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act:04-04

真っ白な部屋の真っ黒な格子の中で、蒼姫は相変わらず独りきりで白い床の上に座り込んでいた。銀恢と言葉を交わしてから(尤も、蒼姫は彼とまともに言葉を交わせたとは思っていなかった)暫く経つが、何かしらのデータを取る為に何度か研究員が入ってきたくらいでその他は誰もこの場を訪れない。暇潰しが出来るようなものなど何一つないこの部屋で特に何をする訳でもなく何がある訳でもなく、ただただ見えない鎖で繋がれているかのよう。この場所では時間の感覚も失われ、自分がどのくらいこうして同じ時間を過ごしているのかすらもう分からなかった。


ふいに静かな空間に割って入ったのは自動ドアが開く音で、けれどそれには大して興味なさそうに目線だけ投げる。どうせまた研究員だろうと思って投げやりな気持ちで見たドアの先に思いがけず見知った黄金色の瞳を見つけて、蒼姫は少し意外そうに一度瞳を瞬いた。色が同じとはいえ銀恢よりもずっと幼く、彼よりずっと感情の分かり易い瞳を持った少年は、先に気付いた蒼姫と目を合わせると自然と表情を明るくして少し照れ臭そうに笑う。
「ごめん、来るのが遅くなっちゃって」
パタパタと小走りで駆け寄ってきた銀鈴の背後で自動ドアが単調な音を残して閉まった。蒼姫の目の前まで駆けて来た少年は、両手で軽く格子を掴むと座り込んだままの少女の顔を覗き込むように僅かに身を屈める。
「外に行ったって聞いてビックリしたよ。でも戻ってくれて嬉しいや」
へへ、と少年らしく笑う顔には完全に悪意がなかった為に、蒼姫は一瞬顔を歪めるだけに留めておいた。

無理もない、彼女は戻りたくなかったのだ。今この場所にいるのも、最終手段の取り引きを突き付けて仕方なく戻ったに過ぎない。その取り引きも彼女の意に反して見事に裏切られたのだが。
けれど少なくともこの少年は、蒼姫が戻った事で素直に喜んでいるのだ。彼女がどんな扱いを受けているのか知らない筈もないだろうが、彼女の気持ちを最優先にして考える事が出来る程彼は大人ではなかった。悪気がある訳ではないのだが、彼にとっては『好きな人がいなくなってしまったら寂しい』気持ちの方が大きくて、だから蒼姫の気持ちにまで気が回らない。幼過ぎる好意は純粋ゆえに時として残酷で、だからといってそれに合わせてやれる程蒼姫もまた 大人ではなかった。だから、何も言わずにただ言葉を飲み込むだけ。それが彼女に出来る精一杯の対応だった。

