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act:04-08

大人が二人並んで通れる程の幅しかない通路は両脇に牢獄を挟んでいた通路よりも格段に狭く、隠し通路のようにひっそりとフロアの隅の方に伸びていた。天井の高さは変わらない為に、幅だけが狭くなった分、断面図がやたら縦に長い長方形にも見える。真っ直ぐ一本に伸びた道は突き当たりで直角に右折しており、更に二十メートル程進んだところで鉄格子に遮られて行き止まりになっていた。けれど、その奥に道が続いているのが格子の間から確認出来る事から本当に行き止まりという訳でもないらしい。鉄格子の脇に備え付けられたパネルのようなものの存在が、身分を証明するものの提示を求めているのが分かる。つまり、『関係者以外は行き止まり』という訳だ。だとすれば、出来る事なら関係者になりすますのが手っ取り早い。



「これで開く筈だ」

白い光を淡く放つ、幅15cm程のパネルを操作していた手を止めて最後に人差し指で軽やかに画面を弾くと、通路を塞いでいた鉄格子が重い音をたてながら自動的に持ち上がった。そのまま天井に吸い込まれるかのように格子は上がっていき、やがてその音が余韻を残しながら止まる。堅固な門が開いた後に繋がった道を眺めながら、軽い調子で尻上がりの口笛を吹いたのは少年に見える青年だった。高い口笛の音が通路の壁に小さく反響する。
「さっすが。有難過ぎて涙出てきたぜ」
「過大な褒め方は逆にマイナスに受け取られる事が多い。覚えておいた方がいい」
「じょーだんだって!マジ助かったわ。サンキューな、瑠藍」
カラリと明るく笑う快活な笑顔にやれやれと嘆息しながら、瑠藍は何となく癖で眼鏡の位置を押し上げた。


青威の言う事には、このエリアには『それなりに安全な道』が存在するらしい。それはこのエリアの関係者、つまり看守が普段地上と地下を行き来する為の道。
これは推測でしかないのだが、という前置きの後ではあったが、それには確かな説得力があった。新しい囚人を投獄する為ならともかく、交代制で地上と地下を行き来する看守の為に責任者が毎度わざわざ安全な道を作ってやっているとは考え辛いと言うのだ。それならば(青威曰く)大した戦闘能力を持たない看守が無事に行き来出来るだけの道が存在する筈。――尤も、これまた『推測でしかない勘』で、その道を見付けられた時には流石に最初から知っていたんじゃないのかと怪しんだものだが、彼は相変わらずの快活な笑顔で「マグレマグレ!」と笑い飛ばしたのだった。
関係者以外通る必要のない道――という事で、当然のようにパスワード制のロックがかかっていた訳だが、それを特に悩む事なく解除したのが瑠藍である。彼にとってそのロックは解除するのにそう難しくはないように思えた。けれどそれは、彼の基準で難しくはなかったというだけの話である。コランダム研究員の地位を剥奪されても、元エリートの実力は確かに彼に残ったままだった。


