交換に押し付けた赤銅色の棍は既になく、代わりにやたら長い漆黒の棍のようなものが握られている。先程、晴の襟首を引っ掛けて助けてくれたものだ。茶葵はというと、鈍い光沢のある大きな黒い銃器をベルトで固定して肩から提げていた。両手で抱え込まないと持ち上げる事さえ出来なさそうなその銃は、表面に直径10cm程の橙色の宝玉が取り付けられている。更に足元には、肩から提げた銃程ではないにしても一抱えはありそうな布袋が置かれていた。中身までは見えないが、それなりの大きさがあるものが入っているようだ。


その場に座り込んだまま大きなツリ目がちの瞳でじっと二人の様子を観察した晴は、目を合わせようともしない黒斗にではなく、目の前の温厚そうな青年を見上げる。快晴の空を映し出したかのような瞳が一本の線になるように細くなって、人懐っこく笑った。
「武器見付かったんか?良かったなー」
「ん?あぁ、あの後見付かったんだ。で、先を急いでたんだけど…」
そこまで言ってから視線を向けた先は、先程 晴が落ちてきた吹き抜けの空間。彼らが今留まっている通路は突き当たりで急に視界が開けて、床も天井もないその空間に繋がっている。逆側は薄闇の中へ真っ直ぐに通路が伸びていたが、普通に考えて彼らはそちらからやって来たのだろう。幸いにも彼らが行き止まりに突き当たったのと、晴が上のフロアから降ってきたタイミングが見事に重なった訳だ。つられるように茶葵の目線と同じ方向へ目を向ける晴をチラリと見やって、茶葵は緑色の頭の上から言葉を落とした。
「最初はこの先にも通路が続いてたんだけど、それがいきなり消えたんだ。もう少し進んでたら俺達も落ちるところだった。ヤバかったな、黒斗」
「俺はそんなヘマしませんよ。そこのガキんちょじゃあるまいし」
「にゃにー!?俺っ!別にヘマしたんじゃねーもんっ!」
売り言葉に買い言葉。素知らぬ顔で放たれた言葉に簡単に挑発された晴は(イチイチ挑発する黒斗も相当大人気ないのだが)その場で反動をつけて跳ねるように立ち上がると、「またか」と肩を落とす茶葵越しに黒斗を睨んで、べぇっと舌を出した。
「床が全部抜けたんだっつーの!回避不可能じゃんか!バカ黒斗!」
「あぁ?てめぇ、助けてやった恩も忘れやがって…」
「忘れてねーし!サンキュって言ったじゃん!二回も!」
「礼言やぁいいってモンじゃねぇんだよ!」
叩きつけるように言葉を吐き出して(尤も、晴は全く堪えていないようだったが)黒斗は軽く身を屈めると、茶葵の足元に置いてあった布袋へ手を伸ばした。口を縛ってある長めの紐を手にとって引っ張り上げると、そのまま肩に引っ掛ける。
「行きましょうよ、茶葵サン。コイツ多分見付かってますよ。一緒にいたら俺らもヤバイ」
「へぁ?見付かった?誰に?」
ポカンと口を半開きにして首を傾げる晴をチラリと横目で見やって、茶葵は緩くかぶりを振った。細い茶色の髪がサラリと揺れる。
「…いや、多分今は大丈夫だと思う。そうじゃないと晴だけじゃなくて俺達全員、今頃牢獄エリアに戻ってるよ」
「けど、床が全部抜けるなんてそんな確実なトラップ…」
眉を顰める黒斗の言葉の続きを聞かずとも理解して、小さく頷く。傍らでは未だ、晴が疑問符を浮かべて黒斗と茶葵を交互に見上げていた。
「あぁ、確かに見付かってはいたんだろう。ただ、恐らく落下した事で死んだと思われたか…今は一時的かもしれないけど大丈夫の筈だ。少なくともトラップマスターの目は離れてると思っていいんじゃないかな」
「…ちぇ、運のいいヤツ」
晴の体格が小柄な事もあって必然的に緑頭の上の方で交わされる会話は晴に分からない事を話しているかのようで、少年は自分の存在を主張するかのようにその場でひょこひょこと数度飛び跳ねた。これでは蚊帳の外が嫌で、難しい話に割り込む子供そのものだ。
「なぁなぁ!何の話っ?俺、あの後誰にも会ってねーよ?それなのに誰に見付かったの?」
「あー、えーと…恐らくの話だけど。トラップマスターが…」
「とらっぷますた?」
「…いや、いいや。晴、時間もないし話は歩きながらにしよう」
間抜け面で聞き返した晴の反応にイチイチ丁寧に話してやっていたら無駄に時間を取られると判断したのか、茶葵はパタパタと片手を振って晴の好奇心を遮った。通路が続いている方――つまり二人にとっては引き返す事になるのだが、そちらの方に向かって既に歩き出している黒斗の後に続こうとそのまま足を踏み出しながら、ポカンとこちらを見上げている少年に向かって軽く手招きをする。
「おいで。何処までかは分からないけど…とりあえず暫く一緒に行こう」
「ホントっ?」
「はぁ!?茶葵サン何考えてんスか!?」
パッと目を輝かせた晴とは逆に、俊敏に振り返った黒斗の表情は呆れ返っていた。何が彼をここまで空賊嫌いにさせているのかは分からないが、黒斗的には空賊である晴とはさっさと別れたかったらしい。けれど茶葵は前方から飛んできた非難めいた視線にも動じる事なく、涼しい顔で肩を竦めてみせた。
「どちらにせよ一本道だし。フロア構造が変わったのなら、また新しい道探さないと他に道ないじゃないか。この状況で二手に別れる方が難しいよ」
「…」
その意見は正論として黒斗を黙らせるのには充分だった。未だ嫌そうに、けれど反論する言葉を失った黒斗は、苦々しく顔を歪めた後に強い視線でジロリと晴を睨む。
「…オイ、足引っ張んじゃねーぞ」
「分かってるっつーの!なーなー、黒斗!その棍ってさー、素材何?持ってみてもいい?」
「っだー!懐くな!触るな!お前は最後尾歩いてろ!!」
嫌われているにも関わらず懐っこくパタパタと駆け寄る晴と、その頭を押し戻す黒斗と。毎度お馴染みになりつつある、相変わらずなやり取りに苦笑を零しながら茶葵も彼らの後に続いた。




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