それから瑠藍は相変わらず完全には紺那の方へ向き直らないままに、床を見つめて俯き加減のまま自分の事についてポツポツと話し始めた。
元々はコランダムの研究員であった事。
新しい配属先での出来事。
バード・プロジェクトと呼ばれる機密事項の実態と自分が拘束された理由。
――それから、金属の翼を持つ『彼女』との一瞬の出会いの事。
時折紺那の相槌が入るものの、それは単調に紡がれていく独り言に近く、おかげで紺那から聞くまでもなく彼は自ら多くの情報を話してくれた。知り合って間もないが瑠藍の性格上、一気に全ての情報を出さず相手の出方を窺いながら慎重に手札を見せていくものと勝手に思い込んでいた紺那にとっては若干拍子抜けだが、それが悪い事態でない事は確かだ。もしかしたら瑠藍は溜め込むばかりのこの理不尽な状況を誰かに話したかったのかもしれない。暗い牢獄で塞ぎ込んで蹲っているだけでは気が滅入ってしまうだろうという事は考えるまでもなかった。
「…ナルホド?それで瑠藍は反逆者扱いになってるワケね」
大まかな話を自分の中で纏めるように飲み込みながら、紺那は確認のように一人頷いた。あぁ、と零れたトーンの落ちきっている返事にも同情するような素振りは見せず、代わりに一つ瞬きをしてから鉄格子の向こう側の少年を見やる。
「でもさ、一個分かんないトコがあるんだけど」
「…?」
ゆっくりと上げられた翡翠色の目線は怪訝そうに微かに歪んでいた。けれど紺那はそれに怯む事なく、寧ろ正面から静かに見返しながら言葉を続ける。いつもと変わらない口調とトーンの高さで。
「分かんなかったの?捕まらない方法。そこで逆らわなければ連行はされなかったって」
返事が返るより早く、続け様に言葉を放つ。
「分かんない訳ないよね。研究員してたくらいなんだし瑠藍って頭いいんでしょ?空気くらい読めたんじゃない?」
勉強が出来る事と賢い事は必ずしも同じではない。彼がどちらのタイプなのかは分からなかったが(もしくはその二つを兼ね備えているタイプなのかすら分からなかったが)分からないのなら推測で物を言ってみてもいいと紺那は判断したようだった。違うのならばそれなりの否定の言葉が返ってきて、その時に事実を理解すればいいだけの話なのだし。分からない事を表面だけで理解はしたくなかったが、聞く耳は一応持っているつもりだった。
けれど、軽い物言いの紺那とは対照にレンズの向こうの瞳に困惑の色が浮かぶ。恐らく自分でも分かっていないのだろう、ポツリと零れた言葉は紺那に向けられたものではなくどこか自身に言い聞かせるよう。
「だってそんなの…おかしいじゃないか。彼女はヒトで…でも無力で…。だから、僕は…彼女を助けようとして…」
その時の事を思い出しているのか、開きかけたようにも閉じかけたようにも見える中途半端に開いた手の平に戸惑いがちに視線が落ちる。それを黙って見つめる紺那はスッと瞳を細めて、軽く肩を竦めた。
「何ソレ。あの娘の為に捕まったってコト?あの娘を口実にすんの?」
「違う!そうは言っていないだろ」
「言ってるよ。あの娘が無力で可哀想だったから助けてあげようって思ったんでしょ?」
「…っ」
責める訳ではなく、けれどどこか突き放すような紺那の口調は淡々としていて、瑠藍は言葉に詰まって瞳を歪めた。
紺那の言う事は当たっているのかもしれない。
『彼女』さえいなければ、こんな地底に落ちる事もなかった。
巻き込まれた僕は被害者だ。
けれど
そうではないと叫びたいのは、何故?
