幾つもの階層から成り立つ鋼の塔の、限りなく牢獄エリア(最下層)に近いフロア。
細い通路が迷路のように入り組んでいるその場所を、二つの人影が駆け抜けて行く。
トンネルのような錯覚を覚える通路は細く長く続いていて、見通しは良い筈なのに照明が所々で切れている為に先の方がよく見えない。サイクルしていない空気は濁っているかのように重く、腐った水のような臭いが鼻をつく。細い道は進んで行く度に幾つかに枝分かれしていて、その分岐点の一つで立ち止まった少年は左右に分かれた道を交互に眺めた後、背後の青年を振り返った。振り返った少年もその目線の先にいた青年も、今迄走っていた事を全く感じさせないくらいに少しも息が乱れていない。
「また分かれ道だ。どーしますー?」
「どうもこうも。勘で進むしかないだろ」
やれやれと腰に手を当てて嘆息した青年に「ですよねー」と緊張感のない返事を返す少年は、無意識にか右手に持った銀色の棍をくるりと回す。それは純粋にただの癖なのだろうが、闇を切り裂いて回る銀色の残像を見やって青年は僅かに呆れたように浅く息をついた。
「結局持ってくるし、ソレ。お前の武器じゃないだろ?持ち主が探してたらどうすんだ」
「えー、いいじゃないスかー。何か気に入っちまったんですよね」
へへ、と笑う顔は歳相応の少年らしく憎めない。全く、と呆れ混じりに苦笑すると、見逃して貰えたと思ったのか少年はやたら嬉しそうにその棍をくるくると回した。ふいにピタリとその動きを止めると、両手で棍の両先端を握り直して噛み合った部分をずらすかのように慎重に少し力を入れる。カチリと小さな音がして、一本の棍は繋ぎ目を細いラインで繋いだまま二本の短い棍へと姿を変えた。
「だってコレ、ただの棍じゃないんスよ?ホラ、こうやると二節棍になる」
「ハイハイ。お前二節棍なんて使えないだろ?」
「んな事ないっスよー。俺、才能あるから」
二つに分かれた棍を持って二カッと笑うと「調子に乗るな」と軽く額を小突かれた。笑いながら額を擦って、改めて左右の道へ視線を投げる。人懐っこく笑っていた漆黒の瞳がふいに獲物を狙う獣のような鋭い光を宿した。
「どっちが武器庫に通じてますかね?つーか、そもそも武器庫っていくつあるんですかね?」
乾いた唇をペロリと舐める仕種を横目で眺めながら、青年は「そうだなぁ」と呟く。彼は少年と違って表情を変える事なく、落ち着いた態度でゆっくりと首を捻った。柔らかな茶髪がサラリと揺れる。
「さっきのトコでは結局俺らの武器は何一つ見付かんなかったから…もしかしたら武器庫以外の場所に置いてあるか…」
「あーもー、ふざけんなーってハナシですよね。……靴も…見付けてやんねーと」
最後の方はボソリと付け足すように呟いた言葉だったが、その内容は青年の耳に届いたようだった。少年の横顔を一瞬黙って見下ろした後、ふいにフッと柔らかく笑うと自分よりも少し低い位置にある黒髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
「わっ、何するんスか茶葵(サキ)サン!」
「やー、何でもない」
笑いながら、ポンと最後に緩く一撫でして。
「絶対皆で帰ろうな、黒斗(クロト)」
「…ウス」
撫でられた頭を軽く擦って乱れた髪を直しながら頷いた、その瞬間。
小さな、本当に小さな足音が細長い通路に微かに反響して、消えた。
「――!」
瞬時に緊張を纏ったのは経験によるものだった。二人揃って素早く目線を投げたのは彼らが立ち止まっている位置から右側に伸びた通路の方で、暗い通路の先には未だ人影は見えない。けれど一般人ならば聞き落とした筈の音を拾い上げた彼らは緊張を解く事なく、息を顰めて暗闇の向こう側を見据えた。黒斗は『気に入ったから勝手に持ってきた』銀の棍を構え、茶葵は先程武器庫から『無断で借りてきた』コランダムの印が記された小型銃のトリガーに指を掛ける。目を凝らして耳を澄ますと、確かに聞こえる小さな足音。断続的に響くそれはやがて二人に近付いてきて、遠くにぼんやりと暗闇に溶け込んだ小さな人影を映し出した。人影が見えた瞬間、向こうがこちらに気付く前に足を踏み出したのは黒斗。
「――っ」
スッと息を吸い込んだのと同時に勢い良く床を蹴った黒斗は、滑るような漆黒の残像を焼き付けて相手との間合いを一気に詰める。慌てて向こうが足を止める間にも右足を伸ばし勢いを殺す事なく相手の足を引っ掛けて足元を掬うように倒すと、彼は仰向けに倒れた相手の上から叩きつけるように手にした棍を振りかぶった。けれど黒斗の棍が相手に届く直前で割り込んだのは赤銅色の影で、間近で生まれた金属音に一瞬目を見開く。
「な、な、何すんだっ…!」
「…ガキ…?」
振り下ろした筈の銀色が、真横に構えられた赤銅色に止められている。ギリギリのところで黒斗の棍を自身の持っていた棍で受け止めていたのは随分幼い少年で、交差した棍の向こう側で鮮やか過ぎる程の空色の瞳がジワリと涙を浮かべていた。そのまま圧し掛かっているとうっかり潰してしまうんじゃないかと思うくらいの小さくて細い少年はその存在自体があまりにもこの場に不釣合いで、思わずぽかんとその幼い半泣きの顔を見返す。
「黒斗どうした!敵だった!?」
「あ、いや…」
銃を片手に駆け寄ってきた茶葵の問い掛けにも曖昧な返事をしてとりあえず身を引くと、仰向けに倒れたままの少年を見下ろしながらかぶりを振る。
「何か知んねーんスけど…ガキんちょです。一捻り出来そうです。でも、そうしたら罪悪感っつーか。児童虐待みたいな」
「ふっざけんな!俺はガキじゃねぇっつーの!」
ぴょこんと跳ねるように飛び起きた少年は大きなツリ目に涙を浮かべたまま、ジタバタとその場で地団駄を踏んだ。本人はガキじゃないと主張しているが、これでは癇癪を起こした小さな子供そのものだ。
「ていうか、そっちこそ何なんだよいきなり!謝れっつーの!」
「うっせぇなー、俺悪くねぇもん。つーか、お前こそ謝れ。いきなり無遠慮に飛び出してきやがって」
「にゃにー!?俺も悪くねぇよ!謝んねーかんな!」
…あれ、こういうの何ていうんだっけ。
幼稚なやり取りで言い争う二人の少年を眺めながら、茶葵は何だか緊張感のない事をぼんやりと思ってしまったのだった。