感じ取らないと分からない心情の変化よりも、見てすぐに分かる外見の変化の方が目を引くのは当然の事。内の変化よりも外の変化に気付いた銀鈴は、蒼姫の右頬に貼られたガーゼに目を留めて痛々しそうに眉を顰めた。
「!怪我…。そっか、紫桜音だよね。僕もアイツ嫌いだよ。暴力的だしヒステリックだし偉そうだし」
嫌そうに肩を竦めた後に、銀鈴は黙って彼を見上げてくる下からの目線に更に合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。背中に垂れた長い布がヒラリと一度翻って、静かに床の上に落ちる。ガーゼを見つめたままの大きな金の瞳が心配そうに揺れた。
「怪我痛む?大丈夫?」
「……平気」
「そっか」
ポツリと零れた声に、それでもホッと安堵の息をついて嬉しそうに笑う表情は歳相応にあどけなくて幼い。先程のように自分の気持ちを押し出して他を察してくれない辺りに苛立つ事も多々あるが、この鋼の塔で唯一自分と対等に、感情を見せて接してくれるこの少年の事は蒼姫も嫌いではなかった。
研究員に生意気な言葉を吐いているのを見た事はあるが、本来は人懐っこい性格なのだろう。銀鈴と接する機会はそう多くないのだが、その中でも彼と一緒にいる時は大抵彼が主に喋って蒼姫が相槌を打つ事が多い。今日も例に漏れず、格子の前にしゃがみ込んだ銀鈴はくるくるとよく動く瞳で蒼姫を捉えてにこりと笑った。黄金の色が緩やかに細まる。
「兄上に会った?僕より先に来た筈なんだけど。ホントは僕も一緒に来る筈だったんだけどね、仕事が入っちゃって…」
「――あの人、は」
意識せずに苦々しい声が出てしまったのは、あの青年に対する苦手意識からか。弟の方とはこうやって普通に会話出来るのに。言葉を遮るように切り出した蒼姫の声に銀鈴はきょとんと瞳を瞬かせて、けれどそれを邪魔する事なく黙って続きを促す。
「あの人は、何なの?私をどうしたいの?何を…しようとしてるの?」
「…」
「君は知ってる?君はあの人の弟なんでしょう?君は…」
「――銀鈴」
静かに割り込んだ声がどこか悲しそうで、蒼姫はゆっくりと声を飲み込んだ。途切れた声の余韻が周囲に満ちて静かに溶け込む。言葉を畳み掛けていたせいで気付かなかったが、いつの間にか俯いてしまっていた銀鈴はもう一度顔を上げるとどこか縋るような目を蒼姫に向けた。黄金の目線が交差する。
「…銀鈴。僕の名前。知ってるよね?」
「…知ってる」
問われた質問に ごく簡単に頷く。

確かに、知識として知ってはいる。
意識的にではないが、彼を名前で呼ぶ事は殆どないけれど。

頷いた事でサラサラと揺れる細い空色の髪を眩しそうに見つめて、銀鈴は少し首を傾げるようにして蒼姫の瞳を覗き込んだ。彼は小さく笑っていたが、蒼姫には何故かそれが今にも泣き出しそうな頼りない表情に見えた。
「だったら名前で…呼んで欲しいな。…前みたいにさ」
「…前?」
訝しげに眉を顰めたのは彼の言う『前』に全く心当たりがなかった為。今に始まった事ではないが、銀鈴との会話は時折内容が擦れ違っていて蒼姫にはよく分からない時がある。銀鈴も蒼姫が話題についていけていない事を分かっているのか、そんな時は敢えて話題を深く掘り下げる事なく自分から振ってきた話題でも何事もなかったかのように話を逸らされる事が多い。
それは今回も同じだったようで、蒼姫の反応を流すように(或いは敢えて見ないようにしたのか)銀鈴はゆっくりと瞳を伏せて、静かに口を開いた。再び紡がれた言葉は少し前の話題に遡る。
「…僕には兄上の考えなんて分かんないよ。僕は兄上の言う通りにするだけ」
「じゃあ、私は。私は、何の為にここにいるの?何の為に生かされてるの?」
やるせなさそうな声音に、伏せられていた金色が静かに解放される。呼吸音よりも緩やかにゆっくりと目線を上げた銀鈴は、勢いに任せて思わず格子を掴んでいた蒼姫の小さな手の上に自身の手を重ねた。まだ幼い手の平はそれでも蒼姫のものよりかは大きくて、未完成ながらに男性の骨格を感じさせる。白い小さな手を壊れ物を扱うかのようにそっと覆って軽く握った少年は、その手が思った以上に体温が低かった事に一瞬痛々しそうに瞳を細めた。
「分からない。分からないけど…でも、きっと」
緩くかぶりを振った後に、真っ直ぐ蒼姫の目を見返して。