「…僕を連れてきた本当の理由はこういう事か」
戦闘能力皆無の自分を何だかんだと言いくるめて連れてきた理由をずっと不審気に思っていた瑠藍だったが、ようやくその謎が解けたような気がする。たった今まで鉄格子が塞いでいた場所を通り抜けながら嘆息混じりに呟くと、すぐ後ろでカラカラと笑う明るい声。
「や〜、ホントは看守の一人を人質に取るつもりだったんだけどよ、瑠藍がいてくれて助かったわ」
「よく言うよ。そう難しくないロックだったから良かったものの…」
「それでも私達には解けなかった筈です。有難う、瑠藍君」
二人のやり取りに控えめに割って入ったのは瑠藍の前を歩く桜夜で(危険な場所で女性を先に歩かせるのは瑠藍の主義に反したのだが、何故か桜夜は自分が先に行った方がいいと言ってきかなかった)彼女は肩越しに振り返ると瑠藍を見上げてにこりと笑った。柔らかな物腰と笑顔は変にからかわれるよりも瑠藍にとっては反応に困る。どことなく居心地悪そうに彼女から目を逸らして「いや」と短く呟くと、すぐ後ろで青威がニヤニヤと笑う気配がした。それを振り払うかのように小さな咳払いを一つ落とす。
「で?どの程度まで安全なんだ」
「…まぁ、普通に考えて」
青威よりも先を歩いている瑠藍に彼の表情は見えなかったが、返ってきた口調は全く危機感のない呑気なものだ。けれど、その時青威は気楽な口調で受け答えながらも、縦一列に並んだ一行(いっこう)の最後尾で腰元のガンホルダーに…正確にはホルダーに収まったサイズの合っていない銃に軽く手をかけていた。その動作とほぼ同時に――勿論、最後尾の青威の動作など見えていない筈だが――先頭を歩く桜夜の足もピタリと止まる。一つに結い上げた長い黒緑の髪が動きの余韻を残して小さく揺れる中、彼女につられて足を止めた瑠藍は怪訝そうに後ろから小柄な少女を覗き込むように僅かに身を倒した。
「…オイ?」
「…そこにいて下さい」
窺うようにかけた声に対して振り返らずに零れた声は常にやんわりと穏やかな雰囲気だった彼女にしては鋭さが混じっていて、高音の中でいくつか落ちた声のトーンは小さく瑠藍の鼓膜に届く程度の音量だった。それに訝しげに首を傾げる前に、たった今まで目の前にあった小さな背中が瞬間的に遠ざかる。そこでようやく瑠藍は桜夜が急に駆け出した事を理解した。その瞬発力は恐らくその辺の傭兵と比べても並外れており、『駆ける』というよりも『跳ぶ』に近い。
瑠藍が驚いて瞳を見開く間にも桜夜は細い通路を足音もなく真っ直ぐ駆け抜けて――タイミング良く、突き当たりの曲がり角から姿を見せた看守の前で大きく踏み込んだ。

「!?」

相手も何が起きたか分からなかっただろう。膝を曲げて体勢を低くした桜夜はその反動を利用して高く跳躍すると、看守の肩に右手を軽くかけて指先だけで重心の軸を定めた。唖然と動きを止めたままの看守を飛び越えるように、そのまま軽やかに空中で一回転して相手の背後に音もなく降り立つと振り向き様に鋭い手刀を首の辺りに叩き込む。驚く事に、小柄な体格に見合った小さな手でも武器として充分に機能しているらしい。その一連の動作は流れるように俊敏で無駄がなく、一拍後には一言も声を発する事なく、そもそも状況を理解する暇さえなく、看守の身体がグラリとその場に崩れ落ちた。それを唖然と見つめるしかない瑠藍の後ろで、少し前に途切れてしまっていた言葉の続きがようやく繋がる。
「…普通に考えて、看守はいるだろうなぁ。ここ使ってるくらいだから」
声音に変化がない事から、桜夜の突然の行動に対して青威が全く取り乱していない事が伝わる。彼は彼女がこうすると分かっていたのだろうか。ホレ、行った行った、などと後方から背中を押されて、足を止めていた瑠藍は仕方なく一歩踏み出しながら肩越しに小柄な青年を見下ろした。口をついて出た疑問は彼らと出会った時から思っていた事。
「…何者なんだ、アンタ達」
「桜夜はスゲーだろ〜。あんだけ動いといてスカートの中見えねーんだぜ」
悪戯っぽく笑う様にそれはセクハラ発言ではないのかと思うが、緩くかぶりを振る。またも上手くかわされるところだった。
「はぐらかさないでくれ。僕は戦闘訓練なんか受けた事もないが…今ので彼女が只者じゃないって事くらいは分かる」
そして恐らくこの青年も。
かわされる事のないように海色の頭を見下ろしていると、黙って目線を上げた褐色の瞳と目が合った。青威がどこか試すように片眉を上げたのと、彼らの遥か前方から桜夜の声が飛んできたのはほぼ同時。

