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act:04-02

「よっ、…っと。到着〜っ!」
長い長い階段を休む事なく駆け上がってきた晴は、最後の一段は軽やかにジャンプすると両足を揃えて新しいフロアに降り立った。軽い着地音が暗い通路に小さく響き、余韻を残して消えていく。ひんやりとした空気も、照明がないせいで見通しの悪い視界も今迄と何ら変わりはないが、何故だかこの場所は妙に人気(ひとけ)が全くなかった。下の階も静かではあったが、ここは見張りの看守の気配さえもない。静か過ぎるせいか耳の奥が痛くなるような、耳鳴りに似た感覚がした。
「暗いな〜…よく見えねぇっつーの…」
晴は元々独り言が多い。不安を紛らわすというよりかは純粋に思った事を口を尖らせながら毒づいて、彼は通路の真ん中に立って辺りをきょろきょろと見渡した。

目の前は壁、両脇には真っ直ぐに伸びた道が一本。要は、一本道の途中にポツンと飛び出してしまった訳だ。上ってきた階段が妙な場所に繋がっていたらしい。

「ん〜…右のが上がってんな…」
地面を踏み鳴らすように軽く靴底で床を擦った後に、その場にしゃがみ込んで視点を足元に近付けると床の傾斜を確かめる。照明がない為に先の方がどうなっているのかは分からないが、床は確かに右側の方が高くなっているように感じた。


高くなっているという事は、その分だけ上の階に近いという事。当然、その先がどうなっているかなど分からないし、上の階に高さが近いだけでその道が正解とも限らないが、晴にはたったそれだけの単純理論しか必要ではなかった。


「っしゃ!そんじゃこっち!」
ぴょこんと跳ねるように立ち上がって、その足が再び床につく頃には既に彼は右側の道を走り出していた。一寸先が闇であっても恐れる事なく、その目は未だ見えないゴールを既に見付けているかのよう。靴底が床を蹴る音だけが辺りに満ちる中、ふいに遠くの方で別の音が小さく鼓膜に届いた。
「―!」
単純に猪突猛進のようでいて、一応周囲に警戒も張り巡らせているらしい。特に注意を払っていないと聞こえなかったであろうその音を耳聡く拾い上げた晴は、その場で急ブレーキをかけて立ち止まる。一度だけ聞こえた、カチリ、とそれは何かのスイッチが入ったかのような小さな音。その場で立ち止まったまま黙って腰元の鉄棍に手をかけて闇の向こうを見据えていると、これまた遠くの方から地鳴りのような低い音が断続的に続いて鳴り始めた。眉を顰めながらもいつでも戦闘に入れるように腰を低く落として構えていると、足元の方から振動が伝わってくる。床が、壁が、天井が揺れている。地震かと思う間にも地鳴りのような音は徐々に近付いてきて――ようやくその発信源を現した。


通路の端から端、天井から床まで塞ぐかのような圧倒的な存在感。
闇の中からこちらに向かって転がってくるのは、縦も横も晴の何倍もある巨大な鉄球だった。


「!?マジかよ!!」
あれにぶつかったら、ひとたまりもない。弾き飛ばされて押し潰されてそこで全てが終わるだろう。
一瞬で身の危険を理解して一気に蒼白になった晴は、跳ねるように踵を返すと元来た道を全力で駆け出した。危険信号は最大レベル、命の危機を感じた身体は死に物狂いで生き延びようとする。元々足の速さには自信があったが、迫り来る鉄球は傾斜のせいで徐々にスピードが上がってきている。追いつかれると負けは確実だ。勝つ為にはこの物騒な球から何が何でも逃げ切るしかない。幸いこのフロアに到着してから彼はまだほんの数十メートルしか進んでいない。それはつまり、来た道を全力で引き返せばこのフロアに繋がっている階段へ辿り着くという事。一時撤退と言うべきか、とりあえずそこに逃げ込んでしまえば真っ直ぐにしか転がれない(…と勝手に予測した)この鉄球はやり過ごせるかもしれない。そう思い、薄闇の中必死に目を凝らして(目を凝らさずともその場が近付けば階段は自然に見えてくるだろうが、そこは気持ちの問題だ)全力疾走する――が。

