あぁ、そうだ。『同レベル』だ。
悠長にもぼんやりと浮かんだその単語に胸中で苦笑を漏らしながら、目の前で緊張感なく言い争う二人の少年を見やる。黒斗もそう体格が良い訳ではないが鮮やかな緑色の髪を持つ少年は更に小柄で、今は黒斗に突っ掛かっていこうとするのを黒斗本人に軽く頭を押さえられてジタバタともがいていた。完全にあしらわれている少年は、けれどよくよく考えれば先手を取った黒斗が振り下ろした棍にギリギリとはいえ自身の棍を割り込ませる事が出来た少年なのだ。その辺の一般人ではないと茶葵は冷静に推測する。
「クッソー!頭押さえんなっつーの!」
「だってお前ウゼーもん。悔しかったら攻撃当ててみな」
「にゃろー!くっ、届かねっ…!」
ニヤニヤと意地悪く笑う黒斗に頭を押さえられたまま無意味に右腕を振るが、当然リーチの問題で届く筈もない。延々と空振る細腕と終わりそうにない言い争いを前に、仕方なく茶葵は割って入った。あまりにも緊張感のない空気にうっかり忘れてしまいそうになっていたが、ここで悠長にじゃれている暇などないのだ。
「コラ、黒斗。その辺にしとけ。…あー、えーと。いきなり攻撃してゴメンな?」
「茶葵サン!謝る事ないっスよ!」
「黒斗、お前ちょっと黙ってろ」
軽く黒斗を制して一歩少年に近付くと、大きな空色の瞳が無遠慮にきょとんとこちらを見上げてくる。こうやって正面から向かい合うと益々幼い。思わず――それは殆ど無意識に、茶葵は片手を伸ばして小さな子供に接するように緑色の頭をポンポンと軽く撫でた。
「まさか看守じゃないよな?君、脱獄者?」
「ウン!そだよ!蒼の下に帰んだっつーの!」
どうやら子供扱いしても怒らないらしい(もしくは子供扱いという事にすら気付いていないのかもしれないが)。素直に撫でられながら少年は二カッと明るく笑った。その言葉に違和感を覚えて一度瞳を瞬く。
「蒼の?地上じゃなくて?」
「俺の帰る場所は実家か蒼ん下だっつーの。で、今は実家じゃない方だから境界線より、上っ!」
「って事は…空賊、か?」
『境界線』より上の世界を知っている人間となると職種が限られてくる。緑の髪の上で輝くゴーグルに目を止めて「こんな小さな子供が」という風にまじまじと少年を見下ろすと、隣で面白くなさそうに棍を回していた黒斗が嘆息混じりに言葉を投げてきた。
「茶葵サン、もう行きましょうよ。空賊にゃ用はないでしょ」
「いやまぁ、そうだけど…」
それなりの実力は持っているのだろうが、こんな幼い子供を置き去りにするのは何となく良心が咎める。口篭った茶葵の隣で、ひょこんと首を捻った少年は両手を頭の後ろで組んで黒斗へ視線を投げた。悪気なく無遠慮な言葉と共に。
「お前さー、さっきからスッゲー偉そうだよな!」
「はぁ!?ていうか、ガキにお前とか言われたくねーよ!」
「んじゃあ、黒斗」
「呼び捨てすんじゃねぇよ!つーか、勝手に名前覚えてんじゃねぇ!」
「あ、俺は晴だっつーの」
「聞いてねぇぇ!」
思わずパン!と頭を叩き倒すと面白い程簡単に緑の頭がグラリと揺れた。またも涙目になった晴は黒斗に詰め寄ろうとしたのか勢い良く顔を上げて――そこで何かに気付いたのか大きな瞳を更に大きく見開いた。鮮やかな空色に映るのは、薄闇の中でも光る銀の直線。
「あーーー!?」
「!?」
「な、何だ!?」
思いきり叫んだ晴の表情は驚愕に満ちていて、思わず黒斗も茶葵も身構える。小さな人差し指が無遠慮にも真っ直ぐ指していたのは、黒斗の持った銀色の鉄棍。
