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act:04-06

暗い通路に浮かび上がる牢獄が消えたのは、もう三フロアほど下の階からだったか。牢獄と囚人を見なくなったものの通路の作り自体は殆ど変わらず、鉄格子が壁に変わっただけという印象を受ける。敢えて違いを言うなら、照明の切れかかっていた牢獄エリアよりもこのフロアは更に照明が少なく、伸びた道の先の方は薄闇に覆われていて更に見通しが悪いといったところか。
硬い石造りの床を蹴る足は全力疾走ではなく若干緩やかな速さではあったが、そのスピードは一定に保たれており長い距離を走っていても乱れる事はない。足を踏み出して駆ける度に、高い位置で二つに結い上げた真紅の髪が跳ねるように舞った。

派手に牢獄を爆破して瑠藍と別れた後、静寂に包まれた暗い通路へ飛び出した紺那は空(うえ)に戻る事だけを考えて、フロア内を駆け回っていた。今現在の位置が地下にあるのなら、何かしら上らないと空は勿論の事、地上にすらも辿り着けないだろう。それ故、上り階段を見付ける事に専念しているのだが、運の良い事に彼女はまだまともに看守に見付かって追い回されていないし進む事の出来る道を見失ってもいなかった。勿論正解の道など分からないが、それでも行き止まりに突き当たる事なく少しずつではあるがフロアを上がる事に成功している。――今のところは。



靴底が床にぶつかって跳ね返る高い音を断続的に響かせながら通路を駆け抜けていた紺那は、瞬間的に周囲の空気が変わった事に驚いてその場で思いきり急ブレーキをかけた。色を失ったかのような彩度の低い壁、冷たい石造りの床、高くも低くもない天井。全てが先程までと全く同じ空間で、けれど取り巻く空気だけが明らかに違う。肌を刺すような殺気が暗い通路の向こう側からピリピリと放たれ、まるで野生の獣のテリトリーにうっかり足を踏み入れてしまったかのようだった。

(…ちょっと、マズったかも)

退く事も進む事も出来ずに注意深く前方を見据えながら、胸中で小さく項垂れる。今、何者かに攻撃を仕掛けられたところで紺那には素手で応戦するしか道がなかった為だ。警戒心なく進んでいた訳ではないが、越えるべきでないラインを踏み越えてしまったのはミスというよりも運が悪いとしか言いようがない。彼女が本来愛用している武器は持ち運びが不便な為、市街地に出る時には飛空艇に置いてきているし、代わりに持っていた木製の棍も妙な糸を操る女に壊されてしまった。牢を壊した小型爆弾は実はまだもう一つ、片方のブーツの靴底に隠してあるのだが、接近戦には明らかに向かない。そもそもこれは外してしまうと後がない為に、使いどころを考えないといけない。
計画では少人数(一人、もしくは二人が好ましい)で行動している看守を襲って彼らの武器を手に入れようと思っていたのだが、それよりも先に明らかに看守よりもタチの悪そうな者のテリトリーに踏み込んでしまった。それが誰なのか、もしくは何なのかは分からないが、向こうも当然紺那の存在に気付いているようで先程からこちらに向かってくる殺気が痛い程だ。

(あーもう…ヤダヤダ、何この殺気。あたし何か悪い事した?)

これ程の殺気は一般人に出せるものではない。胸中では軽口を叩きながらかぶりを振るが、実際はその場から動く事すら出来ずに嫌な汗が額を伝って流れ落ちていった。その中でも震える事がなかったのは、彼女もまた、一般人以上の実力は持っていたからである。
未だ肉眼で捉える事は出来ないが、確かにこの先に『いる』。お互いの姿が見えない(もしかしたら相手からは紺那が見えていたかもしれないが)中で、視力を用いない睨み合いが数秒続き、先に動いたのは相手の方だった。


息苦しささえ感じる中で、キラリと光る二つのラインが妙に鮮やかに闇を切り裂く。
それが二本の短剣だと分かったのは、その刃が至近距離に迫ってからだった。

(――速い!)

一瞬で距離を詰めた人影は紺那の目の前で踏み込むように足を止めると、低く落とした体勢はそのままに両手に構えた剣の内、右の剣を真横に振り切った。瞬間的な出来事の中で、床を擦る靴底の音と高い風切り音が意識せずとも鼓膜に届く。相手に躊躇う様子が全くないのを確信しながら、紺那は反射的に上体を後ろ向きに逸らして鋭い剣撃をかわした。既に相手との距離は、剣が薙いだ風圧が鼻先を掠める程に近い。

間近で見た相手は黒っぽい衣服に身を包み、それこそ影のようでもある。その中で唯一色をつけていたのは金というよりも山吹色に近い色の髪の毛で、くせっ毛なのかあちこちに向かって跳ねていた。顔は伏せ気味なのでよく分からないが、尤も今の紺那に相手の顔をまじまじと眺める余裕などない。

足を引いて跳ねるように2,3歩その場から後ずさると、それを追うように相手は更に踏み込んでくる。短剣ゆえにリーチが短い事を分かっていて尚且つそれで非常に攻撃的な戦闘スタイルは手当たり次第に牙を剥く野生の獣のようで、確かに目の前の人物は人の形をしているものの紺那には人の相手をしている気が全くしなかった。
このままでは確実に仕留められる。頭の中で警告が響くが、流れ落ちる汗さえ拭う暇もない。次々に繰り出される剣を紙一重で避け続けていた紺那は、それでもようやく転げるようにして後方へ飛び退くと相手の間合いから一瞬外へ出た。剣が振り切られたのを見届けた後に、そのまま今度は前へ足を踏み出して敢えて相手の懐に飛び込むと軸足を左に定めて床を踏み締める。その行動は相手にとって予想外だったようで、ほんの一瞬動きが鈍ったように見えた。その隙を逃す事なく左足に体重をかけ、高く振り上げた右足で相手のこめかみ辺りを狙うが、敵は既に冷静さを取り戻していたらしい。不意を突いた筈の蹴りは、難なく左腕でガードされてそのまま振り解くように弾かれた。至近距離で山吹色の前髪が揺れて、その下の鋭い瞳と一瞬視線が交差する。

晴のものよりも深くて濃い、その瞳は綺麗な群青色。
血塗れた獣のように光る眼光は、視線だけで相手を射殺すくらいに鋭く。


けれど、そう、いつだったか。

この眼は、何処かで、見たような――


「え、ちょっと、アンタ――」


思わず瞳を見開いた紺那に、けれど相手は容赦なかった。
逆手に構えた短剣が、動きの鈍った紺那の首を狙って軌跡を描く。


マズイ。
思考で考えるよりも先に、本能的に命の危険を悟る。

――が。


「よせ、黄理(キリ)!その娘は敵じゃない!!」


通路に響いた新たな声の乱入に、目の前の人物が停止ボタンを押されたかのようにピタリと静止する。その手に握られた剣は、紺那の首筋ギリギリのところで銀色の輝きを零して静かに停止していた。




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