「――副長!後ろ!」

警告を受けて――というより、恐らくその声がなくとも青年は動いていた。呼吸音と等しく自然に、手慣れた調子でホルダーから解き放たれた銃は銃身を彩るくすんだ銀の光を零しながら小さな手の平に収まり、退いた右足に重心をかけて半身を捻るようにして振り返った青威は、そのまま右手の銃を水平に滑らせて構えると躊躇いなくトリガーを引く。同時に乾いた銃声が細い通路に一度だけ響いて、彼らが先程通ってきた道を辿るように角を右折したばかりだった看守が一人、軽い音をたてて崩れ落ちたのが遠目に分かった。それは、狙いを定めた事すら疑わしくなるくらい短い時間の中での出来事。青威が標的を捉えて撃つまでの動きは先程の桜夜同様に全く無駄がなく、あまりにも一瞬の出来事で瑠藍には何が起きたのかを脳内で整理する僅かな時間が必要になった。桜夜の声で反射的に振り返ってはいたものの唖然と目の前の出来事に見入る事しか出来なかった瑠藍は、一拍後にようやく何が起きたのかを理解して、涼しい顔で銃を弄ぶように回す青年を半ばゾッとしながら見下ろした。
「…殺ったのか?」
「そう簡単に物騒な事言うな」
僅かに眉を顰めて咎められるものの、口調は相変わらず軽い。遠くに看守が倒れていなければ、この青年はこうやって銃を回していただけで人など撃っていないのではないかと思ってしまうくらいにいつも通りなのだ。困惑したような目線を頭上から受けたまま、青威は一度肩を竦めて右手に持っていた銃を再びホルダーに収めた。
「即効性の麻痺弾。暫くは痺れて動けねぇだろ」
「じゃあ僕のこの銃にも麻痺弾が?」
「あぁ、安心したか?ま、実弾だろうが麻痺弾だろうが当たんねぇと意味ねぇから心配せんでいいぜ」
軽い物言いは嫌味のようにも取れるが、声音に毒を含んでいない事から戦闘経験の全くない瑠藍に対する軽い気遣いなのだと分かる。何か言い返そうとして、けれど結局片手に握ったままの青威から借りている銃を何となく指先でなぞるだけに留めておいた瑠藍は、そのまま何事もなかったかのように桜夜の方に歩き出そうとした青年の小さな肩に手をかけて引き止めた。

またもタイミングを失うところだった。
今度は先程よりも問い詰める材料が増えているのだから、若干有利になるかもしれない。


「…『副長』?彼女、そう言ったよな」


青威は桜夜の事をそのまま呼び捨てるが、実は桜夜が青威の名を呼んでいるのを聞いた事はなかった。たまたま瑠藍の前で呼ぶ必要がないだけかと思っていたが、彼女は恐らく『意識的に』呼ばなかったのだ。彼女が危険を知らせる為に咄嗟に呼んでしまったその呼び名が名前ではなく役職名だったのが、瑠藍にそう思わせる決定打となった。


静かに問いを投げた瑠藍を黙って見上げてくる瞳は肯定も否定もしなかった。普段の幼い快活さは身を潜め、怒っている訳でもなければ、しくじったと肩を落とす風でもなく、ただ黙して目を合わせてくる表情からは何の感情も読み取れない。二人の間に流れる妙な空気感を感じたのか、遠くから桜夜が心配そうに駆け寄ってくるのが視界の端に見えた。
「もう一度聞く。…何者なんだ、アンタ達」
「名乗る程のモンじゃ…」
「名乗って問題があるのか?」
緩く瞳を伏せてかわそうとした逃げ道を塞ぐように、被せるようにして言葉を遮る。強い瞳の前に今度こそ逃げ場を失った青年は、駆け寄ってきてオロオロと二人を見比べる桜夜を心配させないようにか彼女に緩く笑いかけた。お手上げとばかりにヒラリと片手を挙げて、笑いを残しつつもわざとらしい大きな溜息を一つ。
「わーったよ。これだから研究員は好奇心が強くていけねぇ」
その言葉で二人の会話の内容を察したのか、桜夜がパタリと自分の口元を覆う。彼女自身も夢中で気付いていなかったのだろう、今更気付いた己の過ちに申し訳なさそうに項垂れると長い髪がひょろんと揺れた。
「あの、私つい…。ごめんなさい…」
「謝るこっちゃねぇよ。特に禁止事項にしてた訳じゃねぇし」
気にすんな、と笑いながら伸ばした手で桜夜の頭をくしゃりと一撫でしてから、青威はその手で瑠藍の背中をパシンと軽く叩いた。通路の先を促すように、顎で先を示す。
「さて、瑠藍。悪いが話は歩きながらだ。あんまり時間もないんでな」




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