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それは、いつかの記憶の欠片。


何の記憶かは分からない。

けれど
確かに憶えているのは


一面に広がった、蒼。






私を鳥だと言うのなら

私に

この、鋼の翼に





空を教えて










act 00 : 透明の世界



鉛色の厚い壁がまるで玩具のように簡単に粉砕され、緑色の閃光が解き放たれる。警報が鳴り響く広い廊下は忙しなく走り回る白衣を着た研究員達と雇われた傭兵達でひしめき合い、普段は淡々と実験が繰り返されている塔とは思えないほど混乱に包まれていた。その混乱の中心にいたのは、行き止まりの壁を背に肩で大きく息をつく空色の髪を持つ小柄な少女。額からは汗が流れ落ち足元もおぼつかないながらも、明るい金の瞳は強い光を湛え、剣や棍を携えた傭兵達を見据えていた。

「さぁ、鬼ごっこは終わりだ」
一歩、歩み寄った傭兵を睨み浅くかぶりを振る。疲労の色と共に吐き出された言葉は、病的ともいえるほど華奢で頼りない身体からは想像もつかない程に凛としていた。
「――来ないで。まだ終わらない。終われない」
「そんな状態で何が出来るというんだ?もう余力なんか残っていないんだろう?」
傭兵の後ろから聞こえてきた研究員の声が純粋に不愉快で顔を顰める。笑いを含んだその響きは、彼女がもう何も出来ない事を確信している証だ。


彼らは彼女以上に彼女の事を知っている。
力では彼女に敵わないが、彼女は彼らに生かされていると言っても過言ではない。
悔しいけれど、認めたくないけれど、それはどうしようもない事実。


傭兵達に隠れるように彼らの背後に立つ研究員の方へ目を向けて、少女は低く言葉を吐き出した。彼女の事をよく知る彼らへ、最終確認をする為に。
「…ひとつ、聞きたい。私は鳥なんでしょう?」
「あぁ、鳥だとも。鋼の、な」
咽の奥で笑う声がイチイチ癇に障る。一度低く舌打ちしてから、少女は右手を掲げた。
「だったら」
「!!オイ!止めろ!止めさせろ!」
研究員の声より先に、少女の背に生えた銀色の翼が呼応するかのように高く持ち上がる。

少女が普通の人間と違う箇所がこれだった。
小さな背中に取り付けられた金属の翼。尤も翼といっても骨組みだけがそれを形作っているだけでその間に羽や膜は存在しておらず、その形状では鳥が持っている翼のように飛ぶ事は望めそうになかった。先端には片翼につき大きな青い宝玉が一つと、その下に小さな青い宝玉が四つ。四つの宝玉から青混じりの銀の金属が伸びており、骨組みだけの翼のシルエットを形成している。

彼女の意思通りに動くのか、それとも翼自身にも意思があるのか、翼の先端についた青い宝玉が淡い光を放ちながらその色を緑へと変えていく。フワリと少女の白い服の裾が風で靡き、掲げた細い右腕を軸に緩やかな風が彼女の周りを取り囲んだ。徐々に渦を作る風の中心で金の瞳が色濃く染まる。



「だったら、――飛んでみせる」



「止めっ…!」
「『切り裂け』!!!」
まだ幼い少女の声と、勢い良く振り下ろされた右腕と。

それが、合図。

突如巻き起こった旋風は全てを切り裂く研ぎ澄まされた風の刃へと姿を変える。悲鳴も命乞いも風の音で掻き消され、飛び散る紅の雨が少女の白い服を、白い肌を鮮やかに染め上げた。鉛の壁も、鉄の鎧も、人の肉も。鋭利な刃を防いで凌げるものなど、この場には何一つとしてない。
時間にしてほんの数秒、しかし一瞬前とはすっかり変わってしまった目の前の光景――塵と埃と血の雨に目を細めながら、少女は苦しげに息を吐き出した。もう、これ以上は続かない。
「…っ」
ガクリと膝から力が抜け落ちて、その場にへたり込む。彼女が右腕を降ろした事で翼の先端についた宝玉が緑から元の青へとゆっくり色を変え、巻き起こる風は徐々に緩やかな微風へと変化していった。予想以上の疲労に顔を顰めながらも見据えた先には崩れ落ちた壁と天井と、先程まで生きていた、けれど今はただの肉塊と化してしまった幾つもの残骸。その光景から目を逸らす事なく正面に捉え、少女は深く息を吐き出した。

(…平気。怖くない)

自分自身に言い聞かせるように胸中で呟き、一度だけそっと金の瞳を伏せる。浅く息を吐き出しながら再度目を開き、少女はその場に座り込んだまま上体を捻ってゆっくりと背後を振り返った。
道理で風と光を近くに感じる訳だ、先程まで彼女の進路を塞いでいた鉛色の壁は風の刃に切り裂かれ、そこには巨大な穴が開いていた。ぽっかりと開いた空間には白い光が射し込み、更にその向こう側から導くような風が吹き込んでくる。


壁の向こうの世界。
透明色の向こうの世界。
いつも彼女の目には全てが透明に映っていた。
目に見えていても音は聞こえない、
手を伸ばしても触る事は出来ない、
それは、透明な硝子で隔たれた鳥篭。

けれど、今は


「…もう少し」

もう少しでいい。
もう少しだけ、力が欲しい。此処から抜け出す力が。
小さな手を冷たい床について、ゆっくりと立ち上がる。

体が重い。
足が動かない。
息が切れる。

それでも。

立ち上がろうとしては膝から崩れ落ち、何度も躓いて転んでは立ち上がり半ば這うようにしながらようやく穴の淵まで辿り着く。下から煽るように吹き抜ける風は彼女が起こしたものではなく、自然の力。全てに平等で柔らかな、息吹。
穴の淵に座り込んで肩で息をつきながら、ゆっくりと項垂れた頭を上げて。
そこで、彼女は大きく目を見開いた。



透明の世界を抜け出した金の瞳が映した世界は、無限に広がる、蒼。
発達した文明が作り出した鉛色の厚い雲を遥か下に、何処までも続く蒼の色彩は息を呑む程に広く、深く。


知ってる。
この色は記憶が憶えている。


でもそれは

いつ、どこで?



「…すご、い…」
小さな疑問を残しながらも感動の方が勝り、ゆっくりと立ち上がる。
尽きかけていた力は今なら何故だか無限に湧いてくるかのようだった。




鳥だと言うのなら

翼を取り付けるのなら

飛んでみせる。


この

鋼の翼で。




翼に取り付けられた宝玉が、青から紫へのグラデーションを彩りながら更にその姿を赤く染めていく。骨組みだけの冷たい金属の翼がゆっくりと持ち上がり、細い骨格の間に薄い光の膜が淡い光を放ちながら張り巡らされていく様は、蛹が蝶に羽化する時のよう。


「…飛ぼう」


それは、自身に向けて言った言葉。

まるで階段の一段上から飛び降りるかのような軽い足取りで




彼女は雲よりも高く築かれた鋼の塔から飛び降りた。







透明の壁で隔たれた世界に、別れを告げる為に。




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