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act:03-02

よくよく考えればおかしな話ではあるのだ。
こんなに沢山牢があるのに、人の気配が全くしないなんて。
けれど声と共に突然現れた気配も、それはそれでおかしな話。



走り出そうとしていた身体は急にその命令を取り消した為に僅かに体勢を崩し、晴は数歩前方へつんのめるようによろけて、けれどそれでも何とか体勢を立て直した。跳ねるように背筋を伸ばすと、反射的に片手の棍を握り締める。周囲に目線を投げて声の出所を探ると、思いがけず近くから楽しげに笑う声が聞こえてきた。
「くっ、はは、悪いな坊主。驚かせるつもりはなかったんだ」
視界の端でヒラヒラと動いていたのは手の平で、それは晴が元々入っていた牢の向かい側――つまり牢を出た今、晴のすぐ隣で揺れていた。尤も、その場所は牢の中、鉄格子の向こう側であったが。敵意のない声音と間に入った鉄格子の存在に自然と警戒を緩めると、晴は不思議そうに瞳を瞬かせて手の平に誘われるかのように牢の前にしゃがみ込んだ。そこでようやく鉄格子を挟んで向かい側に座る男の姿を認識する。こんなにも近くに他の人間がいた事に、晴は素直に驚いていた。気配などつい先程まで全くしなかったのだから。

晴は元々、人見知りというものに縁がない。否、無遠慮な程に何も考えていないといった方が正しいか。初対面の相手でも思った事を何でも口にしてしまう遠慮のなさには、よく仲間達に呆れられてもいる。そしてそれは今回も例外ではなく、晴は相手の顔を凝視して臆する事なくストレートに疑問を投げかけた。失礼な呼び名と共に。

「おっちゃん誰?」
「オニーチャンと言え。俺ぁこれでも現役ピチピチだ」
「『ピチピチ』はオッサンしか使わないって紺那が言ってた」
「…ちょっと凹んだじゃねーか、この野郎」
どうやら相手も晴の失礼発言に本気で傷付くような繊細な神経ではなかったらしい。凹んだとは言いながらもあまりその様子を見せずに鉄格子の隙間から伸びてきた手は、晴の鼻をぎゅうっと強く摘んだ。子供をお仕置きする時のような対応を受けながらも、晴はジタバタもがきながらその手を払いのける。何すんだ!と涙目で睨む少年に明るい笑顔を返す男は、自分の名を赤雷(セキライ)と名乗った。
「いやぁ、久々に元気な囚人見たからよ、ちょっと様子見してたんだわ」
様子見とは言うものの、自らの気配を相手に気付かれないように消す事はそれなりの実力者でないと難しい。特に晴は、仲間の中ではまだ未熟な部類とはいえ仮にも空賊で戦闘訓練を受けているのだ。その晴が気付かなかったという事は、相手は少なくとも晴より強いという目安になる。推測の域を出ない、ただの確率の問題だとしても。それに気付いて、晴は僅かに首を捻った。
「だから気配消してたって事?おっちゃん実はかなり強い?」
「だぁからオニーチャンと呼べって。名乗った意味もねぇし…」
浅黒い肌(元々の色ではなく、薄汚れたような黒さだった)に映える瞳の色は赤のような黄のような不思議な色彩。短い黒髪にはフケか埃か、それとも白髪か、ところどころ白く見える。無精髭とどこかやつれた顔立ちのせいかかなり年上に見えたのだが、実際身なりを整えたら本人が言うようにまだ若いのかもしれない。やつれていても笑うと妙に幼い、少年のような笑顔はどこか緋燕に似ていた。
「じゃあさ、何でまた気配出したんだ?」
「少年が早々に人生捨てそうだったから」
笑顔を引っ込めるとサラリと素っ気ない顔で告げて、赤雷はヒラヒラと片手を振った。よく見れば彼が振れるのは右手だけで、左手は肩から下がない。真っ白とは言い難い、くすんだ色の包帯を巻きつけたその場所に気付いて無遠慮にじっと左肩を凝視してくる晴の視線からさり気なく逃れるように、僅かに体勢を変える。左肩を奥に下げるように座り直した赤雷は、鉄格子越しに幼い瞳を見返して浅く嘆息を零した。
「お前ここが何処か分かってねぇだろ。自分で言ってたしな」
「ウン!分かってねぇよ!」
何故そこで得意気になれるのかは謎だが、自信満々に頷くと
「自慢にゃなんねぇんだよ」
「イデデデ!痛い痛い!」
当然のように今度は耳を引っ張られた。鉄格子の隙間から伸びる右手をベシンと叩こうとしたが、直前でスルリと逃げられてしまう。ブスッと不満げに膨れた分かり易い晴の様にカラリと笑って、赤雷は暗い廊下の端へ視線を投げた。
「いいか、えーと…」
「名前?晴ってんだ!」
「そうか、坊主。よーく聞けよ」
「そっちこそ名前聞いた意味ねぇし!」
自分の事は棚に上げて盛大なブーイングを飛ばす晴を軽く片手で制する。
「ここは鋼の塔。コランダムが管理してる塔の地下牢獄だ」
短く告げると、空色の瞳が数度瞬いた。