「俺の!俺の月刃!」
「はぁ?んだよ、これお前の?」
「ホラ見ろ黒斗。やっぱり持ち主が探してただろ」
まさかこんな子供が持ち主とは思わなかったけど、などと胸中で付け足しながら呆れ気味に黒斗を見やると、どこか気まずそうな苦笑が返ってきた。それからやれやれと嘆息して、黒斗は手にした棍を晴の前に差し出す。
「ちぇ、ホントに持ち主なら仕方ねぇな。コレ気に入ってたのによー」
「返してくれんのっ!?」
先程まで怒っていた筈なのにその瞳は無駄にキラキラと輝いていて、黒斗は思わず目を背けた。餌を期待している小動物のようで、直視していると何だかもう一度叩き倒したくなる衝動に駆られる為だ。なるべく晴の顔を見ないようにしながら、顔を背けたまま溜息混じりに口を開く。
「自分の武器取られる気持ちは分かるからな」
あれマジムカつくもんな、などと続けながら棍を元の持ち主の手へ押し返す。
「ホラよ、もう手放すなよ」
「ウン!サンキュー!黒斗意外とイイ奴だなっ!」
「だぁから呼び捨てるなっつーに…。しかも意外とって何だ、ムカつく…」
満面の笑顔を軽く睨み付けてやるが、相手はその程度で動じるような繊細な性格ではなかった。自分にとって都合の良い事しか聞こえない耳なのか、毒付いた黒斗の言葉を笑顔で完全無視して手にした赤銅色の棍を代わりとばかりに差し出す。
「そんじゃさ、代わりにコレやるよ!俺は月刃返ってきたからいーけど、今度はそっちが武器なしになっちまうもんな!」
「……どーも」
赤銅色のそれは看守達が共通して使っている軽い棍で、ハッキリ言って黒斗には軽過ぎるやら強度もなさ過ぎるやらで使い難かったが何もないよりマシだと思った。少し名残惜しそうに鉄棍を眺める黒斗の前で、ぎゅうと幸せそうに愛用武器を抱き締めた晴は棍の感触を確かめるように何度も手に握り直しながら二人を見上げる。
「そうだ!だったらさ、俺のお菓子も知らねぇっ?お菓子入れに入れてんだ!」
「お菓子入れ?そんなのあったっけ、黒斗」
「あー…何か…見たような見なかったような…」
彼らは特定の武器を探す事が第一の目的であった為に、それ以外のものには基本的に目を向けていない。それでも先程武器庫を漁った時に思い当たるものを見掛けたのだろう、黒斗は曖昧な返事を返しながら何かを思い出すようにぼんやりと虚空を仰いだ。そのまま、円柱の形を描くように宙を指でなぞる。
「こういう筒みたいな入れモンに…何か大量に菓子詰まってたような…」
「それ!それだ!!」
パチンと鳴った指の音に二人揃って顔を見合わせる。何だかどんどん晴のテンションが高くなってきているのは気のせいではないと思うのだが、この少年と初対面の二人はこういう場合の対処法を知らない。両手をグッと握り締めた晴は、そのまま上体を屈め全身を使ってガッツポーズを取った。
「く〜っ やっと見っけた〜〜!なぁなぁ、それ何処にあったの!?」
「こっから真っ直ぐ行った武器庫ん中に…」
「こっから真っ直ぐだなっ!サンキュー!」
「あっ、オイ!晴!」
礼を述べながらも足は既に駆け出していた。茶葵の呼び止める声にも足を止める事なく軽やかに床を蹴った晴は、そのまま黒斗の脇を擦り抜けて丁度二人が辿って来た通路を逆走する。思わず唖然と見送ってしまった二人の視線を受けながらも振り返る事はなく、小さな背中はぐんぐん遠ざかってやがて闇の中へ溶けるように消えた。賑やかな足音も遥か遠くで反響するのみ。どうやら足が物凄く速いようだ。
