「要は俺達も立場的には瑠藍と同じって訳だ」
先程、桜夜が気絶させた看守を飛び越えるようにして避けながら、青威は最初にそう切り出した。
通路の突き当たりを更に右折した先は長い階段が続いていて、今度は天井に切れかかった照明の存在はなく壁の端に小さな橙色の明かりが点々と灯っている。螺旋を描くように曲線を描いて上へと続く階段は見える範囲が限られている為に見通しは悪かったが、暗くて視界に影響が出るという事はなかった。
『話は歩きながら』の言葉に従って、後ろから聞こえてくる声を耳に入れながらも瑠藍は足を止める事なく最初の一段に足をかけた。数歩前では数段先を上っている桜夜の影が細く階段に張り付いている。歩く度に揺れる艶のある黒緑の髪を視界に映しながら足を踏み出す瑠藍の背中に向けて、最後尾から言葉の続きが紡がれた。
「元々俺達はコランダムに雇われていたんだ。勿論、俺達の場合は研究員じゃなくて戦闘員だったけど」
「雇われ傭兵は塔内でもたまに見かけた。…しかし、失礼を承知で口にするが『こういう』タイプは見た事がないな」
瑠藍の言う『こういう』タイプというのはつまり、実力と外見、取り巻く雰囲気が釣り合っていないというかなり失礼な意味の事だ。言動の節々から大人びた空気を感じる時もあるが 基本的に彼らはどう見ても外見的には10代の少年少女で、彼らの実力の一部でも知った以上は見かけで判断する訳にもいかないが、少なくとも瑠藍は鋼の塔内で『こういう』タイプの傭兵を見かけた事は一度もなかった。
どこかまだ納得していないような瑠藍の物言いに、けれど青威は気を悪くした様子はなく寧ろ明るく笑い飛ばした。瑠藍は気付かなかったようだったが、桜夜も前を向いたまま小さく苦笑を零したらしく細い肩が一瞬小刻みに震えたようにも見える。
「まぁ、俺達は傭兵じゃなかったからな。塔には出入りしてたけど普段は専用の出入口使ってたし、仕事ん時は極力素性割れないようにしてたし。研究員と接する事もなかったしな」
「傭兵とは違うのか?戦闘員なのに?」
コランダムで働いてはいたものの知識を武器にした研究員だった為に、コランダムの戦闘要員関係のシステムには全く詳しくない瑠藍にとっては、戦闘員と傭兵はイコールで繋がる職業だった。それ故意外そうに首を捻ると、ハッキリとした否定が返ってくる。
「違う。俺達は傭兵としてコランダムにいた訳じゃない」
きっぱりとかぶりを振って、青威は目の前で揺れる瑠藍の白衣をチラリと見上げた。その背に記された赤い印――コランダムのマークは彼と桜夜のジャケットにも記されている。属した部署が違うとはいっても、組織規模で見れば同じ場所にいた証だ。
「俺達は護衛隊だった。コランダム上層部関係者を護る為の精鋭護衛隊だ」
「護衛隊?…聞いた事がないな」
「そりゃそうだ。公には知らされていなかったからな。特に傭兵ならともかく研究員は知らなくて当然じゃないか?」
「それって傭兵とどう違うんだ?傭兵もコランダムを護る為に戦っていると思っていたが」
純粋に零される疑問に青威は小さく笑った。馬鹿にした訳ではない。特殊な環境に長く身を置いていたせいで、一般の意見を聞くのが何だか不思議で新鮮な気持ちだったのだ。
「傭兵はコランダムから『命令があれば』動くんだ。依頼内容は様々だけど…大抵、勝負に勝って報酬を得る事を優先する」
それに対して、と続けながら瑠藍の靴底が弾いた小さな陶器の欠片のようなものをひょいと軽やかに避ける。小さな音をたてて下の段に転がっていったその欠片は、数段下で細かく砕けて動きを止めた。
「俺達は『護る為』にしか動かない。護る事を優先してっから、その為には勝負にわざと負ける事もあるし敵前で逃げる事にも抵抗はない。逃げも隠れもするし汚ねぇ手も使うぜ」