「何でぇ!?」
鉄球が転がる音に紛れて、今にも泣き出しそうな情けない声が響き渡った。


ない。
つい先程やって来た道が、階段が、ないのだ。
あれだけ目を凝らしていたのだ、気付かず通り過ぎた事も考え辛い。けれどいくら床を蹴って走っても視界に入ってくるのは平面の壁だけで、階段は綺麗に消失してしまっていた。


何故階段が消えてしまったのか、そんな事はさっぱり分からないがとにかくこの状況を何とか脱出しない事には命の危険は変わらない。絶望的な状況に浮かんだ涙はそのままにどうしたものかと必死に考えを巡らせるが、逃げ道などない一本道、道を塞ぐ程に大きな鉄球、転がるにつれ加速していく速度、全ての条件が最悪でとにかく道が続く限り走る事しか出来なかった。しかも運の悪い事に、うっすらと見えてきた終着駅――行き止まりに追い込まれつつある。


「ヤッベーー!!」

何処かに隙間は、逃げ道はないかと走りながら辺りを見回すが、当然一本道にそんなものは期待出来ない。けれど涙に濡れた瞳が諦め悪くふいに頭上を仰いだ時、唯一の希望の光が差したような気がした。行き止まりの壁の上、天井すれすれのところに人一人収まりそうなくらいの小さなスペースが空いている。問題はその高さまでこの身をどうやって届かせるか。跳躍力には自信がある方だが、どう考えても普通の人間がジャンプして届くような高さではない。

だからといって晴は元々考える事は得意ではなかった。
考える前に身体が動いてしまうのは、もはや生まれつきなのだ。

走りながら腰元の鉄棍を引き抜いた晴は壁の目前で強く床を蹴って踏み切ると、長い鉄棍を勢い良く床に突き立てた。そのまま走り高跳びの要領で軸にした鉄棍に体重をかけて反動をつけると、小柄な身体が軽やかに宙を舞う。それで楽々目的地に届く事はなかったものの、晴は両手で握り締めていた鉄棍を素早く左手に持ち替えると、右手を精一杯伸ばして目の前に立ちはだかる壁の一番上、天井と壁の間の小さな隙間の淵を掴む事に成功した。それでも状況は未だ悪いまま。天井近くに片手でぶら下がった状態で、鉄球もすぐそこまで迫っている。
離すものかと壁を掴んだ右手にグッと渾身の力を込める。ハッキリ言って力には自信がないが、今ここを上りきらないと潰されて終わりだという事は分かっていた。随分天井に近付いたとはいえ、あの鉄球が転がってきたらどんなに運が良くてもフラフラと空中で揺れる足は間違いなく潰される。
右腕の力だけで身体を僅かに持ち上げると、すかさず左手を伸ばして壁の淵を掴む。手にした鉄棍が邪魔で、淵の向こう側へ先に無理矢理投げるようにして押しやった。渾身の力を込めている為に先程の蒼白顔が嘘のように赤く染まり、壁の淵にかけられた小さな手は自分の体重に必死に耐えて小さく震える。けれどそれでもここを上りきるにはまだ力が足りない。鉄球が転がってくる音がすぐ傍で鳴り響いて――