「兄上の願いを叶える為だよ。……姉上」


彼は何故か蒼姫の事を『姉上』と呼ぶ。『何故か』というのは、本当に蒼姫にそう呼ばれる覚えがないからだ。彼の姉だという事は年齢的に考えて銀恢の妹という事にもなるのだろうが、蒼姫には彼らに兄弟としての記憶はないし更に言うなら実は彼女にはほんの一年前の記憶すらもない。気がついたらこの塔にいて、実験体として拘束されていた。蒼姫という名前も、銀恢や白凪がそう呼ぶから刷り込まれたに過ぎないのだ。


空白の記憶が唯一憶えているのは一面に広がる蒼い空で、それだけを頼りに繋ぎ止めるように今を生きている。それがどんなに不安定な状態かなど考えたくなくて、強がりの意地で心を固めて、なるべく多くを考えないようにしてきた。

周りに真実を尋ねても その答えが返ってこない事を分かっている。不安と苛立ちの中のほんの少しの安心感を保険にかけて、口先だけで真実を尋ねるくせに自分からは真実に触れようともしない。

本当は、その矛盾にも気付いている。


反応に困っているのは言葉の意味を掴み損なっているのか、それとも『姉上』という呼び名の方か。結局何を口にする事もなくただ黙って戸惑いがちに返された目線にどこか泣き出しそうに顔を歪めて、銀鈴は重ねた手を少し強めに握った。格子に額が当たる程に近付いて、縋るように目線で訴える。
「ねぇ、姉上は本当に記憶が…」
「――銀鈴様」
銀鈴の声を遮ったのは自動ドアが開いた音で、更に続けて放たれた声に少年は反射的に息ごと声を飲み込んだ。重ねた手から張り詰めた緊張が伝い、身を固くした銀鈴の代わりに蒼姫がドアの方へ目線を向ける。ドアから丁度一歩室内に入ったところに、凛と背筋を伸ばして立つ見慣れた姿。白い髪に銀の瞳、スラリと着こなした黒いスーツが白い部屋の中で一際存在感を強める。蒼姫よりも一拍遅れて、銀鈴もまた肩越しに振り返って白凪へ目を向けた。重ねていた手をスルリと解きながら、小さく口を開く。
「…白凪」
「お話し中かとは思いますが失礼致します、銀鈴様。先程地下で警報が鳴ったようでしたが」
表情一つ変える事なく見つめてくる瞳から緩く目を逸らして、銀鈴は小さく頷いた。白凪と違って素直に感情が表に出るせいか、声音が少し硬く微かに掠れている。
「あぁ、アレね。もう終わったよ。牢獄エリアに落としといた」
「失礼ながらその事は傭兵達に?」
「…言ってないよ。……だって、まだ確認してない、し」
口篭るのは仕事を放置してここにいる後ろめたさからか。まさかこんなにもすぐにバレるとは思っていなかったのだろう。目線をどこに定めていいのか分からずに床を見つめて視線を彷徨わせる銀鈴を蒼姫が黙って見つめるが、彼がそれに気付く事はなかった。その余裕すらも失っているのだろう。それに追い討ちをかけるように続いた声は、常に感情を乱さないコランダム社長秘書にしては珍しくどこか呆れたような響きだった。
「確認されていない?…銀鈴様、私如きが言うのも何ですが…」
「分かってるよ!仕事は優先順位の一番上!そうだろ!?」
頭で理解している事を自分以外の誰かに言われると、例えそれが正論でも腹が立つ。相変わらず目線を逸らしたまま半ば八つ当たり気味に叫んで、銀鈴はその場で勢い良く立ち上がった。綺麗な銀蒼色の髪が頭上からの白い光を受けてキラキラと輝く。
「…仕事に戻るよ。戻ればいいんだろ」
「…銀鈴様」
僅かに落ちたトーンは怒っている訳ではなく、彼女なりに気遣っている証か。けれどその声に反応を返す事なく、銀鈴はそのまま格子越しの少女へ目を向けた。笑おうとしたのかもしれないが、少年の金の瞳はぎこちなく歪んだだけ。
「ごめん、姉上。…また来るよ」
「……銀鈴」
ポツリと名を呼ぶと一瞬瞳が見開いて、それから銀鈴は今にも泣き出しそうに、それでも涙を懸命に押さえ込むようにしながら微かにはにかんだ。僅かに身を屈めて格子の間からそっと伸びた手の平が、蒼姫のガーゼに覆われた右頬をスルリと撫でる。