「…そういう君はどうなんだ」
「あたし?」
搾り出すような声に紺那は僅かに小首を傾げた。そう切り返されたのが少し意外でパチリと瞳を瞬くと、軽く睨むような瞳と鉄格子越しに目が合う。
「君も彼女に関わったんだろう?何でだよ。追われてる彼女が無力だったからだろ?」
「違うよ」
立て続けの言葉はどこか縋るようでもあり、けれど紺那はキッパリと即座に否定した。意外な切り返しにも全く動じなかったのは、彼女の中で答えが明白であるから。その証拠に真っ直ぐ瑠藍に向けられた瞳には何の陰りもなく、闇の中だというのにその色彩を色濃く映し出していた。
「あたしがあの娘に関わったのは、あたしがあの娘に関わりたかったから」
それは至極当然の事で、けれど瑠藍には見付けられなかった言葉。
「あの娘ともっと話がしたかったから。それだけ」
そこにあの娘の置かれていた状況は関係ない、と告げた言葉には迷いがなく、瑠藍は微かに目を見開いた。
難しく考えるような事ではなく、根底にある率直な気持ち。
それを真っ直ぐに告げる事の出来る眼差しは強く、綺麗で。
果たしてそのようなものが、自分にもあったのだろうか。
あったとしてもなかったとしても、自分は彼女と違って言葉を見失ったのだ。
ありのままで在る事がこんなにも難しいなんて、知らなかった。
自分でもよく分からない感情が奥の方に引っ掛かって、けれどそれが何なのか分からない為に瑠藍は音にならない掠れた言葉の切れ端を飲み込むばかり。その様を暫し静かに見やってから、紺那はふいに瞳を伏せると軽やかに立ち上がった。服についた埃や汚れをパタパタと払い落としながら肩を竦めてみせる。
「別にいーけどさ?あたしには理由なんて関係ないし、瑠藍のコト責めてるワケでもないし。聞いてみただけだよ」
「…」
気遣っているのか突き放しているのか。恐らくはそのどちらでもないのだろう。どちらにせよ、紺那にとって出会ったばかりの瑠藍はそこまでの関係ではないのだから。
硬い表情で口を閉ざした瑠藍の前で紺那は右足をひょいと膝の位置まで持ち上げると、靴底を確認するかのように左手で足首から先を軽く捻った。右手で鉄格子を掴んでバランスを取りながら、片足で立ったままの状態で靴底の踵部分――ヒール(それ程高くはないけれど)のせいで他の場所よりも若干高く盛り上がっている部分を掴んでグッと引っ張る。と、蓋が開くように踵部分が外れて、中から直径が5cm程の小さな平たい円形の物体が手の平に滑り落ちてきた。鈍い銀色に輝くそれを握り締めて、外したヒールを再びはめ込みながら気安く声を投げる。
「あたしもう行くけどさ、どうする?一緒に来る?」
「はぁ?」
踵を馴染ませるように軽く地面を靴底で叩きながらサラリと投げられた言葉に、というよりその内容に瑠藍は硬くしていた表情を消して思いきり顔を顰めた。何を言っているのか、と言わんばかりに座ったままの体勢で少女を見上げる。
「…君は人の話を聞いていなかったのか?ここは鋼の塔だぞ?」
「聞いてたよ。一応理解もしたつもりだし」
「いいや、分かっていない。いいか、脱獄不可能なんだ。それに第一どうやってこの牢から出る気だ?」
「あぁ、それは」
涼しい顔で軽く頷いて、紺那は靴底から取り出した例の物体を 牢の向こう側から左手に乗せたまま差し出してみせた。瑠藍に見せるように手の平を開いて照明の光を手の中の銀色に反射させた後、再び手を引っ込める。
「これ使うよ。小さくても高性能、時間差式小型爆弾」
トン、と右手の甲で軽く鉄格子を叩く。
「…まぁ、ウチのちびっこ達の発明品だし正直大した破壊力はないんだけど、コレ壊すくらいなら充分じゃないかな」
「はぁ!?オイ、本気か!?」
ぎょっと目を見開いて、瑠藍はここで初めて紺那に真正面から向き直ると自分の目の前にある鉄格子を強く掴んだ。ようやく真正面から捉えた少年の顔をサラリと横目で眺めながら、紺那はアッサリと頷いてみせる。
「本気だよ。こんなトコで死ぬ気ないもん。あたし空賊だし、尚更さっさとオサラバしなきゃ」
晴と違って紺那は空賊が政府に捕まるという事をそれなりに理解しているようだった。「棍は壊されちゃったけど、これに気付かれなくて良かったー」などと言葉を紡ぎながらも足は同時に動いていて、彼女は自身が入っている牢屋の端に近付くと鉄格子の隙間に彼女曰く『小型爆弾』を設置する。鉄格子と鉄格子の間の床に貼り付けるように置いたそれの表面を指先で撫でてから、溜息を一つ。
「ホントにさー、か弱い女の子をこんなトコに押し込めるなんて頭オカシイんじゃないの?あ、出来るだけ牢の隅っこの方にいた方がいいよ。そっちまで破壊しちゃうかも」
「オ、オイ…冗談だろう?」
上擦った声をも聞き流しながら、紺那は爆弾の表面に取り付けてあった小さなピンのようなもの(恐らくこれが安全装置の役目を果たしているのだろう)を躊躇いなく外した。同時に赤く点滅を繰り返し始めた爆弾をそのままに素早く立ち上がると、設置した爆弾の対角線上に足早に駆け寄る。徐々に早くなっていく点滅の赤い光が辛うじて届く程の牢の隅まで移動した彼女は、そこでようやく少し距離の開いた瑠藍と目を合わせた。涼しい顔を保っていたその表情がゆるりと崩れて、不敵に微笑む。鉄格子の間で点滅する光が、完全に赤く染まって――