いきなり現れて、散々騒いだかと思えば自分ルールのまま突然いなくなる。
あまりにも常識外れなその行動は、予測不可能な突風のよう。
「何だったんだアイツ…」
「さぁ…。凄まじい台風小僧だなぁ…」
唖然と呟いた黒斗の言葉に首を捻りながらも、茶葵は「どうする?」と目線で隣の少年に問い掛けた。追うか進むか。その二択を聞くまでもなく理解した黒斗は、緩くかぶりを振った後に軽く肩を竦める。二択にするだけ無駄だと言わんばかりに。
「そりゃ当然、進みましょうよ。俺達はこんなトコで立ち止まっちゃいられない」
「まぁ、そうなんだけど…」
それでも未だ晴の事が気になるのか、目線を通路の向こう側へ向けたままの茶葵に黒斗は胸中で小さく嘆息を零した。
彼は自分よりも甘くて人が良い。そんなところを慕っている部分もあるのだが、余裕のない時に他に気を回されても困る。彼の面倒見の良いところに何度も救われてきているけれど、少しは切り捨てて考えて貰わないといけない時もあるのだ。
「茶葵サン」
横目で茶葵を見上げて再度口を開くと、自分で思っていた以上に咎めるような声音が出た。それに気付かない筈もなく、目線を合わせた茶葵は「悪い」と小さく謝罪の言葉を口にする。
「分かったよ。ごめんな、行こうか」
先に足を踏み出した茶葵の後に続いて黒斗もその場から動き出す。晴が駆けて行った方向とは真逆に進みながら、黒斗は何でもないような顔をしてサラリと言葉を投げた。
「見ました?アイツの背中」
少し早足で茶葵の隣に追い付くが、目線は前方に投げたまま。茶葵が横目でチラリとこちらを見やったようだったが、それには気付かないふりをした。あぁ、と小さく頷いて茶葵が僅かに眉を顰める。
「正直あんな子が…って思ったけど俺の見間違いじゃなかったみたいだな。…あれってやっぱり…」
「そっス。疾風ですよ」
曲線を描く、簡略化された鳥の印。暗闇に向かって迷わず駆けて行く、あの小さな背中が背負っていたものは、今やスカイリアの代表的な空賊の一隊である『疾風』と呼ばれる集団の仲間である証だった。
瞳を細めると漆黒の瞳に浮かぶ鋭さが一際強くなった。どこか突き放したような物言いは意図的か無意識か。
「そもそも空賊は助ける義理ねぇっしょ」
「何で?」
「何でって…茶葵サン、俺らの立場分かってんスか?」
少し苛立ったような声にも動じる事はなく、茶葵はゆっくりと瞬きを一つ落とした。足は止めずに、けれど彼を取り囲む空気を緩やかにするように。
「分かってるよ。元コランダム上層部関係者。元だから空賊助けてもいいんじゃないか?」
「元って…」
「元だろ?そうじゃなければ何で俺達こんなトコにいるんだろな」
「…」
黙って目線を下げてしまった黒斗の横顔を盗み見て、流石に少し苛め過ぎたか、などと茶葵はこっそり胸中で反省した。年下相手に少し大人気なかったかもしれない。そう思い、軽く侘びを入れようとしたのと同時にポツリと黒斗から言葉が漏れた。それは独り言のように小さく、けれど彼らしい揺るぎなさを纏って。
「…けど、俺にとってあの場所は意味あるものだったんです。だから取り戻したい」
『あの場所』が何を指すのか、少なくとも茶葵には考えるまでもなく理解出来た。
何故なら彼もまた、同じ気持ちであったのだから。
「…うん、俺もそうだよ」
だから皆一緒に帰ろうな、と。
柔らかな響きを持つ言葉と共にくしゃりと黒髪を掻き混ぜられて、黒斗は小さく、けれど力強く頷いた。