「お大事に、ね」

返事を待つ事なく、手の平の体温が遠ざかる。全ての言葉を遮断して踵を返した銀鈴は、そのまま振り返る事なく早足に白凪の隣を通り抜けると自動ドアを潜り抜けた。その間も白凪は微動だにする事なく、ただその動きを静かに目線で辿るだけ。小さな背中に色付くコランダムの印が単調な音と共に閉まった自動ドアの向こうに消えたところで、黙って立っていた白凪がふいに蒼姫に向かって一礼した。頭を下げる角度も手前に折れる基点も、模範姿勢のように美しい。
「お騒がせ致しました、蒼姫様」
「…貴方達はあの子も拘束しているの?」
銀鈴の背中を追うように暫くドアの方へ向けられていた黄金色の瞳がゆっくりと白凪の方へ移動する。その目線は銀鈴に向けていたものよりも目に見えて分かる程に強く、明らかな敵意を宿していた。半ば睨むように視線を逸らさず真っ直ぐ見つめる蒼姫の前で礼の姿勢を戻した白凪は、明確な敵意にも怯まずにキッパリと言い放つ。
「申し訳ありませんが蒼姫様の知るような事ではないかと」
丁寧な物言いながらも内容に容赦は見えない。感情の見えない言葉が返ってくる事は分かっていた。だから静かに、鋭く瞳を細めて次の言葉に備える。言葉では負かされるかもしれないが、気持ちでは負けたくはなかった。決して暴言めいた言葉を吐く事はないが、どちらも一歩も譲らない。
「そう。じゃあ私が知れる事って何があるの?何を教えてくれるの?」
「それを決めるのは私ではなく社長です」
「どうして?――あの人は私の何なの」
声のトーンが一つ落ちて、自然と伸びた右手が目の前の格子を低い音で叩いた。そう強い力で叩いた訳ではないが、鈍い振動が手を伝って身体の芯に響く。当然そんな力で格子は壊れる筈もなく(尤も、壊そうと思って叩いた訳でもないが)その音で白凪の感情に波が起きる事もなかった。

「あの方が貴方様の何であろうとも、あの方の言葉が私の絶対です。私から言えるのはこれだけ」
「…っ」

悔しげに奥歯を噛み締める蒼姫から目を逸らす事なく、ドア付近から彼女の方へ近寄る事もなく、結局白凪はその場から動かずに軽く一礼した。先程の礼よりも身を倒した姿勢が浅い。
「準備が整い次第また参ります。私か、もしくは研究員が。それまでどうか、もう暫くこの部屋で待機を」
「…準備って、何の」
「翼の強化を」
淡々と告げられた返事に蒼姫は金の瞳を大きく見開いた。流石にこれには無理矢理感情を抑える事など出来ずに、反射的に白凪の方に真正面から向き直る。叩いたばかりの格子を今度は強く掴んで、彼女は格子ギリギリまで身を乗り出した。
「強化って…冗談でしょ!?これ以上の力、私が耐えれる筈ないじゃない!」
「社長からのご命令ですので」
それでは、と相手の反応すら待たずに踵を返す白凪を呼び止める事すら出来ずに、蒼姫は半ば呆然とその背中を見送った。自動ドアの開閉音が嫌になるくらい単調で軽やかで、格子を掴んだままの手が無意識にスルリと滑り落ちる。そのまま落ちた手の平は緩い拳を作ってやるせなさを握り締めるだけ。頭上からの光が項垂れた空色の頭に遮られて、白い床に面積の狭い小さな影を作り出す。研究員が呼びに来るまでの長い間、彼女はずっとそうしていた。




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