「こ、な、くそーー!」


妙な気合の一声と共に懸垂のように両腕の力で自身の身体を持ち上げた瞬間、すぐ真下で晴の爪先を掠めた鉄球が勢い良く壁にぶつかり大きな振動が壁を伝わってフロア全体を揺るがせた。勿論、間一髪直撃を逃れたとはいえ、それをすぐ傍で受けた晴が感じる振動も相当なもので
「!?うわっ!?」
半分壁の上に乗り上げた身体が真下からの衝撃に煽られて大きく跳ねる。足から先に浮き上がった晴は意地でも壁の淵を掴んで離さなかった両手を軸にして倒立の状態から前方に吹き飛ばされると、そのままゴロゴロと数メートル先まで転がった。これが後ろ向きに転がっていたら再び床に落ちていたのだから、何だかんだで彼は運がいいのかもしれない。
振動の余韻が残る中、すぐ傍らに転がっていた愛用武器を拾い上げると頭を擦りながら起き上がる。手の平は既に生傷だらけになってしまったが、奇跡的に他に目立つ怪我はないようだ。鉄球がぶつかった時の衝撃で上からパラパラと落ちてくる塵のような天井の欠片のようなものを振り払いながら、ようやく安堵の溜息をひとつ。
「は〜〜…助かった…」
ここで死ぬつもりは更々ないが、あの状況で助かったのは奇跡に近い。上体をへなりと手前に曲げて、気持ちを落ち着けるように何度か深呼吸を繰り返す。それからようやく上体を起こして、晴は改めてぐるりと周囲を見渡した。

乗り上げた壁の上は更に細い通路のようになっていて、奥まで道が続いているようだった。また一本道か、それとも分岐しているのかは進んでみない事には分からないようだ。どちらにせよ、あの鉄球から与えられた恐怖心のせいでもう一度下には降りたくなかった。だとしたら、進む道は目の前に一本。

「…でも何だったんだろな、あれ…」
再び穴の淵に戻って身を乗り出すと、下の方で鉄球が壁にめり込んでいるのが見えた。固い壁に幾つもの大きな亀裂が入って、ようやく鉄球の動きを押さえている。自分があのまま下にいたらどうなっていたかを想像して、晴は改めてぞっとしながらおずおずと身を引いた。


突然襲ってくる鉄球。
前触れなく消える階段。
生きているかのように変化し続けるフロア――。


『容赦なしのトラップ地獄。おかげで腕一本落としてきちまった』


ふいに脳裏を掠めたのは牢獄の中で赤雷が零したその一言。
牢獄と地上を繋ぐ上のエリア、彼は確かにそう言った。

つまり、ここが、そうなのか。


「…上等!」
パン!と右手の拳を左手に叩き込んで、細い道の前方を見据える。凛と真っ直ぐ、強がりではなく負けず嫌いの意地を押し出して。
「くるならきやがれ!負けてやんねーかんな!」
誰にともなく高らかに響いた宣言が暗い通路に反響する。その音が小さくなって消えかかった頃、ふいに両サイドの壁の一点が鈍く光った。視界の両端を掠めるように映ったそれに気付けたのは、意外と彼の視野が広い証拠。もしくは危険を察知する本能的なものが妙に優れているのか。壁に張り付くようにしてキラリと光った小さな輝きは、すぐにその姿を明確にする。

「―!?」

先程の晴の声に反応するかのように唐突に出現したのは尖った刃の先端で、驚いて両脇に目線を投げる間にも両サイドから挟みうちにするように鋭利な槍が勢い良く伸びてきた。殆ど反射的にその場を飛び退いて前転しながらそれを避けると、両側から伸びた刃と刃が交わる高い金属音が細い通路に響く。ダラリ、嫌な汗が流れるのを感じながら振り返ると、獲物を仕留め損ねて交差した槍はそのままに、既に次の槍が平面の壁の中から出現しつつあるところで。
「や、やっぱり…こないでくれるんならそっとしといてくれると嬉しいかな…なんつって…」
いきなり弱気な発言で前言撤回。引き攣った笑いを零しながら半泣きで後ずさるが、当然それが聞き入れられる事はない。再び襲ってきた槍を後ろ向きに飛び退いてかわすと、晴は素早く方向転換して涙目のまま前方に向かって駆け出した。全力疾走の後に高跳びをして全力懸垂で壁をよじ登ったかと思えば、休む間もなく再びの全力疾走。

「もーーヤダッ!!俺っしつこいヤツ嫌いだっつーの!!」

静寂に包まれた闇の中に賑やかな明るい足音が紛れ込む。
容赦なく迫ってくる刃の音を背中で聞きながら、晴は半ば八つ当たり気味に喚き散らした。




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