この場に閉じ込められる者は何らかの形でコランダムに関わり、コランダムを敵に回した者ばかり。それが己の意思とは関係なくても、コランダムは敵と見なした者は逃さない。だからどんなに鈍くてもこの名前を出せば自ずと自分の状況を察すると思った。

…のだが。


「フーン。こらんだむって何?」
「はぁ!?」
あろう事か限り無くアホ面で(この顔の作りがデフォルト仕様だったのかもしれないが、少なくとも赤雷にはアホ面に見えた)きょとんと小首を傾げながら、少年はそう告げたのだ。これには流石に赤雷も動揺を隠し切れず、右手で鉄格子を握り締めて身を乗り出す。
「お、お前…コランダム知らねぇの?」
「ウン。俺がチェックしてんのは、新製品のお菓子と新番組のヒーローものだけだっつーの」
「…なんてこった…」

王都スティリックを統括する天下のコランダムが、まさかお菓子とヒーロー番組に負けようとは。そもそも何で、名前も知らないのにコイツここにいるんだ?

片手で頭を抱えてうんざりと見やるも、当の本人は本気で分かっていないようで首を傾げるばかり。深々と嘆息して、結局赤雷はこの世間知らずの少年に簡単な一般知識をつけさせてやる事にした。…尤も、理解して貰える自信はなかったけれど。







***


鉄格子を挟んでの講義は必要最低限の知識をつけさせる為の簡単なものではあったが、赤雷の予想通り晴がそれを理解してくれたのかはイマイチ怪しいところだった。とりあえず、コランダムという存在、鋼の塔という存在、それからここが何処であるのかをザッと説明して、ぽけっと口を半開きにして話を聞いている晴の額を軽く小突く。
「…つー訳で。お分かり?」
「ウン。でも俺は別にコランダムには敵対してねぇっつーの」
そもそも存在知らねぇもん、と言いながら額を擦る様に頷き返す。
「それなんだよなー。お前知らねぇ間に喧嘩売ったんじゃねぇの?」
「うーん…だったらしゃあねぇかなー」
「いや、それでいいのかよ」
どうも危機感が足りない。多分、たった今説明したばかりの危険さが全く伝わっていないのだ。今迄の時間が無駄になっていくのを感じて何だか泣きたくなりながら能天気な顔を恨めしそうに見やるが、その視線の意味など分かる筈もない晴は僅かに身を乗り出して話題を続けてきた。
「じゃあさ、おっちゃんは?コランダムに喧嘩売ったんか?」
「オニーチャンです。……あー、俺は…まぁ…」
どこか気まずそうに泳ぐ目線は過去の事を思い出してのものか。ウロウロと彷徨った目線は結局俯きがちに床に向けられて、苦笑混じりの笑みが漏れる。
「ちょっと…ヘマしたんだ。コランダムに雇われてたんだが、上の方で『機密事項』にちーっと意見しちまって」
「きみつじこう?」
「上層部でやってる研究だよ。どうせ言ったトコで分かんねぇだろうけど…『鳥』を創ってた」
「とり…」
赤雷の言葉を反芻してパチパチと瞬いた瞳が何かを思い出すように虚空を仰ぐ。細い首を傾けて暫く頭上を仰いだ後、再び視線を元の位置まで下ろしてきて晴は妙に明るくにかっと笑った。
「鳥っていえば、俺もさ!背中に金属の翼持ったヤツに会ったんだぜ!俺よりちっこい女ん子!」
「――!?」
瞬間、反射的に赤雷が身を乗り出して鉄格子を掴んだのは二度目の事。けれど先程よりもずっと強張った、引き攣った顔で妙な汗を流しながら、彼はぎこちなく口を開いた。声が、掠れる。
「金属の翼を持った…女の子?」
「?ウン。キレーな金の目と空色の髪の。けど、名前聞くの忘れちまって」
「その娘と会って…どうした?」
「どうもこうも。会った事もねぇ知らないオバちゃんに攻撃されて、気ぃついたらここにいた」
「…」
「?おっちゃん?」
話している内にだんだん赤雷の頭が下がっていく。すっかり項垂れてしまった男のツムジを見下ろしながら首を傾げたその瞬間。勢い良く顔を上げた赤雷は鉄格子の隙間から手を伸ばすと、晴の胸倉を勢い良く掴み上げた。
「バッカ野郎!思いっきり関わってんじゃねぇかお前!お前がここにいる理由が全部繋がったよ!!」
「うわ、汚ねっ!唾飛んだ!」
「やかましい!そりゃあ飛ばしたくもなるわ!」
論点のずれている事を言い合いながら胸倉を締め上げると、幼い顔がムスッと顰められる。心底嫌そうに、飛んできた唾を拭いながら晴は胸倉を掴まれたまま口を尖らせた。
「ていうか、何でおっちゃん勝手に分かってんだよー。俺はなーんも繋がってねぇっつーの」
「あぁもう、馬鹿って嫌だ!!」
振り払うように胸倉を解放した手でそのまま鉄格子を叩いて項垂れる。不機嫌そうな顔で(訳も分からずいきなり胸倉を掴まれて叱られたのだから無理もない)紺のタートルネックの服に寄った皺を伸ばす晴を下からジロリと見上げて口を開くと、意識した訳ではなかったが常より一つトーンの落ちた低い声が出た。
「…お前の見た『女の子』が俺の言う『機密事項』だよ。その娘に会ったお前は『機密事項』を知っちまった部外者って訳で、その瞬間コランダムの敵になったんだ。お前が望まなくてもな」
「フーン」
「いや、分かってねぇだろ」
相変わらず分かっているのか分かっていないのか(悲しい事に全く分かっていないのだろうが)軽い返事を返す晴の脳天に軽くチョップを入れると、緑色のクセッ毛がひょこんと揺れる。
「正直よく分かんね。けど、俺帰んねぇと」