「…それ程の価値がある人間なのか?上層部は」
バード・プロジェクトに関わってからの一件は瑠藍にとって裏切りの連続と理不尽な事ばかりで、それ故言葉にも隠す事なく棘が入った。それを咎めるつもりもない青威が苦笑混じりに答える前に彼らの会話に割って入ったのは意外にも先頭を歩く桜夜で、綺麗な高音が控えめに、けれど迷いない音を纏って周囲に満ちる。
「確かに私達は仕事でコランダム上層部関係者を護っていました。でも彼らだけを護っていた訳じゃありません」
振り返る事なく歩を進めながら落ちる言葉の欠片は硝子の音のような透明感のある響きを残しながら、一つ一つの音に意味を持って繋がっていく。
「私達の隊の唯一にして絶対の隊則は『護りきれ』。コランダムの事じゃない、己の信念や意思を持ち、それを護れって意味です」
例えそれが雇い主に逆らう結果になろうとも。
それは護る事だけに全てを懸けていた彼らが、最後まで手放してはならない誇りだった。
「だから私は諦めない。私は私の意思を護り抜く。隊の皆ともう一度地上に帰る事が今の私が『護る』意思だと思うから」
振り返る事のない彼女の表情は見えなかったが決然とした固い意思が見えるかのような言葉には凛とした響きがあって、瑠藍越しに桜夜の小さな背中を見る青威は静かに目を伏せて声には出さずに緩く笑った。
「ま、そういう頑固な俺らだからよ、バード・プロジェクトに意見しちまって。全員纏めて投獄だ」
ガラリと変えた声音はわざとらしい程に明るくて、肩を竦める青威をチラリと肩越しに振り返った瑠藍はレンズの奥の瞳を若干細めた。
上層部直属の護衛隊であるらしい彼らが纏めて投獄される理由など、バード・プロジェクト絡みくらいしかないだろうと思っていた。だから、彼らが投獄された理由について特に驚く事はなかったが、『全員纏めて』という言葉に妙な違和感を感じたのだ。彼らが何人構成の部隊なのかは知らないが、直属の護衛隊自体が無くなるというのはコランダムにとってマイナスにはならなかったのだろうか。
「護衛隊が全員?それはコランダムにとっても困るんじゃないか?」
「やー、代わりなら金積みゃあ見付かるんじゃね?容赦ねぇんだわ、あの社長…と、秘書」
秘書、の部分だけ若干声が小さくなったような気もしたが、そこに違和感を覚える前に桜夜がふいに歩みを止めた。先頭が止まった事で、自然と後ろの二人も足を止める。
「…副長、お願い出来ますか?」
振り返って青威へ視線を投げた桜夜は、右手の人差し指で数メートル先の天井の隅を真っ直ぐ指していた。その指が示す先を目線で辿っていくと、天井の隅に黒い長方形の物体が取り付けられているのが分かる。高い位置に取り付けられた監視カメラは床に向けて設置されており、レンズが橙色の照明を反射して鈍く輝いていた。
「あー…面倒臭ぇ角度につけてあんなぁ…。割ると目立つか…。ここが映らないギリギリの位置?」
「そうですね、角度から見て映る範囲が広いと思いますし。…ここからは難しいですか?」
「んや、問題ねぇ。任せとけ」
一瞬面倒臭そうに顔を顰めた青威は瑠藍の脇を潜り抜けるように前へ出ると、腰元のホルダーから銃を引き抜いた。彼のスペースを空けるように少し下がった桜夜の前で構えた銃は、何故か銃口が明らかに下の方――監視カメラの設置された天井ではなく床へ向けられている。戦闘に関して素人の瑠藍もそれには流石に違和感を覚えて思わず口を挟みかけたのだが、そんな彼を制止するように服の裾を引っ張ったのは桜夜で、彼女は立てた人差し指を自分の口元に持っていって黙って見ているようにと無言で促した。先程よりも慎重に狙いを定めたらしい青威は、スッと息を吸い込むとそれを吐き出すのと同時にトリガーを引く。
「――っ」