「冗談?それこそ冗談でしょ?」
「――っよせ――」
弾けるように叫んだ制止の声は爆音に飲み込まれ、音を失う。
暗闇に溢れた閃光は強い陰影を生み出して、派手な爆風はスタートの合図となった。
***
時、同じくして交代制の看守達が普段待機している小部屋。
まともに掃除などしていないのだろう、決して広くはない部屋は個人的に持ち込まれたと思われる私物や衣服、食べ物や生活用品などが所狭しと散乱している。けれどそれ以上に足の踏み場がないのは、今現在、部屋に待機していた筈の五人の看守が全て床に倒れているせいでもあった。眠っている訳ではなく、いずれも身体に痣を作って気を失っている。両手を腰に当て、やれやれと首を捻ったのは彼らの脇に立つ、小柄な少年。
「看守っつっても、ちったぁ訓練した方がいいぜ。こうもアッサリだと拍子抜けだ」
気を失っている看守達には勿論聞こえていないのだろうが、元から独り言のつもりだったのか、少年はそのままその場にしゃがみ込むと物が散乱した床の上から小型の銃を二丁、適当に拾い上げた。特別な作りではない量産型のそれは恐らくコランダムからの支給品で、初心者でもそれなりに使えるように軽くて扱い易い。ただ、銃を使い慣れている者にとっては少々物足りない…というよりかは、逆に使い辛いものでもあるのだろう。両手に一丁ずつ拾い上げた銃を角度を変えながら数秒無言で眺めた後、妙に慣れた手つきでそれぞれの銃を腰に引っ掛けていた空のホルダーに収める。専用の銃ではない為、ホルダーの方が銃に対して大きかったが、それはこの際仕方なかった。その辺のロッカーから適当に弾を集めて、それも勝手に自分のものとしてしまい込む。それから彼は少し何かを考えるような素振りを見せた後、倒れた看守の中でも最も小柄な(けれど少年よりかは間違いなく大柄な)者の靴を無理矢理引っ張って脱がせた。少年自身は何故か裸足で、その足は薄汚れて生傷や痣が目立つ。尤もそれは今ついたものではないらしく、幾つかは既に治りかけていた。
「悪ぃな、靴も貰ってくぜ。いい加減裸足にも飽きちまった。……まさか水虫持ってねぇだろな?」
最悪の事態が脳裏を過ぎって靴を履く手が一瞬止まるが、微妙な表情で数秒考えた後結局彼は靴を履く行為を続行した。この先の事を考えると裸足のままうろつくのは危険だし、ならば水虫の問題は後回しにしておいた方が気持ち的にも良いだろう。そんな事を思いながら靴を履いて立ち上がると、黙って扉の方を見つめていた少女が少年の方へ振り向いた。一つに纏めて高く結い上げた、長い黒緑の髪が綺麗なラインを描いて揺れる。
「…あの、今のは…」
「あぁ。聞こえたな」
フロア内に響き渡った爆発音。
この部屋に取り付けられた鉄製のドアが振動で揺れたのは、ほんの数秒前の事。
思わず動きを止めて扉の方を振り向いた少女とは違い、少年は一瞬チラリと横目で背後の扉へ目線を投げただけで敢えて何事もなかったかのように己の目的を優先させた。反応らしい反応を示さなかった少年の態度に不安を覚えたのか、戸惑いがちに彼を見上げる少女の目線を受けて軽く肩を竦める。
「あれが何なのかは分かんねぇけど…。…ただ、もしかすると、もしかするぜ」
「?」
少女の瞳に浮かんでいた不安の色が純粋な疑問の色に変わる。その事に満足したのか、少年は二カッと明るく笑った。ただでさえ幼い顔立ちが、笑う事で更に幼く崩れる。けれど、その笑顔には妙な力強さが備わっていた。
「俺達にとって、プラスの合図かもしんね」
「…マイナスの可能性もあります」
「ポジティブにいこうぜ。どうせドン底から這い上がるだけなんだ」
相手に妙な安心感を与える不思議な笑顔を前に、一度へなりと眉をハの字型に下げていた少女にも小さな笑顔が戻る。少し困ったようにクスリと笑って頷いた少女に明るく頷き返して、少年は履いたばかりの靴の爪先をトンと床に打ち付けた。
「ちぇ、やっぱ少しでかかったな。もっと小せぇサイズ履けっつの」
「あ、あの…やっぱり私、靴…お返しします…」
おずおずと一歩進み出た少女はこれまた彼女にしては少し大きめの(恐らく男物の)靴を履いていて、けれど少年が今現在履いている靴よりかは小さいものに見えた。恐らく彼女が履いている靴こそが元々少年のものだったのだろうが、どういう理由があってか彼は笑ってかぶりを振った。そのまま足を踏み出して扉の方へ向かいながら、擦れ違い様に少女の前髪を撫でるようにくしゃりと掻き混ぜる。
「いーから履いとけ。この先裸足じゃ厳しいし、俺のが一番サイズ近いだろ」
「あの、でも…」
「大丈夫だって、コレも少しでかいだけだから。大した支障はねぇよ」
カラリと笑って扉を開けた少年の背には赤いラインでコランダムのマークが記されている。その背を目で追う少女に「行くぜ」と告げてから、ふいに少年は肩越しに振り返った。羽織っていた黒いジャケットの裾が綺麗な弧を描いて翻り、幼い瞳が悪戯っぽくニヤリと笑う。
「心配すんな。俺は水虫持ってねぇからよ」
「そ、そんな事心配してるんじゃありませんっ!」
「ははっ、そっか」
そりゃー安心した、と笑いながら扉の向こう側へ足を踏み出した少年に思わず小さな苦笑を零した後、少女もまた、彼を追ってその場を後にした。