難しい事は分からない。
考えなければいけない事も分からない。
そもそも自分が今から動く理由はただ一つで、それについて考える必要はない。

うん、と一人で頷くと 呆れたような目線が容赦なく真正面から飛んできた。やれやれとかぶりを振りながら、赤雷が嘆息を落とす。
「バカタレ。お前人の話聞いてた?ここは鋼の塔地下牢獄だっつっただろ。簡単にゃ脱獄出来ねぇよ」
「何で?」
「何ででも」
何を言っても理解してくれない為に(そのくせに疑問だけは遠慮なく投げかけてくるのが余計に腹立たしい)説明するのも何だか面倒臭くなってきたのだろう。短く返事を返してから、赤雷は晴の位置から隠れるようにしていた無くなった左手へ視線を流した。そう遠くもない昔に失くしたその手は、今もまだ存在した頃の感覚が残っている。
「牢獄を出る事自体はそう難しくねぇ。お前が今、そうやって出てるようにな。問題はこの上だ。牢獄と地上を繋ぐエリア」
「上?」
右手の親指で天井を――正確にはその上の階層を指すと、つられるように晴の顔も頭上を見上げる。その様を眺めながら、赤雷は晴の視界に極力入らないようにしていた左肩をそっと押さえた。瞳を僅かに伏せて、呟くように言葉を落とす。
「容赦なしのトラップ地獄。おかげで腕一本落としてきちまった」
床に落ちていく声を追いかけるように、自然と晴の目線も赤雷の左肩に注がれた。

失くした腕を見ても晴が怯える事はなかった。そもそも彼は最初その存在に気付いた時に真っ直ぐ無遠慮に凝視してきたくらいなのだ。それは半端な好奇心ではなく、純粋に真実を現実として映す事の出来る真っ直ぐな眼差し。普段アホ面のくせに(これが本当にデフォルト仕様の顔の作りだとしたらこの感想は失礼極まりない)時折見せる表情は、彼の器の大きさを測りかねた。何も分かっていない少年なのか、事実を正面から受け止める事の出来る男なのか、イマイチよく分からない。もしくはその両方なのか。

「…脱獄しようとしたんか?」
少し低い位置からじっとこちらを見上げてくる空色の瞳とは何故だか目を合わせる事が出来なかった。冷たい床を見つめたまま、自嘲気味に薄く笑う。
「少し前にな。それもこの通り、失敗に終わった」
相手からの返事を待たずに「だから」と続けて。
「悪い事は言わねぇ。無謀な脱獄計画はやめとけ。下手すりゃあ死ぬぜ」
本気の色を滲ませた低い声が静かに満ちて、溶けた。




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