銃声が一回弾けるように響いて、解き放たれた弾丸は秒速を越えたスピードで真っ直ぐ床に向かっていき――そこで床にめり込む事なく跳ね上がった。ほぼ垂直に弾き飛ばされたかのように軌道を変えた弾丸は監視カメラの底を弾き上げ、カメラ自体の位置を浮かせて角度を新たに調整する。たった今まで下を向いていたカメラは一発の弾丸に角度を変えられ、通路を通る者はカメラに映らなくなった。代わりに今現在あのカメラには何の変わりもない天井が正常に映っている事だろう。
お見事です、と笑う桜夜に片手を挙げて応えながら振り返った青威は、今見たものが信じられないという風に目を瞠る瑠藍にニヤと笑いかけた。銃をホルダーに収めながらひょいと身を屈めて、再び瑠藍の脇を潜り抜けて最後尾に戻る。
「…で、話戻るけど。俺は一応その隊で副長やってた。得意武器は拳銃、特技は今見たように跳弾。役割は主に後方援護」
「でもたまに前にも出てましたよね」
「まぁ、そんな日もある」
クスクスと笑う桜夜に肩を竦めて笑い返しながら、聞いているのかいないのか立ち尽くしたままの瑠藍の背を押す。慌てて振り向いた彼に既に歩き出した桜夜の後に続くよう、促した。
「ちなみに桜夜はうちの切り込み役。うちにはもう一人切り込み役がいるんだけど、まぁそれは置いといて。ちょっと今は武器失くしてるんで攻撃力は落ちてるんだけどよ、桜夜のスピードはうちで一番だぜ」
「…ナルホド」
これで桜夜が先頭を譲らなかった理由も、青威が当たり前のように最後尾からついてくる理由も分かった気がした。つまり、これが彼らのベストポジションなのだ。
『そもそも俺達はそういう相手と行動する事には慣れてんだ』
今更、瑠藍と出会った時に青威が言ったあの言葉の意味を理解する。
『そういう相手』とは戦闘能力を全く持たない相手。
彼らの事を知ってしまえば当たり前の話だ。何せ彼らは護衛のプロなのだから。
騙されていた訳ではないが、色んな事実が繋がってくると今迄の自分の言動が馬鹿みたいに思えてくる。完全に上を向いてしまった監視カメラの下を遠慮なく通りながら、瑠藍は嘆息混じりに二人に対して言葉を投げた。
「そういえばアンタ達、仲間は探さなくていいのか?纏めて投獄されたんだろ」
「あー…まぁ、その事も一応考えたんだけど」
ガシガシと海色の頭を掻いて首を捻ったのは青威。彼にしては珍しく自分の選択に若干自信がなさそうに眉根を寄せている。
「皆考える事は同じじゃねぇかって。だからアイツらも動ける奴は脱獄してんじゃねぇかなって思って」
「だから私達はまず、ここの機能を停止させる事が優先だと思ったんです。地下トラップが機能しなくなれば、まだ地下に残ってる仲間も脱獄し易くなるかもしれないから」
桜夜が言葉の続きを受け取ると、青威は小さく笑って「そういう事」と付け足した。
「俺と桜夜はたまたま投獄されたフロアが同じだったんだ。だから一緒に行動してる。運が良かったっつーか」
な、と桜夜に相槌を求めると、彼女はにこりと笑って「ハイ」と頷いた。こうやって見ていると仲の良い兄妹のようにも見える。自分よりも大分小柄な二人組をそれぞれ交互に見下ろした瑠藍は、改めてこれまた今更な事を口にした。
「で?そんな頑固者集団に名前はあるのか?それとも護衛隊は護衛隊って名前?」
正直なところ名前などどうでも良かったのだが、わざわざ尋ねたのは単なる雑談に近かった。それを理解したのだろう、一瞬きょとんと顔を見合わせた二人は(益々、ただの少年少女に見えた)ふいに小さく笑いを零すと同時に頷く。問いに答えたのは青威の方だった。
「コランダム上層部直属精鋭護衛隊 、『鴉(カラス)』。俺達はそう、呼ばれてる」
人工の翼を護る漆黒の翼。
闇の中で羽ばたく鳥は、自分の名前も信念もまだ捨ててはいなかった。